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辺境薬師の街づくり  作者: 灯野 しおん
第6章 「灰降る国」

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第百二十一話

その日の夕方。


 シオンは診療道具を片付けると、老人へ向き直った。


「お願い。」


 老人もフウカも静かにシオンを見る。


「少し。」


「ここで暮らしたい。」


 老人は目を丸くした。


 ナギも思わず振り返る。


「……暮らす?」


 シオンは頷く。


「病気は。」


「生活の中にある。」


 短い言葉だった。


 けれど、その意味は重かった。


「一日見ただけじゃ。」


「分からない。」


「朝。」


「昼。」


「夜。」


「みんながどう暮らしているか。」


「それを知りたい。」


 薬師見習いだった頃。


 師は何度も言っていた。


薬は患者ではなく、患者の暮らしに合わせて作れ。


 同じ熱でも。


 井戸水を飲める村と。


 水を運ばなければならない山村では。


 必要な薬も、治し方も違う。


 シオンはその教えを、ずっと忘れていなかった。


     ◇


 老人はしばらく考えると、小さく微笑んだ。


 そして帳面へ書く。


歓迎します。


空いている家があります。


 ナギが笑う。


「しばらく世話になるか。」


 ガルドは荷物を肩へ担ぎ直した。


「まずは寝床だな。」


 アカネも頷く。


「旅ばかりだったし、少し落ち着けそう。」


     ◇


 案内された家は、小さな木造の家だった。


 窓は大きく、湖からの景色がよく見える。


 炉には灰が残り、誰かが暮らしていた温もりがまだ残っている。


 けれど。


 壁際には、一枚の風車が立て掛けられていた。


 木で作られた、小さな風車。


 シオンは手に取る。


 外へ出る。


 空へ掲げる。


 ……動かない。


 一枚も。


 カタリとも。


 回らなかった。


 ナギが苦く笑う。


「風車が回らない村、か。」


 シオンは風車を見つめる。


 新品ではない。


 羽根の角は丸く擦り減っている。


 昔は毎日のように回っていた証拠だった。


「止まったのは。」


「最近じゃない。」


 アカネが頷く。


「何年も前……。」


 村全体が、風のない暮らしに慣れてしまっている。


 それが何より胸を締めつけた。


     ◇


 夜。


 夕食の席。


 老人の家には村人たちも集まり、長い机へ料理が並べられた。


 焼いた川魚。


 木の実を混ぜたパン。


 きのこの煮込み。


 山菜の和え物。


 どれも素朴だが、丁寧に作られている。


 食事が始まる。


 誰も話さない。


 食器の触れ合う音だけが部屋へ響く。


 コト……


 カチャ……


 静かだった。


 あまりにも静かだった。


 それでも。


 誰かがお皿を差し出せば、隣の人が自然に受け取る。


 パンが足りなくなれば、子どもが走って運ぶ。


 笑顔もある。


 優しさもある。


 言葉だけがない。


 シオンはその光景を静かに見つめていた。


 やがて、小さな女の子が立ち上がる。


 五歳くらいだろうか。


 両手でコップを持ち、シオンの前へ来る。


 そして、にっこり笑って差し出した。


 水だった。


「……ありがとう。」


 シオンが受け取る。


 女の子は嬉しそうに笑う。


 けれど、その口からは何も聞こえない。


 シオンは水を一口飲む。


 冷たい。


 澄んでいる。


 そして、女の子へ優しく微笑み返した。


「おいしい。」


 その一言で、女の子の笑顔は花が咲くように明るくなった。


 部屋のあちこちで、村人たちがその様子を見つめている。


 誰も声は出せない。


 けれど、その瞳には同じ願いが宿っていた。


 ――もう一度、この村に笑い声を。


 シオンは静かにコップを置く。


 薬師として。


 この村で最初に診るべきものが、ようやく見えてきた気がした。

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