第17話 深夜の屠殺場と化した野営地――神剣の舞う夜、一千の猛者どもを喰らう『首斬り』の行軍
侯爵が派遣した一千名もの大規模な騎士隊は、鍛冶師たちが体を休めている街を目指して街道を進軍していた。
どれほど巨大で精鋭揃いの軍勢であろうとも、人間である以上、二十四時間休まず走り続けることなど不可能だ。
腹が減れば食事を摂らねばならず、夜が更ければ身体を休めるために睡眠を必要とする。
一千の軍勢は街の手前にある平原に巨大な野営地を張り、篝火を焚いて眠りにつくこととなった。
その夜。鍛冶師たちが休む街の頑丈な城壁を、イゾルフは天之尾羽張の秘められた神威の力で、まるで重力を感じさせないかのように軽々と跳び越えた。
着地したイゾルフは、闇の奥で無数に揺らめく野営地の篝火を見つめ、迷いなく足を進めていく。ガルドを奪われた怒りと悲しみは、今や冷たく静かな『死の意思』となってイゾルフの全身を満たしていた。
一千の騎士全員が泥のように眠りこけているわけではない。夜営地の外縁部には、武器を手にした見張りの騎士たちが退屈そうに巡回していた。
「はん、たかが鍛冶師の老いぼれやガキども相手に、なんで俺たちがこんな念入りな警戒をしなきゃならんのだ」
「まったくだぜ。こっちは一千の精鋭軍勢だぞ? 命が惜しけりゃ戦う気なんて起きるわけねえっての」
「そうそう、俺が向こうの立場なら、一千の甲冑を見た瞬間に泣いて土下座するね」
「ハハハッ! 違いねえや!」
見張りの騎士たちは完全に気が緩みきっていた。侯爵家自慢の圧倒的な数と権力を背景に、敵などハエ同然だと舐めてかかっていたのだ。
その油断し切った男たちの前に、夜の深淵から滑らかに歩み寄る一人の青年の影があった。
「ん……? おい、誰だあいつ」
「おいおい、ここが侯爵家直属の騎士隊の夜営地だって分かってて近付いてんのか?」
「へっ、浮浪児か? 生憎だが、お前に恵んでやる飯なんてねえぞ」
「さっさと往ね! しっ、しっ!」
ゲラゲラと下品に笑いながら、手を振って追い払おうとした見張りの騎士。その男の笑みが途切れた。
ズシャッ。
「……え?」
何の予兆もなく、男の首が胴体から滑り落ちた。首を失った胴体が、甲冑の重苦しい音を立てて泥の中に倒れ込む。
「1人」
イゾルフの低く、冷え切った呟きが夜風に溶ける。
「おい……!? どうし――」
隣にいたもう一人の見張りが、状況を理解できずに息を飲んだ瞬間、その首も綺麗な断面を描いて宙を舞った。
「2人」
イゾルフと天之尾羽張の屠殺が始まった。
音もなく、血飛沫すら刀身に残さず、ただ淡々と、機械的に騎士たちの首を切り落としていく。暗闇の中で刃が光るたびに、胴体が倒れる音だけが静かに重なっていく。
「18」
「19」
やがて、交替のために巡回してきた別の見張りが、異様な静寂と泥臭い匂いに違和感を覚えた。
篝火の明かりが照らし出したのは、首を失った同僚たちの凄惨な死体が、野営地の入口付近にゴロゴロと転がっている地獄絵図だった。
「う……嘘だろ……!?」
「く、首斬りだぁぁぁッ! あの前街の二十人を一瞬で全滅させた『首斬り』が出たぞぉぉっ!」
二十名の重装騎士を一撃で首切断によって葬り去ったイゾルフの噂は、いつしか恐怖の二つ名『首斬り』として、騎士たちの間でも密かに囁かれていたのだ。
「皆起きろッ! 首斬りだ! 首斬りの襲撃ッ!」
「俺は隊長に知らせてくる! 敵はたった一人だ!」
一瞬にして蜂の巣をつついたような騒ぎとなる野営地。飛び起きた騎士たちが鎧を半ば引っ掛け、剣を抜き散らかしてイゾルフを探す。
「いたぞ! 首斬りだぁッ! 囲めッ!」
騎士たちが怒号を上げ、武器を振りかざしてイゾルフの元へとなだれ込んでくる。
しかし、イゾルフは逃げることも身構えることもしなかった。まるで静かな夜の庭園を散歩でもしているかのように滑らかな足取りで、襲い来る騎士たちの群れの中へと歩み寄っていく。
そして、緋緋色金の刀身が、夜の闇の中で美しく舞った。
まるで優雅な舞踏を踊っているかのような動作。イゾルフの手足に激しい力みはない。静かで、ゆるやかな、極めて効率的な最小限の動き。
しかし、イゾルフが通り抜ける軌跡の上に立つ騎士たちの首が、磁石に吸い寄せられるかのように次々と滑り落ちていく。
「124」
「125」
「126」
「127」
「128」
「129」
激しさなど微塵もない。しかし、確実に首が飛ぶ。
襲いかかる騎士たちは、己の剣がイゾルフに届く前に、なぜ自分が首を斬られているのかすら理解できずに絶命していく。吸い込まれるようにイゾルフの周りに死体の山が築かれ、黒赤い血の池が広がっていく。
「341」
「342」
「343」
「344」
「何だと!? 首斬りが出ただと!? なにを慌てている、さっさと捕縛したのだろうな!?」
「はあ!? 大勢殺されているだと!? たかが一人の鍛冶師相手に情けない奴らめ、どれ、俺が行って片付けてやる!」
狂乱する野営地の奥で、侯爵自慢の騎士隊の中でも『剛の者』と称される猛者や、隊長格、数十年の修羅場を潜り抜けてきた古参騎士たちが知らせを聞いて立ち上がった。彼らは己の武芸に絶対の自信を持ち、威勢良くイゾルフの元へと向かっていった。
だが――彼らもまた、ただの数合わせに過ぎなかった。
凄腕の剛者であろうと、熟練の隊長であろうと、イゾルフの振るう神剣の前では等しくただの肉の塊。死体の数は、留まることを知らずに跳ね上がり続けた。
「439」
「440」
「441」
「442」
流石に四百を超え、全体の半数近い死体が積み上がると、野営地全体に吐き気を催すほどの濃密な血の匂いが充満した。篝火に照らされた地面は赤黒い泥流と化している。
「ば、馬鹿な……! は、半数近く殺されているだと……!?」
この千名の大軍勢を率いる最高責任者である将軍が、騒ぎと異常な血臭に飛び起き、幕僚からの連絡を受けた時には、すでに半数以上の部下が首を失って転がっていた。
「剛力ダンガスはどうしたッ!? 秘剣のマグワは!? 皆殺しのクマンはどこへ行ったッ!?」
将軍が血相を変えて有名どころの猛者たちの名前を叫ぶ。報告に走ってきた騎士は、全身をガタガタと震わせ、絶望に満ちた声で答えた。
「……み、皆……殺されました……! 一撃……たったの一撃で、首を跳ねられて……!」
「ひぃ……!? 全、全員起こせッ! か、数で攻めるのだ!! 奴を包囲して圧殺しろぉぁっ!」
将軍が狂乱して叫んだその時。
スっと、将軍の巨大なテントの入口の幕がめくれ、冷たい夜風が室内に吹き込んできた。
「……っ!?」
将軍と幕僚たちが、引きつった顔で入口を見つめる。
そこに立っていたのは、血の一滴すら浴びていない、無表情な青年イゾルフだった。その瞳には感情の光が一切なく、ただ底なしの闇のような静寂だけが宿っている。
「く……『首斬り』……!!」
将軍が腰の剣に手を伸ばそうとした、その刹那。
――シャリィン。
「673」
「674」
「675」
将軍と幕僚たちの首が、同時に綺麗に切断され、豪華な絨毯の上へと転がり落ちた。
将軍のテントから、イゾルフは何事もなかったかのように静かに出てきた。
指揮官を失い、半数以上を惨殺された下級の騎士たちから、ついに限界を超えた凄惨な悲鳴が上がった。
「将軍様が……将軍様が殺されたぁぁぁッ!」
「無理だ! 勝てるわけねえ! 化け物だ! 神の祟りだあぁぁっ!」
戦いに自信のあった猛者たちが全員首を失って転がっている現実を前に、生き残った者たちのプライドは完全に崩壊した。騎士たちはなりふり構わず武器も防具も投げ捨て、蜘蛛の子を散らすように夜の闇へ向かって逃げ出し始めた。
巨大だったはずの一千の野営地は、今や恐怖と絶望が支配する地獄の坩堝と化していた。
だが、逃げ出さずに踏みとどまり、恐れから武器を構えた愚者たちは、容赦なくその首を落とされていく。
「726」
「727」
「728」
『チッ……まったく、この国の豚どもは手応えというものが無いな。これでは準備運動にもならんわ』
脳内で、天之尾羽張が退屈そうに尊大な言葉を漏らす。
しかし、イゾルフはその言葉に一切応えなかった。
ガルドを奪われ、平穏を踏みにじられたイゾルフの心は、すでに半ば壊れていた。ただ死んだような、冷たいガラス細工のような目で、立ち塞がる騎士たちの首を、淡々と落とし続けていく。
「831」
「832」……。
暗闇の野営地に、斬り落とした首の数を数える声と、首が落ちる絶望の音だけが、朝が訪れるまでどこまでも響き渡るのであった。




