第百三話
世界樹の診察記録。
最後のページ。
そこから。
柔らかな光が溢れ出した。
眩しい。
だが。
温かい光だった。
「これは……」
アカネが目を細める。
炎竜は静かに翼を畳んだ。
『記憶の回廊』
その声は。
どこか懐かしそうだった。
『世界樹が残した最後の記録だ』
光はゆっくりと広がる。
炎脈の景色が溶けていく。
黒い岩。
溶岩。
灰。
すべてが。
春の風景へ変わっていく。
青い空。
若葉の森。
花びらが風に舞う。
「きれい……」
ホタルが思わず呟く。
そこは。
千年前の世界だった。
五本の神樹は。
すべてが輝いている。
大地には命が満ち。
人々は笑っていた。
ナギは驚きを隠せない。
「こんな世界だったのか……」
その時。
森の向こうから。
笑い声が聞こえる。
「ヴェルグ!」
若い女性の声。
振り向くと。
一人の少女が走ってきた。
白い巫女装束。
長い銀髪。
優しい笑顔。
その姿を見た瞬間。
ヴェルグの呼吸が止まった。
「……」
声にならない。
少女は笑っている。
木漏れ日の中で。
幸せそうに。
若きヴェルグへ駆け寄る。
そして。
手を差し出した。
「今日も遅いよ」
「みんな待ってる」
若きヴェルグが笑う。
「ごめん」
「薬草を探してた」
シオンが小さく首を傾げた。
「薬草?」
炎竜が頷く。
『あの頃のヴェルグは』
『薬師だった』
静寂。
全員が驚く。
ホタルが目を丸くする。
「シオンと同じ?」
『ああ』
『命を救う者だった』
シオンは映像を見つめる。
若きヴェルグは。
子どもの擦り傷を治し。
老人へ薬を渡し。
困った人がいれば笑って駆け寄る。
今とはまるで違う。
誰よりも。
優しい青年だった。
アルヴァが苦しそうに呟く。
『そうだ……』
『あいつは』
『誰より人を助けたがる奴だった』
千年前の記憶が蘇る。
毎日のように言っていた。
「助かる命は助けたい」
それがヴェルグの口癖だった。
シオンは少し微笑んだ。
「似てる」
その一言に。
ヴェルグは困ったように笑う。
「……そうかもしれない」
その時。
映像の少女が。
空を見上げた。
笑顔のまま。
小さく呟く。
「最近ね」
「変な夢を見るの」
静寂。
風が止まる。
少女は胸へ手を当てる。
「真っ黒な海」
「誰もいない世界」
「泣いている子ども」
ホタルが息を呑む。
それは。
虚無の光景だった。
若きヴェルグは笑って言う。
「夢だよ」
「大丈夫」
「俺が守る」
少女は安心したように頷く。
だが。
世界樹の診察記録には。
冷たく。
新しい文字が浮かんだ。
『この日が、最初の発症である。』
誰も。
まだ気付いていなかった。
優しい日常が。
もう二度と戻らないことを。




