第3話 神剣の呪縛と強欲な村長――辺境の平穏を食い荒らす強奪者の影
ジャックは、震える手で自身の掌を握りしめ、足早に森を抜けた。焦げた皮膚からは異様な臭気が立ち上っている。だが、彼は恐怖を押し殺し、ただ一言、心に誓っていた。
(あの剣は……、何かが違う。人間が触れていい代物じゃない。……イゾルフの奴、とんでもないものを隠し持っているな)
家に戻ると、妻であり村随一の薬師であるマリアが、異変を察して駆け寄ってきた。
「あら、ジャック。その手はどうしたの? まるで焼印を押し付けられたような……」
「マリア、何も聞くな。ただ、この火傷を治してくれ。それと、イゾルフの家には近づくなよ。……あそこには、『触れてはならない神』がいる」
その様子を、物陰から見ていた影があった。ジャックの一人娘、エリスだ。父が激しい痛みに喘ぎ、妻に治療を懇願する姿を、彼女や息を潜めて覗いていた。父は普段、どんな大怪我をしても平然としている強者だ。その父が、怯えている。
「イゾルフのお兄ちゃんの家で……一体、何があったの?」
好奇心と不安に駆られ、エリスは駆け出した。鍛冶場に到着すると、そこにはいつものように鉄を打つイゾルフと、テーブルの上で妖しく青白く輝く一本の古剣があった。
「……ッ!」
イゾルフは気配を察して振り返った。その瞳には、かつてない焦燥が浮かんでいる。
「エリス! 入ってくるな!」
「何があったの、イゾルフお兄ちゃん! 父さんが、手が焦げたって帰ってきたのよ!」
エリスの鋭い追及に、イゾルフは言葉を詰まらせる。その時、剣から冷ややかな思念が流れ込んできた。
『ふん、小娘か。イゾー、隠しても無駄だ。我の存在を感じ取れる者は、すでに我の一部に組み込まれているも同然』
剣が放つ圧倒的な威圧感に、エリスはその場に崩れ落ちた。ただの鉄ではない。それは意志を持つ神そのものだった。
「わ、私……見たことを誰にも言わないから……っ!」
エリスは涙目で約束した。イゾルフは彼女の肩を抱き、必死に懇願する。
「頼む、エリス。この剣のことは誰にも言わないでくれ。知られれば、この平和な村は滅びる」
しかし、運命は残酷だ。翌日、村の広場で同世代の娘たちと水を汲んでいたエリスは、つい口を滑らせてしまった。父の怪我が心配でたまらなかったのだ。
「……イゾルフお兄ちゃん家にある、あの剣のせいだと思うの。見たこともないくらい綺麗で、でも、すごく怖い剣で……」
その噂は、瞬く間に村中を駆け巡った。そして、最も知られてはならない人物の耳にも届いた。
村の統治者、現村長。かつての英雄ゾネントアの息子でありながら、その矜持を微塵も継承していない男。名をゾネルス。権力と暴力に溺れる彼は、イゾルフの剣の話を聞くや否や、醜悪な笑みを浮かべた。
「ほう……父が死に、私が後を継いでからは退屈なことばかりだと思っていたが。神剣、だと?」
村長は、裏で繋がっている極悪冒険者パーティ『赤き牙』を呼び出した。彼らは金のためなら村一つを壊滅させることも厭わない、卑劣な連中だ。
「イゾルフとかいう薄汚い鍛冶師を始末し、あの剣を奪ってこい。もし抵抗するようなら、家ごと焼き払って構わん」
その頃、鍛冶場では――。
『イゾー、不穏な気配が近づいている。随分と下卑た、殺意の臭いがするぞ』
天之尾羽張が愉悦に満ちた声を出す。イゾルフは金床に手を置き、震えながらも覚悟を決めた。
「来るのか……」
『来ればいい。我は神だ。かつてあの国を滅ぼした時のように、蹂躙してやろう。お主が我を磨き続ければ、その程度の人間、塵にも等しい』
鍛冶場の扉が、轟音と共に蹴破られた。
現れたのは、返り血で赤く染まった外套を纏った『赤き牙』のリーダー。冷笑を浮かべ、錆びた剣を突きつける。
「おい、小僧。神剣を差し出せ。さもなくば、お前をその金床の上に磔にして、生きたまま焼き殺してやるぞ」
イゾルフは立ち上がった。その手には、天之尾羽張。
影の薄かった弱々しい鍛冶師は、今や神殺しの刃と共に、修羅の道へと足を踏み入れた。
「……俺の、大切な剣に触るな」
鍛冶場に満ちたのは、鉄の焼ける臭いではなく、神の怒りに満ちた静寂だった。
辺境の村で、英雄の息子が引き起こす最悪の強奪劇。その結末を知る者は、この時まだ誰もいなかった。イゾルフの平穏な日常が終わり、伝説が本当の意味で産声を上げたのだ。




