第十九話
山の空気が、凍りついた。
「……何か入れてる?」
ジークが低く繰り返す。
シオンは巨大狼の首元を調べていた。
傷は小さい。
だが深い。
周囲の肉が黒く変色している。
「自然じゃない」
シオンは真剣な顔で言う。
「薬か毒かはまだわからない」
「でも人工的」
ナギが顔をしかめた。
「つまり誰かがやったってこと?」
「たぶん」
リリが青ざめる。
「そんな……」
オルディスは黙って傷口を見つめていた。
やがて静かに口を開く。
「……王都の錬金術式に似ている」
全員が振り向く。
シオンの目も動いた。
「知ってるの?」
「昔見たことがある」
オルディスの表情は険しい。
「生物強化実験」
ナギが嫌そうな顔をする。
「名前からして最悪なんだけど」
ジークが腕を組んだ。
「王都が辺境でそんなもんやる理由は」
オルディスは答えなかった。
だがシオンは小さく呟く。
「……実験しやすいから」
静寂。
誰も否定できなかった。
辺境は見捨てられやすい。
人も少ない。
被害も隠しやすい。
シオンは巨大狼の閉じた目を見る。
苦しかっただろう。
痛かっただろう。
病気じゃない。
誰かに壊された。
その事実に胸の奥が静かに冷えていく。
ナギがシオンを見る。
「……怒ってる?」
シオンは少し黙った。
感情を言葉にするのは苦手だ。
でも今ははっきりしていた。
「うん」
小さな声。
けれど誰より強い響きだった。
「病気は仕方ない時もある」
「でもこれは違う」
シオンはゆっくり立ち上がる。
炎が瞳に映る。
「こんなの、駄目」
その瞬間。
オルディスの目がほんの少し変わった。
この少女は綺麗事だけで動いていない。
本気で止めようとしている。
街を壊すものを。
ジークが深く息を吐く。
「……とりあえず今日は戻る」
「情報整理だ」
自警団も疲弊していた。
怪我人もいる。
何よりこの事実は重すぎる。
シオンは頷いた。
だが帰る前にもう一度水路を見る。
「この水、しばらく使っちゃ駄目」
「下流にも伝えないと」
ジークが頷く。
「俺がやる」
ナギがぼそっと言った。
「……いつの間にか普通に協力してるね」
「うるせぇ」
でも少し笑っていた。
夜明け前。
一行は山を下り始める。
霧の奥に薄く朝日が滲んでいた。
その光を見ながらリリが小さく呟く。
「……街、どうなるんだろ」
不安そうな声。
シオンは少し考える。
そして静かに言った。
「たぶん大丈夫」
ナギが横を見る。
「根拠ある?」
「まだない」
「ないんかい」
少し笑いが漏れる。
シオンは朝霧の向こうルーメンを見つめていた。
壊れた街。
諦めかけた人たち。
でも。
「これから作るから」
その言葉は、
朝の冷たい空気の中で、
不思議なくらい真っ直ぐ響いた。




