第百六話
世界樹が鳴いた。
いや。
泣いていた。
ゴォォォォン……
五本の神樹が。
同時に震えている。
枝は枯れ。
葉は舞い落ち。
世界から色が消えていく。
映像の中で。
人々が空を見上げる。
「何が起きてる?」
「世界樹が……」
「枯れていく!」
恐怖が広がる。
若きヴェルグは。
少女を抱きしめたまま。
必死に呼びかける。
「目を開けて!」
「まだ約束を果たしてない!」
少女は。
かすかに微笑む。
「……ごめんね」
細い声。
今にも消えそうだった。
「約束」
「守れそうにない」
ヴェルグは首を振る。
「違う!」
「絶対に助ける!」
「薬はまだある!」
薬草を取り出す。
調合を始める。
手が震えている。
焦りで。
薬草を取り落とす。
拾う。
また落とす。
薬師になってから。
初めてだった。
手が。
言うことを聞かない。
映像を見ていたシオンは。
静かに呟く。
「怖かったね」
ヴェルグは。
ゆっくり頷いた。
「あの日」
「初めて」
「薬師であることが怖くなった」
静寂。
炎竜も。
アルヴァも。
誰も口を開かない。
少女は。
震える手で。
ヴェルグの手を包んだ。
「ありがとう」
「いっぱい」
「頑張ってくれた」
「だから」
「もう泣かないで」
その言葉に。
ヴェルグの瞳から。
涙があふれた。
薬師として。
患者の前で泣いたことはない。
それでも。
この時だけは。
耐えられなかった。
その瞬間。
世界樹の中心から。
五つの光が降り立つ。
光の中には。
人影。
世界樹の守護者たちだった。
彼らは少女を見つめる。
そして。
静かに告げた。
「世界を救う方法は一つ」
「この娘の名を」
「世界から消すこと」
静寂。
誰も息をしなかった。
ヴェルグだけが。
一歩前へ出る。
「何を言っている」
守護者は続ける。
「名は魂をつなぐ器」
「その名がある限り」
「虚無は彼女を見つけ続ける」
「だから」
「名を失えば」
「虚無も彼女へ届かない」
シオンは目を閉じた。
ようやく分かった。
名前が消された理由。
世界樹は。
彼女を消したのではない。
守ろうとしたのだ。
しかし。
ヴェルグは叫ぶ。
「それは救うことじゃない!」
「生きていても!」
「誰にも思い出されないなんて!」
「そんなの!」
「死ぬより残酷だ!」
その叫びが。
炎脈に響き渡る。
ホタルは涙を流し。
アカネは胸を押さえた。
シオンだけは。
静かに診察記録を見つめる。
最後のページに。
これまで隠されていた文字が。
ゆっくりと浮かび始める。
『世界樹は一つだけ、未来へ託した。』
『いつか、名前を失った者を救える薬師が現れることを。』
その文字を見たシオンは。
何も言わなかった。
ただ。
そっと薬箱を抱きしめた。
それは偶然ではなかった。
世界樹は千年前から。
シオンという薬師を待ち続けていたのだった。




