6.6.04
4月19日。水曜日。
今日は、さらに早く学校へいく。
家を出る時間を30分早める。
早起きして、手早く支度を済ませた。
お母さんには、朝、係りの用事があるからと事前に告げている。
お母さんも、30分早くおきて、お弁当を作ってくれた。
ごめんさい。ありがとう。
お弁当を受け取り、家を飛び出す。
駅に辿り着く時間をさらに5分短縮。
息を荒げて、汗ばみながら、電車に駆け込む。
いつもより、3本早い電車に乗った。
遅刻するわけでもないのに、とにかく急いだ。
走り出す電車の中で、呼吸を整える。
少し汗ばみ、髪も乱れている。
ガラスにうつる自分を眺めながら、前髪の位置と、リボンの角度を調整した。
え……?
ガラスに並ぶ、肌色の顔がふたつ。
顔を左に向けると、それに合わせて、顔を背けた男子生徒のうなじと右肩。
せがわ君だ。
間違いない。
わたしのすぐ隣に立っていた。
髪は短髪。
身長は、わたしよりも10センチくらい高い。
スリムを通り越した、やせ型。
そして、不健康そうな白い肌。
ふと気になって、同じ学校の生徒はと、周囲をみわたす。
遠くにひとり。部活の朝練に向かうらしき、ジャージ姿の男子生徒が、スマホを眺めているだけだった。
せがわ君は、わたしのすぐ隣にいる。
距離は1メートルもない。
周りからみたらこれは、たぶんきっとそう。
違う。違うの。
勘違いしないで。これはそういうのじゃないから。
せがわ君に近寄りたかったけど、そういうんじゃない。
でも、嬉しい。
わたしは、嬉しかった。
灰色の世界で見た、久しぶりの色のついたヒト。
それが、こんな近くにいる。
電車の窓に、ふたり並んで映っている。
着ている服は灰色の制服だけど、顔や首、袖から見える手首の色は、肌色だ。
色がついているのは、どうして? なんでなの?
聞きたい。知りたい。
カバンの中で、スマホが震えた。
なんだろうと、取り出すと、まゆさんからのメッセージの着信。
知らせたい。まゆさんにもおしえたい。
でも、その前に!
声をかけよう。勇気をだして。
何語がいいかな。英語? ドイツ語? それともフランス語?
挨拶だけなら、アラビア語と、ギリシャ語も覚えた。
なに言ってるの。日本語でいいよそんなの。
勘違いで気取った、アホの子だと思われちゃうかもしれない。
「せがわく……」
いない……
電車のドアが開いている。
こんな駅で降りるヒトなんて、数人もいない。降りる理由がない。
なのに、せがわ君は、その向こう。
これはまた……逃げられる!
わたしも電車から駆け降りた。
「せがわ君!」
階段へと向かうせがわ君を呼び止める。
「待って、ちょっと待って! 逃げないで!」
彼もようやく、足を止めた。
やっとだ。やっとせがわ君に、声がとどいた。
「なんですか……なにかごようですか?」
階段の上を向いたまま、せがわ君が答えた。
声は普通だ。
少し早口だけど、小さくも大きくもなく、よく聞き取れる。
焦っているわけでも、怖がっているわけでもない。
冷静で、淡々とした声。
駅員さんに声をかけたのと、大して変わらない返答。
「えっと、あの……」
なに。どうすればいいの。
コクるの? わたしコクるの?
ちがう。それは断じて違う。
ああ、ルシア、ソフィア。おしえて。助けて。
こういうとき、なんて言えばいい?
そのまま聞けばいいの?
わたしは思った単語を、そのまま口に出した。
「なんで、色がついてるの?」
「……はい?」
横を向いたせがわ君が、顔だけこちらを向いた。
どこからどうみても、普通の日本人。
やせ型で、強風に飛ばされそうな体格。
量産型の男子高校生。
目が合ったが、せがわ君はすぐに目を逸らし、下を向いた。
色の質問しても、無意味だ。
それは、わたしにしかわからない領域だ。
だから、質問を変えた。
あの世界なら、だれでも知っている単語。
「ワールドカウント、いくつ?」
「えっ……」
せがわ君は、メガネじゃなくて、コンタクトだ。
瞳が、だぶついて見える。
でもその周りの毛細血管の赤。
瞳に映る駅の景色にも、色がついていた。
この駅、こんな色だったんだ。知らなかった。
わたしの質問は、届いたのだろうか。
理解できたのだろうか?
せがわ君が、答えた。
「にじゅう……いち」
まだ足りない。
実は、留年しまくって、21歳なのかもしれない。
異様に若く見えるだけかもしれない。
あとひとつ、あとひとつのキーワードを確認しよう。
「せがわ君のメモリアは、どんなところ?」
「あ、あの……」
「うん?」
「ここじゃちょっと……まずいかも」
「えぇ?」
せがわ君が見上げる階段の先に、制服を着た男子高校生。
同じ学校だ。
たしかに、まずい。色々と。
せがわ君は、その場でカバンを開けて、ペンとノートを取り出した。
スラスラと何かを書いて、ノートを引きちぎる。
「これ」
半分に折りたたんで、わたしに向ける。
受け取るとすぐに、わたしから離れた。
階段は昇らず、スタスタと早歩きで、ホームを歩いていく。
紙を広げると、書かれていたのは、丁寧な文字。
図書室。放課後。
通路と、書架番号?
『遺伝子の基礎原理』……50ページ。
うん?
放課後の待ち合わせの場所かなぁ?
50ページで?




