第四十七話
黒い影が立っていた。
顔もない。
身体も曖昧。
なのに。
その存在感だけは圧倒的だった。
まるで長い年月そのものが形になったような存在。
「何者だ」
ジークが剣を構える。
影は答えない。
代わりに。
ゆっくりとシオンを見る。
「似ている」
低い声。
懐かしむような。
憎むような。
複雑な響きだった。
「誰に」
シオンが聞く。
影は少し沈黙した。
そして答える。
「最初の薬師」
静寂。
ユグが息を呑む。
ミルが耳を伏せる。
オルディスも表情を変えた。
神樹が見せた幻。
七つの庭。
白い外套の薬師。
その人物のことだ。
影は続ける。
「愚かな女だった」
その瞬間。
地下施設全体の空気が変わった。
シオンの目が少しだけ細くなる。
ナギは知っていた。
あれはシオンが怒っている時の顔だ。
滅多に見ない。
だが確実に。
怒っている。
「なぜ」
シオンが聞く。
影は笑う。
「救おうとした」
「敵も」
「味方も」
「魔物も」
「人も」
「すべてを」
影の声には理解できないという感情が滲んでいた。
「世界は争う」
「奪う」
「壊す」
「それが自然だ」
影は腕を広げる。
黒い結晶が増殖する。
壁を覆う。
床を侵食する。
「私はその感情から生まれた」
静寂。
オルディスが息を呑む。
まさか。
影は続ける。
「嫉妬」
「憎しみ」
「絶望」
「諦め」
「人々が捨てた負の感情」
「それが私だ」
神樹の対極。
命の循環ではない。
負の循環。
長い年月をかけて生まれた存在。
「名前は?」
シオンが聞く。
影は初めて笑った。
そして。
静かに答える。
「もう忘れた」
「昔はあった気がする」
その言葉に。
なぜかシオンは悲しくなった。
名前を失う。
それは。
自分が何者か分からなくなることだ。
ユグと同じ。
ヴォイドと同じ。
影は再びシオンを見る。
「薬師」
「お前も同じだ」
「いずれ諦める」
「誰も救えない」
その瞬間。
シオンは即答した。
「救える」
あまりにも早かった。
影が固まる。
予想していなかったらしい。
シオンは続ける。
「全部は無理」
「でも少しは救える」
ナギが笑う。
ジークも口元を緩める。
リリは頷く。
ミルも。
ユグも。
それがシオンだった。
できないことをできるとは言わない。
全部救えるとも言わない。
でも。
目の前の誰かは助ける。
影は長い間黙っていた。
やがて。
低く呟く。
「……本当に似ている」
その時だった。
ヴォイドの身体が光り始めた。
弱々しい。
けれど確かな光。
「たすけて」
再び声が響く。
今度ははっきりと。
ヴォイド自身の声だった。
シオンは振り返る。
ヴォイドの中心。
黒い結晶に覆われた奥。
そこに小さな核が見えた。
緑色の光。
神樹と同じ色。
「オルディス」
「わかっている」
エルフは頷く。
「ユグ」
「うん」
「ミル」
「うん」
仲間たちも前へ出る。
ナギは短剣を構える。
ジークは剣を握る。
レインも立ち上がる。
影が静かに言った。
「戦うのか」
シオンは首を振る。
「治療する」
ナギが吹き出した。
「こんな時まで!」
しかし。
それが答えだった。
ヴォイドを倒すのではない。
助ける。
救う。
治す。
そしてその瞬間。
シオンの胸元で、
始原泉の結晶が眩く輝いた。
神樹の光。
ユグの力。
ヴォイドの核。
そして。
遥か昔。
初代薬師が遺した何かが。
ゆっくりと目覚め始めていた。




