第五十二話
遠征の日の朝。
ルーメンはまだ薄暗かった。
東の空が少しずつ白み始める。
市場も開いていない。
いつもなら静かな時間だ。
だが。
今日の広場には大勢の人が集まっていた。
「多くない?」
ナギが呟く。
ジークも苦笑する。
「全員来てるな」
本当にほとんど全員だった。
農家も。
職人も。
商人も。
子どもたちも。
薬屋の常連も。
みんなが見送りに来ている。
シオンは少し困っていた。
こういうのは慣れていない。
「シオン先生!」
子どもたちが駆け寄る。
「お土産!」
「変な薬草!」
「美味しい木の実!」
ナギが笑う。
「最後だけ目的がおかしい」
シオンは真面目に頷く。
「探す」
「探さなくていいから!」
朝からいつも通りだった。
薬屋の前ではフィアが腕を組んでいる。
「本当に気をつけてくださいね」
「うん」
「危険な薬草を見つけても一人で採りに行かない」
「努力する」
フィアが頭を抱えた。
まったく信用できない返事だった。
ガロンは大きな荷袋を持ってくる。
「保存食だ!」
「三週間分!」
ナギが驚く。
「こんなに!?」
「足りなかったら困るだろ!」
確かにその通りだった。
住民たちは次々に差し入れを持ってくる。
干し肉。
乾燥果実。
薬草茶。
地図。
手作りのお守り。
シオンは少し戸惑っていた。
自分は特別なことをしたつもりはない。
でも。
みんなは違ったらしい。
老人の一人が笑う。
「帰ってこいよ」
シオンは頷く。
「帰る」
短い言葉。
だが。
それだけで十分だった。
その時。
ユグが広場の隅で立ち止まった。
神樹の芽の前。
まだ小さい。
けれど確かに育っている。
ユグはそっと葉に触れる。
「行ってくるね」
風が吹く。
葉が小さく揺れた。
まるで返事のようだった。
その様子をミルが見ている。
「神樹様も応援してる」
ユグは少し笑った。
昔なら考えられなかった。
帰る場所がある。
待ってくれる人がいる。
それだけで強くなれる。
やがて。
準備が整う。
馬車二台。
荷物。
食料。
薬品。
予備の武器。
ルーメンが持てる力を詰め込んだ遠征隊だ。
セレスが地図を広げる。
「ここから北東へ」
「まずは灰羽の森を抜けます」
オルディスが眉をひそめた。
「灰羽の森か」
知っている場所らしい。
「何かあるの?」
レインが聞く。
オルディスは少し嫌そうな顔をした。
「鳥が多い」
「鳥?」
「すごく多い」
それだけだった。
だが。
なぜか全員嫌な予感がした。
その時。
空から声が響く。
「キュイーーー!」
全員が空を見上げる。
巨大な白い鳥が旋回していた。
翼を広げると三メートル以上ある。
「でかっ!」
ナギが叫ぶ。
すると。
セレスが驚く。
「風告げ鳥!?」
樹人族にとって特別な鳥らしい。
風告げ鳥は一度旋回すると。
シオンの頭上へ降りてきた。
そして。
くちばしから何かを落とす。
ころり。
小さな種だった。
緑色に輝いている。
ミルが目を見開く。
「神樹の種」
静寂。
セレスも驚いていた。
「あり得ない……」
神樹の種は滅多に現れない。
しかも。
旅立ちの日に。
シオンは種を拾い上げる。
暖かかった。
すると。
一瞬だけ。
知らない景色が見えた。
巨大な森。
枯れた神樹。
泣いているような風。
そして。
黄金色の瞳。
誰かがこちらを見ていた。
次の瞬間には消える。
シオンは静かに呟く。
「待ってる」
ミルが振り向く。
「誰が?」
シオンは種を見つめた。
「わからない」
でも。
確信だけはあった。
翠風の庭では。
誰かが助けを待っている。
そして遠征隊は出発する。
ルーメンを背に。
新たな神樹の庭へ向かって。
だがその旅路で最初に待ち受けるのは、
精霊王ではなく――
灰羽の森を支配する"鳥たちの王"だった。




