第二十五話
崩れゆく研究所の奥。
瓦礫と黒煙の向こうで、
白衣の男は静かに立っていた。
逃げる様子もない。
まるで、
こちらを待っていたみたいに。
ナギが足を止める。
「……なに、あれ」
レインの身体が震えた。
「……先生」
掠れた声。
恐怖が滲んでいた。
白衣の男はゆっくり微笑む。
「おや」
「まだ生きていたんですね、レイン」
その声は穏やかだった。
だから余計に不気味だった。
オルディスが険しい顔になる。
「……ベルク」
ベルクは崩れる天井を気にも留めず、
シオンたちを見る。
その視線が、
シオンで止まった。
「なるほど」
「君が“辺境の薬師”ですか」
シオンも見返す。
静かな目だった。
ベルクは少し楽しそうに笑う。
「実に興味深い」
「まさか失敗作を止めるとは」
ナギが怒鳴る。
「失敗作って……!」
「人をなんだと思ってんの!?」
ベルクは不思議そうに首を傾げた。
「研究材料ですが?」
空気が凍る。
リリが息を呑む。
オルディスの魔力がわずかに揺れた。
怒っている。
かなり。
だがベルクは平然としていた。
「辺境の命など、元々数えられていない」
「なら有効活用すべきでしょう?」
シオンはじっとベルクを見ていた。
怒鳴らない。
感情を爆発させない。
でも。
瞳だけが冷えていく。
「……あなたがやったの」
「ええ」
ベルクはあっさり認めた。
「灰霧病の改良実験です」
「魔物強化、感染耐性、魔力適応」
「素晴らしい成果でしたよ」
レインが震える。
ナギは歯を食いしばった。
「狂ってる……」
ベルクは小さく笑う。
「進歩は常に狂気から生まれます」
シオンは静かに聞く。
「苦しんでた」
「?」
「魔物も、人も」
ベルクは肩をすくめた。
「多少の犠牲は必要です」
その瞬間。
シオンの中で、
何かが静かに切れた。
怒鳴ったわけじゃない。
表情も大きく変わらない。
でも。
「……駄目」
その声だけが、
妙に冷たかった。
研究所が揺れる。
崩壊が進む。
ベルクは笑みを浮かべたまま、
シオンを見る。
「君は面白い」
「王都に来ませんか?」
ナギが「は?」という顔になる。
ベルクは続ける。
「君ほどの観察力は貴重だ」
「辺境に埋もれるには惜しい」
シオンは即答した。
「行かない」
「なぜ?」
「人を壊すから」
ベルクが初めて少し黙る。
シオンは静かに言った。
「薬は助けるために使う」
「壊すのは違う」
ベルクは数秒、
シオンを見つめていた。
やがて。
「……なるほど」
少しだけ残念そうに笑う。
その時。
天井が大きく崩れた。
轟音。
研究室の柱が折れる。
オルディスが叫ぶ。
「もう限界だ!」
ベルクは後退する。
闇の奥へ。
「また会いましょう、薬師殿」
「次はもっと面白い研究をお見せします」
「待て!」
ナギが叫ぶ。
だが遅い。
崩れた瓦礫が視界を塞ぐ。
ベルクの姿は、
闇の中へ消えていた。
次の瞬間。
研究所全体が激しく揺れた。
シオンが即座に言う
「逃げる!」
四人は走り出す。
崩れる廊下。
落下する石。
迫る黒水。
背後で、
研究所が崩壊していく。
そして彼らは――。
夜明けの光の中へ、
飛び出した。




