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辺境薬師の街づくり  作者: 灯野 しおん
第6章 「灰降る国」

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第137話

港町を発って三日。


 景色は少しずつ変わり始めていた。


 潮の匂いは薄れ、代わりに青草の香りが風へ混じる。


 街道の両脇には、小麦畑がどこまでも広がっていた。


 黄金色の穂が風に揺れ、まるで大地そのものが波打っているようだった。


 ナギが感心したように口笛を吹く。


「見事だな。」


 ガルドは麦を一本摘み取り、掌で転がした。


「もうすぐ収穫か。」


 アカネは道端へしゃがみ込む。


 紫色の小さな花が群生していた。


「シオン。」


「この花、知ってる?」


 シオンも隣へしゃがむ。


 花を傷つけないよう、そっと葉へ触れる。


 香りを確かめる。


「……眠草。」


「眠草?」


「熱を下げる。」


「でも。」


「少しだけ毒。」


 アカネは目を丸くする。


「薬にも毒にもなるの?」


 シオンは頷いた。


「量。」


「使い方。」


「それで変わる。」


 ガルドが笑う。


「お前らしい答えだな。」


 シオンは苦笑しながら、花を一本だけ採取した。


 必要な分だけ。


 根は残す。


 来年もまた咲くように。


 それが薬師の教えだった。


     ◇


 昼になると、小さな街へ着いた。


 石造りの家々が並び、広場では市が開かれている。


 焼きたてのパン。


 燻製肉。


 果物を煮詰めた甘い菓子。


 旅人や農夫の笑い声が広場を満たしていた。


 ナギの腹が盛大に鳴る。


 ぐぅぅ……。


 一瞬、広場が静まり返る。


 次の瞬間。


 近くの屋台の主人が豪快に笑った。


「兄ちゃん、いい腹の音だ!」


 周りの客もつられて笑い出す。


 ナギは耳まで赤くした。


「……笑うなよ。」


 アカネも吹き出した。


 ガルドは肩を震わせている。


 シオンまで口元を押さえ、小さく笑った。


 旅の疲れが、その笑い声で少しだけ軽くなる。


     ◇


 屋台の主人は焼きたての丸パンを差し出した。


「一本サービスだ。」


「旅人は腹いっぱい食って歩け。」


 ナギは何度も頭を下げる。


「ありがとう!」


 パンは外が香ばしく、中は驚くほど柔らかかった。


 シオンは一口食べ、思わず目を細める。


「……おいしい。」


「だろ?」


 主人は胸を張る。


「北の小麦は世界一だからな!」


 その言葉を聞いたガルドが笑う。


「じゃあ帰りにも寄らないとな。」


     ◇


 夕暮れ。


 街を出る頃には、西の空が茜色へ染まっていた。


 四人は丘の上で足を止める。


 風が麦畑を渡り、黄金色の波がどこまでも続く。


 シオンはその景色を静かに見つめた。


「きれい。」


 短い一言。


 けれど、その声には確かな感動があった。


 炎の村。


 風の村。


 海の塔。


 旅を続けるたび、この世界には守るべき景色が増えていく。


 だからこそ、薬師は歩き続ける。


 病だけではない。


 人の暮らしを。


 笑顔を。


 季節を。


 そのすべてを守るために。


     ◇


 夜。


 街道沿いで焚き火を囲む四人。


 薪が静かにはぜる。


 その火を見つめながら、シオンは薬箱へそっと手を置いた。


 今日は震えない。


 診療記録も開かない。


 まるで薬箱も、この穏やかな一日を大切に味わっているようだった。


 シオンは空を見上げる。


 満天の星。


 その中で、北の空だけが、昨夜と同じようにかすかに金色へ輝いていた。


 まだ遠い。


 けれど確実に近づいている。


 その光の先で待つ患者は、いったい誰なのだろう。


 シオンは静かに目を閉じる。


 明日もまた歩こう。


 一歩ずつ。


 薬師らしく。


 この世界の呼吸を聞きながら。

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