第百二十三話
フウカの後を追い、森の奥へ進む。
道は次第に細くなり、やがて小さな渓谷へたどり着いた。
澄んだ水が岩の間を流れ、小さな滝となって落ちている。
その上には、古い石橋が架かっていた。
橋そのものは頑丈だ。
苔は生えているが、大きなひびは見当たらない。
しかしシオンの視線は、橋ではなくその下へ向いていた。
「……止まってる。」
橋の下には、石で組まれた細い空洞が幾筋も通っていた。
風路。
昨日見つけた石畳の溝が、ここへ集まっている。
ガルドが身をかがめ、たいまつを差し入れる。
「中は広いな……。」
人が一人、かろうじて通れるほどの幅がある。
壁は滑らかに削られ、古代の職人の高い技術がうかがえた。
「ここが風の通り道か。」
ナギが感心したように呟く。
シオンは静かに頷いた。
耳を近づける。
炎神樹の時のように。
呼吸を聴くように。
しばらく目を閉じていたシオンは、ゆっくりと顔を上げた。
「……苦しい。」
その一言に、皆が息をのむ。
「風が。」
「息を吸えない。」
アカネは風路の奥を見つめた。
暗闇の先に、何かが詰まっているようにも見える。
◇
ガルドは荷物から細い縄を取り出した。
「俺が入る。」
「危なくない?」
アカネが心配そうに尋ねる。
ガルドは笑った。
「こういう穴は昔から得意でな。」
腰へ縄を結び、たいまつを手に風路へ潜り込む。
ゆっくり。
慎重に。
石壁を確かめながら進んでいく。
やがて声が聞こえた。
「おーい!」
「何かあるぞ!」
少ししてガルドが戻ってくる。
その手には、灰色の塊が握られていた。
昨日見つけた粉と同じ色。
しかし、こちらは拳ほどの大きさがある。
「石じゃないな。」
ガルドが指で押す。
表面は硬い。
だが、中は少し柔らかい。
シオンは受け取り、慎重に観察する。
匂いを嗅ぐ。
指先で削る。
薬箱から水を一滴落とす。
すると。
塊の表面がゆっくりと泡立った。
「……固まってる。」
ナギが首を傾げる。
「何が?」
シオンは答えた。
「樹液。」
「え?」
「神樹の。」
皆が風神樹を振り返る。
シオンは塊を掲げた。
「昔。」
「傷ついた。」
「その傷を治すため。」
「樹液が流れた。」
ガルドがはっとする。
「それが風路へ?」
シオンは頷く。
「少しずつ。」
「固まった。」
つまり、この詰まりは誰かが石を詰めたわけではない。
風神樹自身が傷を癒やそうと流した樹液が、長い年月をかけて風路を塞いでしまったのだ。
◇
フウカは胸元から、小さな木札を取り出した。
そこには古い文字が刻まれている。
老人がそれを受け取り、帳面へ書き写した。
大嵐の日。
雷が神樹を裂いた。
さらに続く。
村人は神樹を守るため、風路を修復した。
しかし、樹液が流れ続けていたことには気づかなかった。
ナギは静かに息を吐く。
「誰も悪くなかったんだな……。」
シオンは固まった樹液を見つめた。
「うん。」
「だから。」
「責めない。」
薬師が探すのは、罪ではない。
原因だ。
原因が分かれば、治療法も見えてくる。
シオンは風路の暗闇へ視線を向ける。
その奥から、ごくわずかに――
「……スゥ」
細い風が漏れてきた。
完全には塞がっていない。
まだ、神樹は呼吸を諦めていないのだ。
シオンは小さく微笑んだ。
「助かる。」
その言葉に、フウカの瞳がわずかに潤んだ。
彼女は初めて、胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。
声は出せない。
それでもその表情は、「信じたい」と静かに語っていた。




