第2話 (2/3)
村へは、ユクの家から歩いて三kmほどの距離があった。ユクは、ここだと山も近く、村の中よりも都合が良いのだと言う。
そうして村に着くと、一軒一軒家を周り、定期検診を始める。
老人たちはアルヴィスに慄き腰を抜かしたり魂が抜けかけたり、てんやわんやだったがつつがなく検診は終わっていく。
問題は、雑貨屋へ向かった時だ。
この村に唯一ある、西洋風の雑貨屋。
どこかから出稼ぎに来ていることが一目瞭然のいで立ち。
ここは主に輸入品を取り扱っており、ユクも調合に必要なものを揃えるために懇意にしているらしい。
……だが、アルヴィスにはわかる。値段が相場よりも高い。
ここは田舎だから、それがわかる者がいないのだろう。アルヴィスは、店主が一人私腹を肥やしている姿が目に浮かんだ。
「……おい、ユク。待て」
ユクが呑気に「こんにちはー!」と声を上げるのを、襟首を掴んで強引に引き寄せる。
すると雑貨屋の店主と思しき男が、ユクの姿を見て、
「おや、先生。待ってましたよ。例の特上薬草、入ってますが……今日は少し値が張りましてねぇ。いやはや、このご時世では……」
と、揉み手で近づいてくる。
その下卑た笑い方、そしてユクの疑いを知らぬ迂闊さを見透かしたような濁った瞳。
アルヴィスは、舌打ちをしてからユクを自分の背後に隠すように一歩前へ出ると、肩に担いでいた重い薬箱をドサリと床に置いた。
床がミシミシと悲鳴を上げ、店内の空気が一瞬で凍りつく。
「おい、脂ギッシュな店主。今、なんつった? 『特上』? ……あぁ、確かに特上だな。こんなただの枯れ草を、王都の最高級品と同じ値段で売りつけようって魂胆なんだからな」
アルヴィスは棚に並んでいた商品の一つを無造作に手に取り、店主の鼻先に突きつけた。
「……俺の目は節穴じゃない。これは北の山でいくらでも採れる三級品だ。それを相場の五倍で吹っかける。……なかなか良い度胸じゃないか。この薬師から今までいくら毟り取った? 吐け。さもなくば……」
アルヴィスの審美眼は半分正しく、もう半分はズレている。
東奔西走、根無草の殺し屋だったアルヴィスからすれば、この薬草は「北の大地の現地では」確かにありふれた三級品。アルヴィスの怒りは、輸入費などを無視した原価と比べてのものだった。
だが同時に、この店主が「手数料」と言い張るには高すぎる値段を吹っかけているのも、また事実だった。
アルヴィスは腰のナイフの柄に手をかけ、親指で僅かにカチリと鍔を鳴らす。
殺し屋としての、本物の威圧。
店主の顔が、みるみるうちに土気色に変わっていく。
「……あ、アルヴィス様! やめてください、そんな物騒な……っ!」
背後でユクが慌ててアルヴィスの前に立ち、抱きついて止めようとするが、怒りに燃える死神はびくともしない。
「ユク、お前は黙ってろ。こいつはお前のマヌケを笑いながら、そのボロ布みたいな服をさらにボロにする寄生虫だ。……さあ、店主。今すぐ適正価格に書き直すか、それとも店ごと俺に『検診』されるか……どっちがいい?」
冷徹な視線で店主を射抜く。
「ヒ、ヒイ……!!!」
アルヴィスの剣幕に、店主は失禁した。
「ゆ、許してください! 魔が差したんです! どうか命だけは!!!」
みっともなく、尿だけでなく言い訳まで喚き散らす。
ユクはアルヴィスに抱きつき、どうにか暴力をやめさせようとする。
「アルヴィス様……!! だめです、話せばわかります……!」
「そ、そうだ! 異邦の方、話せばわかります! い、いくら払えば良いですか……!?」
店主はガタガタと、今にも泡を吹きそうだ。
「……『話せばわかる』だと?」
アルヴィスに必死にしがみつき、声を張り上げるユクの体温を感じながら、鼻で笑う。
命乞いをする店主の脂汗と、ユクの必死な顔。この対比があまりに滑稽で、同時に苛立ちが込み上げる。
「いいか、ユク。こういう輩はな、言葉じゃなくて痛みでしか理解しないんだよ。お前がマヌケにものうのうと騙されている間、こいつは裏で舌を出してお前の財布をむしり取ってたんだぞ?」
ナイフの柄から手は離さない。
だが、胸に押し付けられたユクの心臓の鼓動が激しく伝ってくる。怯えているのは、この豚のような店主だけじゃない……ユクもだ。
「……金で解決しようとするな、汚らわしい」
アルヴィスは店主を射貫くような視線で睨みつけたまま、低く、地を這うような声で告げる。
「……金はいらねえ。その代わり、今すぐ今までユクからぼったくった差額分を、最高品質の薬草に、それから……」
アルヴィスは一瞬言葉を切り、店内を見回す。
……確かに、品揃え自体は悪くない。アルヴィスは薬に詳しいわけではないが、殺し屋のような裏稼業をしていれば、自然と身につく目利きはある。
「……これからは、ここにある品全て、相場に揃えろ。……次にユクを騙そうとしてみろ。その時は……お前の店の看板と、お前の首を一緒に並べてやるからな」
店主が「は、はいぃ!」と悲鳴を上げて奥へ走っていくのを見届け、アルヴィスはようやく殺気を収めた。
だが、まだ腰にしがみついているユクへ向ける言葉は、相変わらず不器用なままだ。
「……おい、いつまで抱きついてる。……離せ。お前のせいで、仕留め損ねたじゃないか」
そう言いながらもアルヴィスの片手は、ユクの震える肩をなだめるように、少しだけ強く引き寄せていた。
「あ、アルヴィス様……」
ユクは、ほっとしたようで腰を抜かし、自立できなくなりアルヴィスに掴まり立ちする形になってしまった。
「ご、ごめんなさい……立てません……」
涙目で、縋る。
「よかった、ありがとうございます……。店主さん、きっと、事情があったはずです。ずっと懇意にしていただいてますから……!」
アルヴィスは、やろうと思えばいつでもユクを押しのけナイフを抜けたはずだ。それを、「口約束」で留めてくれたのだから、どんなに暴利で悍ましいことを口走っていても十分譲歩だ。そのことに、ユクは安心していた。
「……ちっ、世話の焼ける。バカバカしいったらないな」
膝をつきそうになったユクの脇に腕を通し、強引に抱き上げるようにして立たせる。自分から抱きついてきた時はあんなに熱かったくせに、今は小刻みに震えていて、まるで雨に濡れた小動物だ。
「事情だぁ? ……お前、あんな奴をまだ庇うのか。本当に、おめでたいにも程がある」
店主が震える手で差し出してきた最高級の薬草一式。それを無造作にひったくると、アルヴィスはユクを軽々持ち上げて肩に担ぎ、店を後にする。
「……事情なんて、金が欲しかった――それだけだろうよ。いいか、ユク。お前の生ぬるいところは……悪人をつけあがらせる。お前が笑って許すから、あいつは悪いことがやめられねえんだよ」
ユクは力なくうなだれ、肩の上でゆられた。
「……もういい。これに懲りたら、次からは俺の許可なくあんな店に入るな。買い物も、検診も、全部俺がついて回る」
アルヴィスはユクの肩を抱いたまま、次の行先を尋ねる。
村の連中が遠巻きにこちらを伺っているが、最早知ったことではなかった。アルヴィスが守ると決めたのは、この、お人好しすぎて今にも消えてしまいそうな温もりだけだ。
「……おい。……いつまでも泣きそうな顔してんな。……ほら。また、あの『飴ちゃん』とかいうやつを出せ。それを食って、さっさとその情けない顔を元に戻せ」
歩きながら、ユクの顔を覗き込む。
厳しい言葉を投げながらもアルヴィスの手は、ユクを地面に降ろす。ユクももうすっかり震えが取れ、よたよたと歩き出した。




