第百二十二日
止まった風車
翌朝。
シオンは夜明けとともに家を出た。
朝露をまとった草が、足元で静かに光る。
村はまだ眠っていた。
煙突から細い煙が上がり始める。
井戸へ向かう人。
畑へ歩く人。
みな、互いに笑顔で会釈を交わしている。
言葉はない。
けれど、暮らしは止まっていなかった。
シオンは村の入口まで歩く。
そこには、大きな風車が建っていた。
村を見守るように立つ、高い木造の風車。
白く塗られていたであろう羽根は、年月を経て淡い灰色へ変わっている。
シオンは見上げた。
羽根は、ぴくりとも動かない。
「昔は回ってたんだろうな。」
ナギが後ろから歩いてくる。
シオンは頷いた。
「うん。」
足元には、落ち葉が積もっていた。
風が吹けば、とっくに飛ばされているはずの葉。
それが幾重にも重なり、小さな山を作っている。
シオンはその中へ手を入れた。
葉を一枚ずつどけていく。
「何探してる?」
ナギがしゃがみ込む。
「土。」
「土?」
やがて落ち葉の下から、石畳が姿を現した。
その表面には、細い溝が刻まれている。
村の中央へ向かって伸びる溝。
さらに風神樹の方角へ続いていた。
「これ……。」
ナギが指でなぞる。
「水路じゃねぇ。」
ガルドもやって来る。
しゃがみ込み、石をじっと見る。
「風路……か。」
その一言に、シオンは静かに頷いた。
石畳の溝は、人の指ほどの幅しかない。
しかし一本ではない。
何本もの溝が村中へ枝分かれしていた。
まるで血管のように。
あるいは木の葉脈のように。
「風の道。」
シオンが呟く。
村全体が、一つの仕組みになっている。
風神樹から生まれた風は、この溝に沿って流れ、村を巡っていたのだ。
◇
ガルドは風車の土台を調べ始めた。
木を叩く。
軸を回そうとする。
しかし羽根は動かない。
「壊れてるわけじゃねぇ。」
彼は首をかしげる。
「軸は生きてる。」
「なら、どうして……。」
その時だった。
フウカが静かに近づいてくる。
手には古びた木の板を抱えていた。
板には、細かな絵が描かれている。
風車。
石畳。
そして風神樹。
一本の青い線が、それらをつないでいた。
シオンは絵を見つめる。
青い線は、村中を巡っている。
家々の前を通り。
畑を抜け。
井戸を巡り。
最後に再び風神樹へ戻っていた。
「循環……。」
シオンの口から、小さく言葉が漏れる。
風は吹きっぱなしではない。
村を巡り、人々の暮らしを包み、また神樹へ帰ってくる。
まるで呼吸のように。
その流れが、この村の命だった。
◇
フウカは絵の端を指差した。
そこだけ黒く塗り潰されている。
十年ほど前の日付が記されていた。
さらに下には、一文だけ。
風路の修復、完了。
シオンは眉をひそめた。
「修復……。」
ナギも違和感を覚える。
「修理したのに、悪くなったってことか?」
フウカは静かに目を閉じた。
そして、ゆっくり頷く。
その瞳には、深い後悔が浮かんでいた。
シオンはもう一度、石畳の溝へ目を向ける。
――治そうとした。
その善意が、どこかで村の呼吸を変えてしまった。
もしそうだとしたら。
薬師として責めることはできない。
人は、誰かを助けたいと思って手を伸ばす。
その結果が間違ってしまうこともある。
だからこそ、原因を知り、正しい形へ戻さなければならない。
シオンは静かに立ち上がった。
「修復した場所を。」
「見せて。」
フウカは小さく頷き、森のさらに奥へと歩き始めた。
そこには、この村の運命を変えてしまった「たった一つの工事跡」が、今も静かに眠っていた。




