第18話 滅びゆく愚行の王国――八百の首無し死体が招く狂乱と、神を奪われた国の末路
「ぜ、全滅だとおおおっ!?」
侯爵の執務室に、天地を揺るがすような悲痛な叫びが響き渡った。
生気が抜け落ち、恐怖でガタガタと膝を震わせる生き残りの騎士から報告を受けた侯爵は、目を血走らせてデスクの上の高級な書類や調度品を叩き割った。
「ば、馬鹿な! そんな事があるわけがないだろうがッ! 我が精鋭の一千だぞ!? キラルバ将軍はどうしたッ!? 剛力のダンガスは!? 秘剣のマグワは!? 皆殺しのクマンはどこへ行ったのだッ!?」
自慢の剛者たちの名前を狂ったように叫び散らす侯爵。しかし、膝をつく騎士は涙と鼻水に顔をぐしゃぐしゃに歪め、絞り出すような声で残酷な現実を告げた。
「み……皆……皆、首を斬られました……! 抵抗すら許されず、あの『首斬り』のガキ一人の前に、一瞬で首を跳ねられて……っ!」
「嘘だあぁぁぁッ!!」
侯爵は頭を抱え、床に崩れ落ちて狂乱した。自らの強欲と傲慢が招いた、あまりにも致命的な大敗北であった。
翌日、惨劇の舞台となった夜営地へと足を踏み入れた検分隊の者たちは、足を踏み入れた瞬間に一斉にその場にひざまずき、胃の中の物を激しく吐き戻すこととなった。
視界を埋め尽くしていたのは、あまりにも凄惨な地獄絵図。
どこを見渡しても、首を失った甲冑姿の死体が転がり、地面は凝固した赤黒い血で泥沼と化していた。その数、なんと八百名以上。風に乗って運ばれてくる濃厚で腐敗しかけた血の匂いは、鼻孔を刺し、息をするだけで吐き気を催させた。
「ひ、酷すぎる……! 全員……全員首を一刀両断されているぞ……!」
事後処理だけでも、膨大な人員と費用がかかるのは明白だった。しかし、放置することなど到底許されない。これほどの大量の死体と濃厚な血の匂いを放置すれば、この世界特有の怪異が湧き出すからだ。成仏できぬ念が悪霊となり、スケルトンやゴーストといったアンデッドモンスターへと化けてしまう。
さらに恐ろしいのは、血の匂いに誘われて周囲の森や荒野から集まり始めた無数の魔獣たちだった。
不気味な粘液を垂らすスライムの群れ、目を赤く光らせた狼の魔獣、凶暴なコボルト、ゴブリン、そして巨体を揺らすオークまでもが、肉の匂いに狂ってちらほらと夜営地の跡地へ集まり始めていたのだ。
「急げ! 魔獣どもを退治しながら遺体を回収し、埋葬するんだ! 手遅れになれば……この血の匂いで『スタンピード(魔獣の大暴走)』が起きるぞッ!」
現場に付き添った騎士たちは、集まる魔獣を必死で剣や槍で退治しながら、吐き気と恐怖に震えて遺体の回収と埋葬作業を進めた。だが、その顔には生気がなかった。
この惨劇と「首斬り」の恐怖の噂は、あっという間に暴風のような勢いで国中を駆け巡った。
イゾルフの圧倒的な神威の前に命からがら逃げ出し、生き残った騎士たちが語る恐怖の体験談。そこから尾ひれがつき、「千人斬り」「無言の殺し屋」「首を数える悪魔」という恐ろしい異名が一人歩きを始め、民や兵士たちの恐怖を何倍にも倍増させていった。
◇◇
一方その頃、王都の鍛冶師ギルド本部。
トップである最高峰のドワーフ、ドワルドの瞳には、冷徹極まりない「絶望」と「切り捨て」の光が宿っていた。
「愚かな人間どもめ……完全にこの国に見切りを付けたわ」
イゾルフと天之尾羽張様に一切手を出さぬよう、あれほど何度も警告と忠告を重ねてやったというのに、帰ってきた返答が侯爵による一千名の騎士隊の派兵と全滅だ。
天之尾羽張様を絶対の『神』と崇めるドワルドや本部の古参鍛冶師たちにとって、神の使徒であるイゾルフを脅かし、神剣を強奪しようとしたこの王国の罪は、到底許し難い死罪に相当する冒涜であった。
ドワルドは即座に決断を下し、国中に散らばるすべての鍛冶師へ向けて絶対の通達を発令した。
『本日をもって、我らはこの不浄なる王国を見捨てる。すべての鍛冶師は道具を纏い、我とともにドワーフの故郷『ドワーフ王国』へと帰還せよ。もしこの国に残る者がおれば、今後一切、ドワーフ王国からの支援、技術提供、および後ろ盾を剥奪する』
この通達が巡った瞬間、王国の貴族たちは大パニックに陥った。
本気で国から職人が消え去ろうとしているのだ。
「ドワルド殿! どうか、どうかお考え直しをぉぁっ!」
国王自らがドワルドの前に幾度となく出向き、なりふり構わず頭を下げて撤退の撤回を乞い願った。しかし、神を冒涜されたドワルドの決意は鋼よりも硬かった。
「黙れ、国王。神を冒涜し、欲望に目を眩ませた豚の国に用はない。我らの決意は固い。二度と我が耳に撤回などという戯言を吹き込むな」
完全に聞く耳を持たないドワルド。
追い詰められた王国の貴族たちは、生き残るための最後の手段として、貴族会義の総意により、事態を悪化させた元凶である侯爵の爵位を剥奪し、全領地と全財産を没収するという断罪を下した。
国王はその処分を告げる書状を手に、縋り付くようにドワルドへと告げた。
「ド、ドワルド殿! 元凶である侯爵は爵位を剥奪し、領地も財産もすべて没収した! 責任はすべて彼奴に取らせたのだ! だから……だからどうか撤退だけは……!」
だが、ドワルドは冷ややかな一瞥を国王に向けただけだった。
「遅すぎる。蜥蜴の尻尾切りで神の怒りが収まるとでも思っていたのか?」
ドワルドの意思が変わることは二度となかった。
重い沈黙の中、ドワルドを筆頭とする数千の鍛冶師たちは、整然と列をなして王都の門をくぐり、この国から完全に去っていったのである。
この壊滅的な状況を知った隣国たちの反応は、素早く、そして冷酷だった。
ある国は、国を捨てた天才ドワルドと鍛冶師たちを自国へ招き入れようと破格の条件で使者を飛ばした。またある国は、武具の生産能力を失ったこの王国に対し、粗悪な武器や防具を通常の数十倍という暴利の高値で売りつけようと画策した。
そして、軍事力が大幅に低下し、兵士の甲冑すら修理できなくなったこの王国の窮状を見透かした強大な隣国たちは、淡々と国境沿いに軍を集め、領地を奪い取るための侵攻計画を練り始めていた。
鍛冶師のいなくなった国に、自分の命を預ける冒険者たちが留まるはずもない。高品質な武具も、修理してくれる職人もいない街から、冒険者たちは雪崩を打って脱出していった。
神の威光を軽んじ、一人の青年の平穏を踏みにじった報い。
衰退と崩壊への坂道を、この王国はただ惨めに、そして確実に転がり落ちていくのであった。




