第8話 至高のドワーフすらも膝を折る――鍛冶師の神が示す、圧倒的圧倒の絶対領域
大陸全土にその名を轟かせる鍛冶師ギルド本部。その頂点に君臨するギルドマスターは、ドワーフのドワルドであった。
ドワルドの鍛冶師としての才能は、全大陸を見渡しても五本の指に入る。
若い頃から天賦の才で頭角を現し、長寿を誇るドワーフ族ゆえの数百年におよぶ研鑽によって、その技術は留まるところを知らず進化し続けていた。
鍛冶の腕においては天上の域に達しているという強烈な自負と、揺るぎない自信。それがドワルドという男の全身から発せられる圧となっていた。
そんなドワルドが、ここ最近、ひとつの報告に強い疑問を抱いていた。
王都から遠く離れた街道沿いの街――かつてはギルド長ガルドを除けば、駆け出し用のなまくら刀や農具の修理程度しかできなかった三流の鍛冶師ギルドが、突如として超高品質の武具を量産し始めているというのだ。あまりにも急激すぎる技術の向上。理由が皆目見当がつかない。
疑問を抱いていたある日、その街から本部に材料の発注にやってきた若い鍛冶師が、同僚との雑談でぽろりと漏らした言葉をドワルドの耳が捉えた。
「……あの神剣様を拝み始めてから、槌の振りが変わったんだよな」
「わかる。あの神々しい刀身を思えば、生半可な鉄など打てん……」
ドワルドは若い鍛冶師を問い詰めた。語られたのは、異世界の神剣『天之尾羽張』の存在。最初は「馬鹿馬鹿しい、神剣だと? 世迷い言を」と一蹴したドワルドだったが、ひとたび耳に入ったその存在が、どうしても頭から離れなくなった。
数百年にわたり鉄と向き合ってきた名匠の勘が、ただならぬ胸騒ぎを訴えかけている。
居ても立ってもいられなくなったドワルドは、ガルドに対し『直ちにその神剣とやらを本部に持参し、検分を受けよ』との厳命を下した。
しかし、返ってきた返答は、まさかの「否」であった。
「な……なんだと!?」
王都の本部執務室で、ドワルドは怒髪天を衝く勢いで机を叩き割らんばかりに激怒した。
本部のギルドマスター、それも大陸屈指の名匠であるドワルドの命令を突っぱねるなど、鍛冶師ギルドの歴史においてあり得ない暴挙である。
だが、命を懸けて拒絶したガルドには彼なりの絶対に譲れない理由があった。
神剣たる天之尾羽張様を安易に移動させることなど畏れ多すぎるという信仰心。
そして何より、本部に神剣を持ち込めば、その圧倒的な存在感ゆえに持ち主であるイゾルフごと本部に引き抜かれるのは目に見えている。
そうなれば、自分たちが日夜、朝晩と天之尾羽張を拝み、打粉を打ち、至福の祈りを捧げる時間が永遠に失われてしまうのだ。
ギルド長としての立場も、自らの命すらも投げ打つ覚悟で、ガルドは本部の命令を跳ね返したのである。
「ガルドの奴……我が命を拒んでまで、その剣を守ろうというのか……!?」
ガルドの異常なまでの頑なさは、ドワルドの好奇心と焦燥感を爆発させるのに十分すぎた。
どれほどの名剣か。どれほど恐ろしい品なのか。夜も眠れず、ベッドの中で我が手を見つめ、悶々とする日々。
そしてついに、ドワルドは常識では考えられない行動に出た。
「ギルドマスターが……鍛冶仕事を放り投げただと!?」
本部の幹部たちは蒼白になった。ドワルドといえば、どれほど高貴な貴族からの依頼であっても、一度叩き始めた鉄からは決して離れない誠実と信念の男だ。
そのドワルドが、打ちかけの鉄を炉に残したまま、ただ一言『出かける。探すな』とだけ書かれた紙を残し、王都を飛び出したのだ。
ドワルドは一人、街道を爆走し、ガルドの街へと乗り込んだ。
「ガルドぉぉぉッ!! 居るのは分かっているぞッ!!」
ギルドの重厚な木の扉が、ドワルドの蹴りによってけたたましい音を立てて開け放たれた。
青天の霹靂とはこのことか。静かだった工房の空気が一瞬で吹き飛び、鍛冶師たちが「ドワルド様!?」「なぜ本部のマスターがここに!?」と上を下への大騒ぎになる。
奥の鍛冶場から飛んできたガルドは、顔面を蒼白にさせ、冷や汗を滝のように流しながら膝をついた。
「ど、ドワルド様!? なぜこのような場所へ……!」
「抜かすなガルド! 決まっているだろう、今すぐその神剣を見せい! 断るならばこの場で貴様を鍛冶師の籍から叩き落とす!」
絶体絶命の圧力を前に、ガルドは覚悟を決めた。イゾルフの住む鍛冶場へとドワルドを案内する。
突如現れた伝説のドワーフの鍛冶師を前に、イゾルフは緊張のあまり平伏し、震える手で神剣を差し出した。
「天之尾羽張様……と申します。ドワルド様、大変差し出がましいのですが、絶対に触れないでください。見るだけにしてください……!」
「黙れ小僧! この我が鉄を見る目と手になんの指図をするか!」
イゾルフは恐る恐る、天之尾羽張を鞘から滑らせた。
シャリィン……。
刃が空気に晒された瞬間、ドワルドの全身の毛穴が一斉に開いた。
ドワルドの目が、職人としてのすべてを懸けてその刀身を捉える。
――違う。何もかもが、この世界の理から外れている。
西洋のまっすぐな剣とは異なる、優美で洗練された弧を描く刀身。見たこともない細やかな刃文。
そして、赤みを帯びた神秘的な光沢を放つ未知の金属。これこそが異世界の伝説に聞く『緋緋色金』。
数百年の知識と経験を持つドワルドだからこそ一目で理解できた。これは、技術の限界を超えた存在だ。人間の域、ドワーフの域すら遥かに超えた、完全なる『究極』。
(なんだ……この美しさは……! この研ぎ澄まされた存在感はなんだ……!?)
ドワルドの心が、凄まじい衝撃によって粉々に打ち砕かれる。イゾルフの忠告など、頭の隅から吹き飛んでいた。吸い寄せられるように、ドワルドの太い手が刃へと伸びる。
『不敬な!』
ビシッ――!!
「むむっ!?」
鋭い電撃がドワルドの手を弾いた。
普通の人間なら悲鳴を上げて転げ回るような衝撃だが、ドワルドはただ手に受けた痺れを無視し、吸い込まれるように天之尾羽張を凝視し続けた。
数分か、数時間か。時の感覚すら失われた静寂の中、あの絶対的な自信に満ち溢れていたドワルドの目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
数百年間、自分が積み上げてきた自負、プライド、技術。それらすべてが、この一振りの前にしては赤子の戯れに過ぎなかったのだと悟らされた。敗北感すらない。あるのは、ただ圧倒的な神威へのひれ伏しだけだ。
「か……神か……。神なのだな、これは……っ!」
ドワルドはドシリと膝をつき、床に額を叩きつけるように平伏した。
「ド、ドワルド様……?」ガルドが恐る恐る声をかける。
ドワルドは平伏した姿のまま、しかし目は一瞬たりとも天之尾羽張から逸らさず、瞬きひとつせずにその神々しい姿を焼き付けながら、低く重い声で命じた。
「ガルド……聞き届けるのだ。この天之尾羽張様は絶対の門外不出とせよ! 鍛冶師以外のいかなる者……王族であれ、勇者であれ、誰一人として見せることは許さん! 知られれば必ずや国を揺るがす争いになる! 天之尾羽張様は、我ら鍛冶師が一生を懸けて奉る『神』として敬え!」
「は、ははーっ!」
ガルドもまた、ドワルドの隣で深く平伏した。
「お主が我が命を断った無礼……一切を不問とする。いや、違うな。このような至高の存在を、我が命ごときで動かそうとした私こそが不敬であった。よくぞ……よくぞ我が命令を跳ね返し、天之尾羽張様をお守りした。あっぱれだ、ガルド!」
「勿体なきお言葉……!」
ドワルドは涙を流しながら、天之尾羽張の威光にただひたすらに平伏し続けた。
「今後、天之尾羽張様のことで何か不足があれば、私に直接申せ。本部の全財産、全権力をもって最速最短で対応する。よいな!」
拝顔を続けるドワルドのその真剣すぎる姿と重々しい言葉は、この神剣の存在がいずれギルドの枠を飛び越え、世界全体を巻き込む巨大な渦となって大騒動を引き起こす未来を、恐ろしいほどのリアルさで予言しているかのようであった。




