3.8.12 - シチリ
女性に手を伸ばし、立ち上がらせた。
荒れている手ではなかったが、力が弱く、細い。
「この石像は、誰だ」
「あ……う……」
口を動かし、なにか言葉を発しようとしている。
そして、ゆっくりと、日本語で語った。
「バイスタンダー……150年前のこの国の英雄です」
「わたしびと様ではないのか?」
「え……?」
女性の顔から緊張がとけ、少し緩む。
それから俯いたり、また顔をあげたり。
何度かそれを繰り返してから、言葉をつなげた。
「あの……えっと……あなたは……」
「ああ、オレはソウジだ。あんたは?」
「……コユルギ」
「コユルギ。言葉はどこで覚えたんだ?」
「おばあちゃんから……」
「おばあさんの名は?」
コユルギが、左の胸に止められていたブローチに手を触れた。
花柄の、昨日落としたブローチだ。
「シチリ……です」
なにか……灰色の感情が、オレの中に広がった。
安堵と。それを手繰り寄せた、未希の暗い背中の面影。
今はいい。
それを深く考えるのはヤメよう。
「コユルギ。シチリについて話が聞きたい。いいか?」
「え……えっと……」
なんだ。
コユルギの顔に少し赤みが差している。
オレは、石像と花壇の間まで歩いて腰を下ろす。
そして、コユルギを手招きした。
コユルギは、2歩だけオレに近づいただけで歩みを止めた。
オレを怪しんでいるのだろうか。
まぁいいだろう。
左手を叩く。
出現したデバイスを見せて、コユルギに伝えた。
「オレに手を貸してほしい。シチリに会わせてくれるか?」
コユルギが、また2歩、オレに近づき膝を落とした。
「……わたしびと……さま」
そのまましばらく沈黙した。
コユルギの次の言葉を待った。
シチリは……
「はい……おばあちゃんも……会いたがっています」
コユルギのぎこちない笑顔。
オレもたぶん、同じような顔をしていただろう。
その笑顔で、まさか墓の中というわけじゃないよな。
シチリは生きていて……この街で生活している。
それからオレは、コユルギに連れられて、街の外れまで歩いた。
「他に家族は?」
話しかけると、コユルギはピクっと肩をふるわせる。
そして、ゆっくりと話し出す。
「私と、おばあちゃん……しか……いません」
コユルギが、胸を震わせながらそう答えた。
「そうか」
それからオレ達は無言で歩いた。
案内された家は、2階建ての木造住宅。
貧困に喘ぐ家族が持てるような家ではなさそうだ。
しかし、建物から漂う空気は墓場のようだった。
廃屋のようなうらぶれた建物。
コユルギが、その家の扉を開けた。
「……コユルギかい? おかえり……」
扉の中から中年女性の声。
扉を開けてすぐの部屋。
床は板張り。
暖炉があり、テーブルがあり、壁には絵や皿が飾られている。
しかし、暖炉の煤は放置され、蝋燭立てには蝋燭もなく、部屋の中は夜のように薄暗い。
「お客さん?」
「おばあちゃん……わたしびと様が……」
おばあちゃんと呼ばれるには少し若い。
まだ初老に満たない女性が、椅子に腰かけていた。
手元には、なにも注がれていないカップがひとつ。
「オレはソウジだ。あんたがシチリか? ニシカタに聞いて、おまえを探しに来た」
「へ……ニシカタ……?」
シチリは「それは誰だ?」という顔をしている。
「おまえは、40年前に、カタセ村からスピカの街に嫁いだと聞いている」
シチリが、コユルギを見る。
視線の先は、花のブローチだった。
最後の問いだ。
「シチリ。おまえは記憶の回廊を知っているか?」
「ああ……ああああ……」
シチリが両手で、顔を塞いだ。
手のひらの中から声が漏れる。
「知っています……知っていますよ……
ニシカタ君のことも……
でも、どうして……どうして今頃…………」
「長い間、待たせたな。記憶の回廊の扉を開けたい。ニシカタと共に、オレに力を貸してくれ」
「あああ……あああ……」
シチリは両手で顔を隠したまま、絞り出すような声をあげた。
コユルギがシチリの元に駆け寄り、シチリを抱き寄せる。
この家と、あの2人にどんな苦労があったのか。
どれほどの悲劇があったのか。
それは、どうでもいい。
オレには関係無い。
それでも今は、2人が落ち着くのを待った。
コユルギが、ちらちらとオレを見ている。
唇を動かそうとして、また閉じる。
この2人をカタセ村に連れていく。
その為にすべきこと。
オレは、それを考えていた。




