第2話 番犬は、おめでたい薬師の「ぬくもり」を逃がさない(1/3)
翌朝。アルヴィスはお米を炊く匂いで目が覚める。
「おはようございます、アルヴィス様」
目を覚ますと、布団の側にもう食事が配膳されていた。米、煮物、卵焼き、味噌汁、焼き魚。
「食欲があるようでしたら、もうそろそろこのくらいは頂いてもよい頃かと思います。いかがですか?」
「……なんだ、この匂いは」
重い瞼を押し上げると、アルヴィスは胃の奥がキュウと鳴った。
これまでアルヴィスが口にしてきたものと言えば、バーや酒場での外食の他……戦場での固く冷え切った干し肉や、逃亡中に泥を啜るようにして流し込んだ野草の類ばかりだ。
生きるための「燃料」でしかなかった食事が、これほどまでに香しく、暴力的なまでに鼻腔をくすぐるなんて。
身体を起こせば、昨日までの焼き付くような痛みが、不思議と和らいでいる。痛み止めの効果もあるだろうが、みるみる快くなっているのがわかった。
視線の先には、湯気を立てる食卓と、朝陽を背負って微笑む、あの「おめでたい」薬師。
「……朝から、随分と豪勢だな。俺を太らせてから売るつもりか?」
憎まれ口を叩きながらも、足はふらふらと食卓へ向かった。
箸の使い方は、東洋の技術を盗んだことがあったから心得ている。
だが、差し出された飯は、アルヴィスが知っている生命維持のための「エサ」とはあまりに違っていた。
アルヴィスが焼き魚を丸ままつまみ、かぶりつこうとすると……
「あ、お待ちください!」
ユクが大慌てで静止する。
「そのまま噛みつかれては、骨が……!」
「骨?」
「は、はい!このお魚は骨が細く、よく噛めば飲み込んでも問題ありませんが……もしよければ、私が解して差し上げます」
「……ふん。俺は必要とあらば、木の根だってかじってみせたぞ」
そう毒づき、アルヴィスは魚を手放す。
ユクは箸で器用に魚を割ると、骨を取り除いていく。
アルヴィスはそんな奉仕を傍目に、まずはお椀を持って味噌汁を一口啜る。
――瞬間、出汁の深みと、発酵した大豆の温もりが、冷え切った五臓六腑に染み渡った。
「…………ッ」
言葉を失い、アルヴィスは無我夢中で箸を動かした。
ふっくらとした米、絶妙な塩味の卵焼き。どれもが舌だけでなく、胸、脳みそにまで行き渡っていく感覚。
こんな温かいものを毎日食べていたら、自分の牙はいつか抜け落ちてしまうんじゃないか。そんな恐怖さえ抱くほどに、美味かった。
「ああ、そんなにがっつかれては……よく噛んで食べないと、消化に悪いですよ」
す、と湯気の立つ茶を差し出される。
アルヴィスはこれを一息に煽り、骨が抜かれた側から魚も突いていく。
皿を全て空にして、ようやく一息ついたアルヴィスは、口元を拭ってユクを睨んだ。
「これだけ食わせたんだ。……さあ、言え。今日はどこに行けばいい。お前を騙そうとしているクズが、村にも大勢いるんだってな? ついでに、そのボロ着以外の服が売ってる場所も案内しろ」
アルヴィスは自慢のナイフを確かめるように叩き、鋭い三白眼をさらに細めて立ち上がった。
「わ、悪い方なんていませんよ! 町の方は皆様親切にしてくださいます! ……ですが定期検診として、俺が皆様のお宅を伺っています。いいですかアルヴィス様。これはとっても大事なお仕事です」
ユクは人差し指を立て、説明をしていく。
「俺は病や怪我の知識もありますから、なにか症状が出れば自分で『これはあれだから、ああしたら良い』とわかりますが、全員が全員、症状を自覚できるわけではありません。ただ『お変わりありませんか』と聞くだけではだめなのです! アルヴィス様にも、このお仕事を覚えていただきたいです!」
◆◆
それからユクは顔を洗い、出かける支度をした。
……と言っても、身だしなみを整える服もなく、大きなカバンを整えるばかりだ。手帳、いくつかの薬草、水。
「……全員が親切? お前、本当に一度王都の病院で頭の中を解体して診てもらった方がいいぞ」
呆れを通り越して、もはや感心すら覚える。
(この男、昨日俺に『殺し屋だ』と告げられたことも、もう都合よく忘れているんじゃないか?)
アルヴィスは、自分の黒い衣服のなかで、まだ辛うじて形を保っている革の防具を締め直した。
全身から漂う殺気は、隠そうとしても隠しきれない。
村の人たちからすれば、死神が薬師の背後に憑いているように見えるだろうが……それすら、アルヴィスにとっては都合が良かった。
「……『お変わりありませんか』と聞くだけじゃダメだ? だったら何だ。『死にたくなければ口を開け』とでも言えばいいのか?」
アルヴィスは、ユクが背負おうとした、薬草と道具が詰まった重そうなカバンを無造作にひったくった。
「貸せ。重いだろ。……お前は前を歩いて、その、なんだ……『定期検診』とかいうのをやってろ。俺はお前の後ろで、そいつらが懐にナイフを隠してないか、お前を陥れようとしてないか、一人ずつ洗ってやる」
大きなカバンを片手で軽々と肩に担ぎ、アルヴィスはユクの細い背中を玄関の方へと押し出した。
「ほら、行くぞ。……ぐずぐずしてたら……あっという間に日が暮れるぞ」
わざと意地悪く笑いながら、アルヴィスは村の通りへと一歩踏み出す。
アルヴィスは陽光の下、遮蔽物もない道の真ん中を無防備に歩くのはひどく落ち着かなかった。
いつも世闇に紛れ、追っ手を翻弄するように生きてきた。
すぐ隣で一生懸命に今日の手順を語っているユクの熱気だけが、今のアルヴィスをこの場所に繋ぎ止めていた。




