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辺境薬師の街づくり  作者: 灯野 しおん
第6章 「灰降る国」

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第百十一話

市場の広場では、木剣を打ち合う乾いた音が響いていた。


「そこ!」


 軽やかな声とともに、一人の少年の木剣が弾かれる。


「あっ!」


 木剣がくるくると宙を舞い、芝生の上へ転がった。


「惜しかったね」


 笑いながら木剣を拾い上げたのは、アカネだった。


 肩まで伸びた赤い髪を後ろで束ね、動きやすい稽古着に身を包んでいる。


「もう一回!」


 少年は悔しそうに木剣を受け取る。


 その周りでは、十人ほどの子どもたちが目を輝かせながら順番を待っていた。


「姫さま、強い!」


 一人の少女が無邪気に叫ぶ。


 その呼び名に、アカネは困ったように笑った。


「もう姫さまじゃないよ」


 そう言いながら、木剣を肩に担ぐ。


「アカネ先生、かな」


 子どもたちが一斉に顔を見合わせる。


「先生?」


「剣を教えるんだから、先生!」


 アカネが胸を張ると、子どもたちは声を揃えた。


「アカネ先生!」


 広場に明るい笑い声が響く。


 少し離れた場所では、バルドが腕を組んでその様子を眺めていた。


「……立派になられた」


 隣にいた年配の騎士が微笑む。


「もうお守りするだけのお方ではありませんな」


 バルドは静かに頷いた。


「ああ」


「今度は、あの方が誰かを守る番だ」


     ◇


 一方、市場の通りでは。


「す、すみません!」


 大きな荷車がぐらりと傾いた。


 積まれていた野菜が今にも崩れそうになる。


 その瞬間だった。


「持ちます」


 すっと荷車を支えた青年がいた。


 カインだった。


「助かったよ!」


 野菜屋の店主が安堵の息をつく。


「ありがとう」


 カインは少し照れたように笑う。


「いえ……」


 その一言だけだった。


 けれど、店主は大きなキャベツを一つ手渡した。


「お礼だ!」


「え?」


「いいから持っていきな!」


 突然のことに戸惑う。


「でも……」


「人を助けたんだ」


「遠慮するな」


 温かな手が、キャベツを胸へ押し付ける。


 カインは何度か口を開きかけて、ようやく小さく頭を下げた。


「……ありがとうございます」


 その声を聞いた店主は豪快に笑った。


「よし!」


「いい返事だ!」


 その様子を少し離れた場所から見ていたシオンは、小さく頷く。


「元気」


 ナギが苦笑した。


「いや、そこは『良かったな』じゃないのか?」


 シオンは少し考えてから答える。


「元気だから」


「働ける」


「働けるから」


「笑う」


 ナギは肩をすくめる。


「……お前らしいな」


     ◇


 市場の賑わいから少し離れた坂道。


 一人の男が立ち止まっていた。


 ヴェルグだった。


 黒い外套のまま。


 静かに町を見つめている。


 笑い声が聞こえる。


 パンの焼ける香りが風に乗る。


 ありふれた日常。


 千年前、自分が守りたかった景色。


 けれど。


「……まだ」


 足が動かない。


 自分がこの町へ入っていいのだろうか。


 そんな迷いが、心のどこかに残っていた。


「ヴェルグ」


 振り向くと、シオンが立っていた。


 片手には、小さな紙袋。


「パン」


 それだけ言って差し出す。


 焼きたての湯気が、ふわりと立ちのぼる。


 ヴェルグは戸惑った。


「私に?」


「うん」


「朝ごはん」


 あまりにも自然だった。


 罪を背負った男へ向ける態度ではない。


 一人の人へ向ける、ごく当たり前の言葉。


 ヴェルグは紙袋を受け取る。


 まだ温かい。


 香ばしい香りが鼻をくすぐる。


 ふと。


 千年前の花畑が脳裏をよぎった。


『半分こしよう』


 笑いながらパンを割っていた、あの日。


 思い出に胸が締め付けられる。


 それでも今日は、不思議と涙は出なかった。


「……ありがとう」


 静かな声。


 その表情は、以前より少しだけ穏やかだった。


 シオンは町の方へ視線を向ける。


「行こう」


「みんな待ってる」


 ヴェルグは市場を見つめた。


 笑い合う人々。


 走り回る子どもたち。


 火山を見上げる老人。


 その光景をしばらく見つめたあと、小さく息を吐く。


「……少しだけ」


 ゆっくりと、一歩を踏み出した。


 それは千年ぶりに、自分の意志で未来へ向かう一歩だった。


 そのとき、広場の端でホタルが植えた白い花が、そよ風に揺れる。


 花びらが一枚、空へ舞い上がった。


 シオンはその花を見上げ、静かに微笑む。


 火山の庭には、もう恐怖ではなく、小さな希望が根を張り始めていた。


 あの日交わした約束は、終わったのではない。


 ここからまた、新しく育っていくのだった。

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