第百四十一話
時計塔の扉は、鍵が掛かっていなかった。
シオンが押すと、
ギィィ……。
長い間、開かれていなかったような音が響いた。
中は暗い。
螺旋階段が、塔の上へ続いている。
壁には古い文字が刻まれていた。
春。
夏。
秋。
冬。
四つの季節を示す言葉。
その横には、それぞれ小さな絵がある。
芽吹く枝。
太陽。
紅葉。
雪。
けれど、そのどれもが途中で途切れていた。
まるで誰かが、季節の続きを描くことを諦めたように。
◇
シオンは階段を上っていく。
カチ。
カチ。
カチ。
小さな音が、塔の内部から聞こえてくる。
歯車の音だった。
だが、不規則だ。
動いている。
止まる。
また動く。
まるで息をすることさえ苦しんでいるようだった。
ガルドが耳を澄ます。
「こいつは……かなり古いな。」
「何年くらい?」
アカネが尋ねる。
「分からん。」
ガルドは歯車を見上げる。
「ただ、壊れたっていうより……」
言葉を探す。
「無理やり動かされてる。」
シオンが振り返った。
「無理やり?」
「ああ。」
「本来なら止まるところを、誰かが動かし続けてる。」
◇
最上階。
大きな機械室があった。
中央には巨大な歯車。
その奥に、一本の長い軸が通っている。
軸の先には四つの小さな歯車。
春。
夏。
秋。
冬。
それぞれに対応する歯車らしい。
しかし――
冬の歯車だけが止まっていた。
そのせいで、夏の歯車が進みきれず。
秋の歯車も回れず。
春の歯車も戻れない。
四つすべてが、途中で固まっている。
ガルドが唸る。
「これだ。」
シオンは歯車を見つめる。
「冬が来ないから。」
「違う。」
ガルドが首を振る。
「冬が来ないんじゃない。」
「冬の歯車が、回れなくされてる。」
◇
シオンは歯車へ近づいた。
指先で触れる。
冷たい。
けれど、その奥には微かな振動がある。
まだ生きている。
完全に壊れてはいない。
シオンは目を閉じる。
耳を澄ます。
カチ。
カチ。
その奥。
さらに深いところから、
――ドクン。
と響く。
シオンの目が開いた。
「……これ。」
「どうした?」
ナギが尋ねる。
「時計じゃない。」
三人が顔を見合わせる。
シオンは軸の奥を指差した。
「この時計。」
「時間を作ってない。」
ガルドが眉を寄せる。
「じゃあ何をしてる?」
「分けてる。」
「……何を?」
「流れ。」
その言葉に、シオンはこれまでの旅を思い出した。
炎神樹。
風神樹。
潮見の塔。
どれも、流れを守っていた。
炎。
風。
潮。
そして今度は――
時間。
別々に見えていたものが、少しずつ一つになっていく。
◇
シオンは薬箱を開いた。
診療記録に文字が浮かぶ。
診断
季節循環の停滞。
そして。
原因──外部からの干渉。
シオンの表情が変わった。
「外部……?」
アカネが覗き込む。
「何かが、この時計を止めてるの?」
シオンは頷く。
その時だった。
時計塔全体が揺れた。
ゴウン……。
床が震える。
天井から細かな砂埃が落ちてくる。
ナギが剣へ手を伸ばす。
「地震か?」
「違う。」
シオンが答える。
塔の外。
山の方から。
低い音が響いていた。
ゴォォォ……。
まるで大地の奥で、巨大な何かが動いている。
◇
窓へ駆け寄る。
北の山々。
その一角だけが、金色に輝いていた。
昨日より近い。
そして今夜は、その光が脈打っている。
明るくなる。
暗くなる。
明るくなる。
暗くなる。
まるで心臓の鼓動のように。
シオンは息を呑んだ。
「……あれ。」
薬箱の診療記録が、勝手にページをめくる。
最後の頁。
そこへ新しい文字が現れた。
患者は北にいる。
続いて。
しかし、病は北から来ているのではない。
さらに一行。
もっと遠くから来ている。
シオンは文字を見つめた。
これまで、北へ行けば答えがあると思っていた。
けれど違う。
北にあるのは、患者。
病の原因は――
もっと遠い場所。
◇
突然。
塔の鐘が鳴った。
ゴォォォン――。
真夜中の町へ、低い音が広がっていく。
一度。
二度。
三度。
止まらない。
町の家々から、人々が飛び出してくる。
「鐘が……!」
「何年ぶりだ……?」
「どうして今夜……?」
シオンたちは窓から町を見下ろした。
そして。
四度目の鐘が鳴った瞬間。
空から、白いものが一粒だけ落ちてきた。
雪だった。
アカネが手のひらを差し出す。
小さな雪は、すぐに溶けた。
「……雪。」
誰かが町の下で叫んだ。
「雪だ!」
歓声が上がる。
泣き出す人もいる。
笑う人もいる。
何年も待っていた季節が、ようやく戻ってきたのだ。
けれど。
シオンは笑わなかった。
雪は一粒。
それだけだった。
季節時計の冬の歯車は、まだ止まっている。
そして北の山では。
金色の光が、また一度。
大きく脈打った。
シオンは静かに薬箱を閉じる。
「急ごう。」
今度は、誰も理由を尋ねなかった。
四人は北へ向かう。
止まった季節を追い越すように。
その先で待つ、まだ見ぬ患者のもとへ。




