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辺境薬師の街づくり  作者: 灯野 しおん
第6章 「灰降る国」

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第百二話

「病の始まり」


世界樹の診察記録に浮かぶ文字。


『虚無侵食症・原初個体』


誰も言葉を発せなかった。


炎だけが揺れる。


静かな熱風が吹き抜ける。


ヴェルグはその文字を見て。


苦く笑った。


「やっぱり」


「そう呼ばれるか」


驚きはなかった。


もう。


自分でも分かっていた。


シオンは診察記録を見つめる。


文字が続いていく。


『発症から約千年』


『進行率 九十七%』


アカネが息を呑む。


「九十七……」


炎竜が静かに目を閉じる。


『ここまで生きていたこと自体が奇跡だ』


ヴェルグは小さく肩をすくめた。


「奇跡じゃない」


「止まれなかっただけだ」


その声には。


疲労しかなかった。


世界樹の診察記録に。


さらに文字が浮かぶ。


『発症原因を検索』


ページがひとりでにめくれていく。


一枚。


また一枚。


そして。


千年前の光景が映し出された。


まだ。


世界樹が五本とも輝いていた頃。


若いヴェルグ。


若いアルヴァ。


二人は並んで立っている。


笑っていた。


今では想像もできないほど。


仲の良い友だった。


ホタルが小さく呟く。


「……友達だったの?」


アルヴァは何も答えない。


ただ。


映像から目を離せなかった。


映像は続く。


世界樹の根元。


そこに。


一人の少女が倒れていた。


白い髪。


白い巫女装束。


胸元は黒く染まっている。


シオンがぽつりと言う。


「患者」


ヴェルグが静かに頷いた。


「ああ」


「最初の患者だった」


誰も知らなかった。


虚無侵食症は。


ヴェルグから始まったのではない。


もっと前。


一人の少女から始まっていた。


映像の中で。


ヴェルグは少女を抱き起こしている。


必死だった。


「死ぬな!」


「頼む!」


その叫びは。


今まで見せたことのないものだった。


若き日のヴェルグは。


泣いていた。


何度も。


少女の名を呼んでいた。


しかし。


肝心の名前だけが。


光に包まれ。


聞き取れない。


世界樹の診察記録にも。


そこだけは空白になっていた。


シオンが首を傾げる。


「名前がない」


炎竜が静かに答える。


『消されたのだ』


『世界樹そのものによって』


全員が息を呑む。


世界樹が。


名前を消した。


そんなことができるのか。


ヴェルグは遠い昔を見るように呟く。


「忘れたくて消したんじゃない」


「世界を守るために」


「彼女は自分の名前を代償にした」


静寂。


シオンは診察記録をそっと閉じる。


そして。


ヴェルグを見つめた。


「だから」


「ずっと探してたんだ」


ヴェルグは初めて。


驚いたように目を見開いた。


千年間。


誰にも理解されなかった願い。


世界を壊したかったのではない。


忘れられた一人を。


救いたかった。


ただ、それだけだった。


その瞬間。


世界樹の診察記録の最後のページが。


誰にも触れられていないのに。


静かに開いた。


そこには文字が一行だけ浮かんでいた。


『すべての始まりは、名を失った巫女の記憶にある。』

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