第四十五話
グォォォォォォォォ――!!
咆哮が地下を揺らした。
耳を塞いでも意味がない。
身体の奥まで震える。
まるで大地そのものが悲鳴を上げているようだった。
ユグの顔は青ざめていた。
震えている。
怯えている。
今まで見せたことのない表情だった。
シオンは静かに聞く。
「第零実験体」
ユグは頷く。
そして小さく呟いた。
「名前は……ヴォイド」
静寂。
その名を口にするだけで、
空気が重くなった気がした。
「神樹計画はね」
ユグが語り始める。
「最初は神樹を再現する研究だった」
始原泉。
神樹。
命の循環。
それらを人工的に作り出そうとした。
だが失敗した。
何度も。
何度も。
そして研究者たちは考えた。
作れないなら。
奪えばいい。
「神樹の力を吸い取る生物を作ったの」
ナギが顔をしかめる。
「最低だな」
ユグは頷いた。
「うん」
「最低だった」
ヴォイドは神樹を捕食するための存在。
命の循環を奪い。
魔力を喰らい。
森を枯らす。
世界そのものに対する毒。
それが第零実験体だった。
ドォォォォォン!!
再び揺れた。
今度はもっと近い。
壁が砕ける。
床に亀裂が走る。
オルディスが叫ぶ。
「まずい!」
「封印が保たない!」
その時だった。
ユグの背中の根が光り始めた。
緑色。
神樹と同じ色。
彼女は決意したように立ち上がる。
「私が行く」
ジークが眉をひそめる。
「何をする気だ」
「封印する」
ユグは静かに答えた。
「私の役目だから」
シオンは黙っていた。
ユグは続ける。
「第七実験群は封印用に作られたの」
「ヴォイドを止めるための鍵」
「だから私が――」
そこで言葉が止まった。
シオンが首を振ったからだ。
「だめ」
即答だった。
ユグが固まる。
「え?」
「一人はだめ」
シオンは本気だった。
ユグは戸惑う。
理解できない。
今までずっとそうだった。
役目がある。
だから犠牲になる。
当然のことだった。
なのに。
「危ない」
シオンが言う。
「死ぬかもしれない」
ユグは苦笑した。
「それでいいの」
「よくない」
シオンは即答した。
静寂。
ナギが少し笑う。
「あーあ」
「始まった」
リリも笑った。
ジークも肩をすくめる。
オルディスは呆れ顔だ。
全員知っている。
シオンはそういう人間だ。
病人を見捨てない。
怪物も見捨てない。
神樹も見捨てない。
街も見捨てない。
そして。
今目の前にいる少女も。
シオンはユグを見る。
「助ける」
それだけだった。
簡単に。
当然のように。
ユグは泣きそうな顔になる。
何百回も。
何千回も。
実験された。
利用された。
必要だからと言われた。
でも。
助けると言われたことはなかった。
一度も。
その時。
施設の奥から光が溢れた。
赤黒い光。
嫌な気配。
生き物として存在してはいけないもの。
それが近づいてくる。
ミルが耳を伏せた。
「来る」
全員が武器を構える。
シオンも薬箱を握る。
ユグは深呼吸した。
そして。
初めて自分の名前を口にする。
「……ユグ」
小さな声。
確かめるように。
大切な宝物のように。
次の瞬間。
最深部の壁が崩壊した。
轟音と共に現れた影。
巨大。
黒い。
無数の口。
無数の眼。
そして身体中に絡みつく神樹の根。
喰らった証。
破壊した証。
ヴォイドが目を開く。
その視線が。
まっすぐシオンへ向いた。
そして。
人の言葉ではないはずの存在が。
低く。
掠れた声で呟いた。
「……薬師」
全員が凍りつく。
なぜ知っている。
なぜ呼ぶ。
ヴォイドの無数の瞳が光る。
そして。
まるで昔を思い出すように。
悲しそうに言った。
「たすけて」
咆哮よりも。
その一言の方が。
恐ろしかった。




