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辺境薬師の街づくり  作者: 灯野 しおん
第二章 終盤「灰霧病と壊れた街」

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第三十二話

湖の底。


石の扉の隙間。


そこに現れた巨大な眼。


黄金でもない。


赤でもない。


深い深い蒼色。


まるで夜空そのものを閉じ込めたような瞳だった。


誰も動けない。


ただ見てしまう。


見てはいけないものを。


リリは膝をついた。


「……あ……」


ジークが歯を食いしばる。


「なんだよ……あれ」


ナギも顔を青くしていた。


本能が叫んでいる。


逃げろ、と。


しかし。


シオンは違った。


怖い。

確かに怖い。


でも。


その眼を見た瞬間、

別の感覚があった。


苦しそう。


まただった。


巨大狼の時と同じ。


実験体の怪物の時と同じ。


皆が恐怖を見る場所で、

シオンだけが別のものを見る。


その存在は、

怒っているわけではない。


襲おうとしているわけでもない。


ただ。


苦しんでいる。


「……病気」


シオンが呟く。


ベルクが振り向いた。


「何?」


シオンは湖を見る。


「泉も」

「結晶も」

「扉も」

「全部おかしい」


ベルクが笑う。


「恐怖で壊れたか」


「違う」


シオンは首を振る。


そして。


薬師らしく言った。


「診断ミス」


静寂。


ナギが思わず言う。


「その言い方やめて」


だがシオンは真剣だった。


資料。


結晶。


水脈。


全部を思い出す。


古代人は封印したのではない。


治療していた。


なら。


今必要なのも――。


「壊すことじゃない」


ベルクの顔が険しくなる。


「何を言っている」


シオンは湖畔の結晶を見る。


灰霧結晶。


ずっと悪いものだと思っていた。


でも違う。


これは薬だ。


泉を浄化するための。


古代人が残した巨大な治療装置。


ベルクはそれを壊した。


だから病気が広がった。


シオンは叫ぶ。


「結晶を守って!」


全員が驚く。


ジークが聞き返す。


「敵じゃないのか!?」


「味方!」


短い。


でも断言だった。


その瞬間。


ベルクが怒りに顔を歪めた。


「ふざけるな!!」


彼の杖から黒い魔力が放たれる。


狙いは湖畔の結晶。


最後の浄化装置を壊す気だ。


だが。


ナギが飛び出した。


「やらせるか!」


狼獣人の脚力。


一瞬でベルクとの間合いを詰める。


ジークも続く。


剣がぶつかる。


轟音。


ベルクは後退した。


しかし。


湖の底では、

扉がさらに開こうとしている。


時間がない。


シオンは必死に考える。


薬師として。


街を救うために。


その時。


隣にいたレインが小さく言った。


「……魔力脈」


シオンが振り向く。


レインは震える指で、

湖の中央を指した。


「結晶は……繋がってる」


「全部」


シオンの頭の中で、

何かが繋がった。


結晶。


泉。


地下水脈。


街。


全部ひとつの循環だ。


なら。


必要なのは破壊じゃない。


流れを戻すこと。


シオンは立ち上がる。


「オルディス!」


エルフが振り向く。


「できるだけ大きな浄化魔法」


「無茶を言うな」


「お願い」


オルディスは数秒黙った。


そして。


ふっと笑う。


「本当に困った弟子だ」


弟子ではない。


だが否定する暇はない。


オルディスは杖を掲げた。


古代エルフ語の詠唱。


森がざわめく。


風が集まる。


光が集まる。


シオンは薬箱を開いた。


残っている薬草を全部取り出す。


浄化草。

銀葉。

清水花。

全部。


惜しみなく。


湖へ投げ込む。


ナギが叫ぶ。


「それ全部!?」

「全部!」


その時。


湖の底の巨大な眼が、

ゆっくりとシオンを見た。


まるで。


何かを託すように。


そして――


始原泉全体が、

眩い光に包まれた。

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