3.8.11 - こゆるぎ
「ソウジ、今日は、スピカの街を見物しようぜ」
クラゲは、腰のコイン袋を叩きながら言葉を続けた。
「カネもたっぷりあるしよ」
「ああ、そうだな。街を見て回ろう」
オレに異論もなく、クラゲと2人で宿を出た。
スピカの街は、朝でも臭いが、早朝の爽やかな空気も僅かにある。
歩くと、たまに怒号も聞こえる。
今日も街が動き出したという合図だろう。
クラゲと2人で街を歩き、営業を始めたばかりの店を冷やかす。
オレは、日本語が聞こえてこないかと注意しながら歩いた。
昼に近づくにつれ、道行く人が増えていく。
前を歩く小太りな男の肩が、すれ違う女性の肩とぶつかった。
男は、何事もなかったかのように、歩き続けていった。
薄汚れた、シナモン色のワンピースを着た女性がバランスを崩す。
取っ散らかった長い髪、顔には垢がこびりついている。
薄汚れて、ひび割れた肌のせいか、だいぶ老けて見えた。
しかし、よく見ると歳は若く、十代後半かもしれない。
彼女の手から零れ落ちたのは、小さなブローチ。
それが、オレの足元に転がった。
だから、拾ってやった。
ただの気まぐれだ。
手触りは、真鍮でできたブローチ。
何かの花の形をしている。
オレは軽く土を払って、女性の手に戻した。
女性がブローチを受け取ると、大切そうに両手で握りしめた。
女性はどこか、驚いたような表情を作っていた。
その後、何かを言ったようだが、小さな声でよく聞こえなかった。
オレ達は、その場を立ち去った。
離れていく娘を眺めていたクラゲが、顔を戻しながら言った。
「なかなか、可愛らしい娘だったなぁ」
「嫁の候補になりそうか?」
「う~ん、なんか……不幸塗れって感じだしなぁ……」
「おまえは今、幸福なのか?」
「不幸に見えるか? このおれが?」
「いや……見えないな」
それからも、あちこちを歩き回った。
街の全容を大まかに頭に入れた。
広い街だが、1日あれば事足りる程度だ。
夕方になり、オレ達は宿に戻った。
レストランで夕食を食べて部屋に戻る。
そして、お湯で軽くカラダを拭く。
風呂に入れるわけではないが、お湯でカラダを拭ける。
それだけでも、この世界では、かなり贅沢なことだ。
ソファーに沈むクラゲが言った。
「明日はどうするんだ」
「少し、独りで歩いてみるよ」
「言葉は大丈夫か?」
「まぁ、なんとかなるだろ」
買い物くらいは、なんとかなるだろう。
明日は、日本語が話せる住人を探す。
翌朝。
『 ELAPSED 00:35 』
ニフィル・ロードでの滞在時間は58時間。
クラゲは朝早くに部屋を出ていった。
オレは、しばらくの間、なにも考えずソファーに座っていた。
ログアウトしようかとも考えた。
しかし、どこか怪我をしているわけでもない。
もう数日、ニフィル・ロードで過ごそう。
オレも宿を出た。
少し歩くと、広場が見えてくる。
円形の広場の中央に、男性の石像が立ち、その周囲は花壇になっている。
石像は、かつてのプレイヤーだろうか。
日本人の顔立ちではない。
広場に立って、日本語で叫べば、誰か答えてくれるだろうか。
いや……そんなこと、オレにできるわけもない。
そのまま通り過ぎようとしたが、視界の隅に気になる人影があった。
視線を向けると、広場の中央に薄汚い女性が立っている。
石像を眺めているようだ。
よく見ると、見覚えがある。
昨日、ブローチを落とした女性だ。
改めて眺めると、靴も履かずに裸足。
シナモン色のワンピースは、所々が擦り切れている。
あまり食べていないのか、袖から覗く手首がやけに細い。
気になったのは、彼女の眼だった。
その視線は、石像には届かず、その途中を彷徨っていた。
ふと、里子に来たばかりの未希が重なる。
身長も服装も髪型も、未希とは何もかも違う。
彼女の瞳は、あの時の未希と同じだった。
大切な何かを失った後の瞳。
立ち止まって彼女を見ていると、横から歩いてきた若い男の集団とぶつかった。
バランスを崩した女性は、地面に這いつくばって、謝罪をしている。
男達はゴミでも踏んづけたような視線を女性に向け、悪態をつきながらその場を去っていった。
気まぐれじゃなかった。
放っておけなかった。
オレは女性に近寄り、無言で手を差し伸べた。
「Sorry... um... I... do I know you?」
女性は、顔もあげずに、そう言った。
「すまん……オレにはエングル語は分からない」
女性は口を開けたまま顔を上げ、驚いたようにオレの顔を見返した。
その眼に涙が滲んでいる。
「どうした……どこか捻ったか」
女性は、またうつむき、首を横に振った。
「うん? 分かるのか……オレの言葉が?」
女性が首を縦に振る。
ヨレヨレの長い髪と一緒に、肩を震わせている。
オレになにがしてやれる……
あの時の未希は……
オレにどうして欲しかった?
この女性は未希じゃない。
なんの関係も無い、薄汚く、不幸を絵に描いたような女性だ。
なのに、そのままにはできなかった。
放っておけなかった。




