第19話 世界を救いし勇者の過信――神剣の真威を知らぬ英雄、一瞬の露と消ゆ
魔王を討ち倒し、世界を脅かした邪神の完全封印を果たした世界を救いし英雄――勇者アサギ。
彼とそのパーティーは、ついに栄光の凱旋を果たした。
討伐後、勇者パーティーの仲間たちはそれぞれの道を歩んでいた。
奇跡の力を振るった聖女と質実剛健なる聖騎士は、人々の傷を癒すべく大聖堂へと戻っていった。
そして稀代の天才と謳われた魔法使いは、大陸の国々からの莫大な報酬として『妖精の森』の領有権を譲り受け、森の奥深くへと引きこもった。
しかし、魔法使いがその森に引きこもった本当の理由は、森の地下深くに封印した『邪神の頭部』を監視し、封印を維持し続けるためであった。その事実を知る者はごくわずかである。
やがて、勇者アサギの偉業を称える盛大な凱旋パレードが、王都の大通りで執り行われた。
しかし、そのパレードはあまりにも異質であった。世界を救った英雄を前にしているというのに、街を覆う空気はどこまでも重く、冷ややかだったのだ。
花吹雪はまばらで、民の歓声にも覇気がない。貴族たちに至っては、青ざめた顔で互いに顔を見合わせ、引きつった笑みを浮かべるのが精一杯であった。
それもそのはずである。
神剣を巡る欲望の果てに、冒険者ギルドは崩壊。国中の鍛冶師が一斉に撤退したことで、農具の修理すらできず、兵士の装備は錆びつき、冒険者は一人残らず去っていった。
さらに武威の衰退を察知した周辺国からは、いつ侵略されてもおかしくない絶望的な包囲網が敷かれている。
国民も貴族も、明日をも知れぬ恐怖で心の底から祝宴を楽しむ余裕など微塵も残っていなかったのだ。
「一体どういうことだ……? 魔王を倒したというのに、なぜ街がこれほどまでに衰退し、人々が怯えているのだ?」
王城の玉座の間で、勇者アサギは眉をひそめ、国王へ詰問した。
対する国王は、滝のような脂汗を流しながら、己たちの悪逆非道な強欲さをすべて隠蔽し、保身に満ちた捏造の物語を勇者へと吹き込んだ。
「おお、勇者様……実は、凶悪無比なる『首斬り』という凄腕の殺し屋が現れたのです! その悪党は我が国の忠実なる一千名の騎士隊を言葉巧みに油断させ、惨殺しおった……! その恐怖のせいで職人も冒険者も逃げ出し、国がこのような有様になってしまったのです……!」
「『首斬り』か! 一千名もの騎士を惨殺した稀代の殺し屋とは、聞き捨てならんな」
勇者は国王の見透いた嘘をまんまと真に受け、激しい正義感を燃やした。国王は胸を撫で下ろし、わざと誤解を解かずに哀れっぽい顔で手を握りしめた。
「話は分かった。この俺が、一千名の騎士たちの仇を打ち、その殺し屋を成敗してやろう!」
「おおお! 勇者様、感謝いたしますぞ! どうか、我が国を救ってくださいまし!」
国王は手を叩いて歓喜した。国を衰退させた根本の原因である『首斬り』――イゾルフを討ち取りたいのは山々だったが、一千の精鋭を一人で全滅させるような悪魔相手に名乗りを上げる剛者など、国には誰一人として残っていなかったのだ。
勇者は早速、討伐の協力を仰ぐため、大聖堂にいる聖女と聖騎士の元へと向かった。仲間であれば快諾してくれると疑わなかったアサギだったが、聖女の口から返ってきたのは冷たい拒絶であった。
「否です、アサギ。私はその要請をお受けできません」
「なぜだ!? 一千の騎士を殺した凶悪な殺し屋なんだぞ!?」
聖女は静かに首を振った。教会は王国の汚い情報網とは別に、独自の情報網を持っている。事の実態――強欲な衛兵隊長と領主が宝剣を奪うために鍛冶師ギルド長を惨殺し、追い詰められた鍛冶師たちが正当防衛として立ち上がった経緯を、ほぼ正確に把握していたのだ。
「私には、鍛冶師たちが一方的に悪いとは思えません。確かに多くの命が失われたことは悲劇ですが、最初に理不尽な暴力と強奪を仕掛けたのは王国側です。殺された鍛冶師ギルド長ガルド様の無念を思えば、彼らだけを悪と断じることなど不可能です」
「何を言っているんだ! どんな理由があろうと、一千人も殺した奴が正しいわけがないだろう! 国王様が嘘をつくはずがない!」
国王の言の葉を疑いもしないアサギは、聖女の真摯な言葉に耳を貸そうとしなかった。不毛な平行線のまま大聖堂を飛び出したアサギは、次に妖精の森へと向かい、魔法使いに協力を求めた。
しかし、森の奥で封印の魔法陣を維持していた魔法使いもまた、険しい顔で首を横に振った。
「無理よ、アサギ。邪神の頭部の封印が不安定で、私が一瞬でもこの場を離れれば、世界に再び災厄が解き放たれるわ。それに……胸騒ぎがするの。その『首斬り』に関わるべきではないわ」
「チッ……仲間たちがどいつもこいつも臆病になりやがって! いいさ、俺一人でその首斬りとやらを叩き斬ってやる!」
過信と功名心に目を眩ませた勇者アサギは、仲間たちの制止を振り切り、一人で『首斬り』の討伐へと向かった。
◇◇
その頃、鍛冶師ギルドの一行は、王都の本部を目指していた街道から引き返し、ドワルドの命に従ってドワーフの王国へと足を進めていた。
街道を整然と進む一行の前に、一人の男が立ち塞がった。金色の甲冑を纏い、背に眩い聖剣を背負った男――待ち伏せしていた勇者アサギである。
「待て! お前たちが『首斬り』の一行だな!」
先頭にいた副ギルド長が、不審そうに顔を歪めて誰何した。
「誰だお前は! 俺たちに何の用だ!」
「俺の名は勇者アサギ! 魔王を討ちし勇者だ! 一千の騎士たちの仇、そして王国の平和を乱す悪党『首斬り』を退治しに来た!」
「王国の差し金か……! あんな腐りきった国にまだ味方する愚か者がいたとはな!」
副ギルド長が憎々しげに吐き捨てる。アサギはフッと不敵な笑みを浮かべ、腰の聖剣に手をかけた。
「ふっ、差し金とはおかしな言いぐさだな。理由がどうあれ、王国の治安を乱し、大量虐殺を犯した者は成敗する! それが正義だ!」
その時、怒りに震える鍛冶師たちの後ろから、一人の青年がよろよろと前に出てきた。
「……俺が、その『首斬り』と言われている者だ」
静かすぎる、起伏のない声。
そこにいたのは、威風堂々とした豪傑でも、邪悪な笑みを浮かべる殺人鬼でもなかった。痩せこけた体躯、ボロボロの服、そして何より――光を完全に失った「死んだ魚の目」をした青年、イゾルフだった。
八百人以上の騎士をその手で殺め、ガルドを失った悲しみと罪悪感によって、イゾルフの心はすでに壊れかけていたのだ。
「イゾルフ! ダメだ、お前は下がって休んでいろ!」
「そうだ! こんな奴相手に、お前が手を汚す必要はない!」
鍛冶師たちが口々にイゾルフを気遣い、彼を庇うようにして勇者の前に立ち塞がった。
(な……何だ、あいつは……?)
想像していた凶悪な殺し屋の姿とあまりにもかけ離れたイゾルフの容姿に、勇者アサギは一瞬、激しい違和感と疑念を抱いた。
(こんな痩せっぽちで、生きる気力すらなさそうな青年が……本当に一千の騎士を殺したというのか? 何かの間違いでは……)
しかし、アサギの頭に浮かんだのは、国王から受けた称賛と「英雄」としてのプライドだった。ここで引けば、勇者の名が廃る。理由はどうあれ、首斬りを倒せば俺の栄光は揺るぎないものになる。
アサギは違和感を力ずくで押し殺すと、背中の聖剣を一気に引き抜き、上段へと構えた。聖なる光が刀身を包み込み、眩い威圧感が周囲を払う。
「行くぞッ! 王国の裁きを受けよッ!」
アサギが全身から激しい殺気を解き放ち、イゾルフ目がけて踏み込もうとした――まさに、その超絶の一瞬。
――シャリィン。
澄み渡る鈴の音のような一閃。
「……え?」
踏み込もうとした勇者アサギの視界が、唐突にぐらりと垂直に傾いた。
ガシャアン!
黄金の甲冑を纏った勇者の体が、勢いのまま前へ倒れ込み、地面に激しく衝突した。その首元から、綺麗な断面を残して首がすぽんと離れ、黄金の光を放っていた聖剣もろとも、一瞬にして地面へと転がり落ちた。
踏み出す暇すら与えられなかった。
聖剣を構え、英雄としての威光を誇示しようとしたそのコンマ一秒の間に、イゾルフの腰から放たれた『天之尾羽張』の神威が、勇者の首と聖剣を同時に一刀両断していたのだ。
血柱が静かに上がり、地面を黒く染めていく。
世界を救い、魔王すら討ち倒した伝説の勇者アサギは、神剣の絶対的な真威の前に、己が何をされたのかすら理解できぬまま、一瞬の露となって消え去った。
『ハッ……魔王を倒した勇者とやらがこの程度の豚か。我が威光の前に、名ばかりの聖剣などただのなまくらに過ぎんわ』
脳内で尊大に鼻を鳴らす天之尾羽張の声。
しかし、イゾルフはその言葉にも一切応えず、ただ死んだ魚のような瞳で転がる勇者の首を見つめ、静かに、ただ静かに歩みを進めるのであった。




