6.5.36 - デザートが来る前に
ルシアの笑みは、夕凪のようだった。
たとえるなら、ホテルのフロントスタッフ。
当たり障りのない表情。
仏頂面でも、ヘラヘラ顔でもない。
相手にどんな事情があろうと、なんとも思われない平坦な顔。
困惑しているのは、おそらくファルだけ。
「ルシアだっけ。いまなんと言った? 美女だからと、使用人がつけあがるなよ?」
ファルは、だんだんと状況を理解しながら、ついでに怒りを覚えていくようだった。
ファルとしては、たんに親切にしようとしただけだ。
なんでそんなこと言われるんだって、思っているのかもしれない。
「あのぅ、ファルさん。ご親切はうれしいけど、タデクもルシアも、大切な友人なので、そっとしておいてほしいな」
「それはもうどうでもいい。そのオンナに謝罪させるか、ここから摘まみだせ。ワインが不味くなったよ」
なんかわたし。
蜘蛛の巣に絡めとられたような気分。
最初から、楽しいディナーは期待していなかったけど、こんなことになっちゃうんなんて。
もう、帰りたい。
そうだ、帰ろう。
「ウィルツさん」
「なにかな、ご令嬢」
「今後も、お友達として、ときどき会いにきてもいい?」
「もちろんだ。いつでも構わないよ」
「じゃあ、今夜は帰るね。ファルさんの気分を害したようだし」
「そうか。残念だが、仕方ないな」
「あ、でもデザートはおいしいから、食べてね」
「ほう、それは楽しみだ」
「いっしょに食べたかったね」
「この世界なら、またいつでも機会はある」
また、ファルが声を荒げた。
「勝手に話を進められては困ります閣下。ご令嬢が、そのオンナやスラブの飼い主だというのなら、代わって令嬢から謝罪をもらえるだろうか」
130年前のヒトの価値観て、こういうものなのかな。
タデクはどうなのかと視線を向けたけど、タデクは、変わらず無表情だ。
怒っているようにも見えない。
「タデク、いい?」
「どうかわたしのことはお構いなく。姫殿下」
でも、鞘を支える手に、ものすごいチカラが入っているのがわかる。
あのままじゃ、鞘ごと剣がひん曲がっちゃいそう。
「聞いておられるのか、ご令嬢?」
「えっと、ファルさんは、どうしてほしいの?」
「謝罪だ。それができなというのなら、そうだ。貴様ら3人、ぼくの配下になれ」
「そんなこと……するわけないじゃん」
「なぜ? 令嬢の待遇は、悪いようにはしない。使用人ふたりに関しては、さきほどの条件はすべて撤回し、奴隷だ」
ダメだ、このヒト……
もう、どうにもならない。
帰ろう。逃げよう。
わたしは、椅子から立ち上がる。
デザートは、帰ってから、ハンナちゃんに作ってもらおう。
「ウィルツさん」
「うむ」
スカートの端をつまんで、軽く頭を下げた。
「今夜は、帰るね」
「ではまた後日、仕切りなおそうか」
「はい」
やっぱり、教頭先生は、いいヒトだよ。
アルベールは、最悪な人物だと言っていたけど、そうは思えない。
背を向けて、テントの出口へと向かう。
そのまま帰してくれれば、よかったのに。
ファルがまた邪魔をした。
背後で大きな足音と、ガラスの割れる音。
驚いて振り向くと、私の顔の前にタデクの左手。
そのあと、ファルの声。
「謝罪もせずに、帰れると思っているのか。世間知らずのご令嬢だ。本当に貴族なのか?」
タデクの左手が、赤い液体にまみれている。
滴り落ちる雫を目で追うと、地面には割れたワイングラス。
液体が、血なのか、ワインなのか。
見分けがつかない。
ファルに視線を向けると、彼も席から立ち上がっていた。
テーブルの上に、彼のワイングラスはない。
「タデク?」
「姫殿下。お怪我はございませんか」
「みきもドレスも、なんともないよ。ありがとね」
ファルが怒鳴り声をあげた。
「おい! 聞いているのか!」
「姫殿下」
「うん?」
タデクはファルに視線を向けたまま、片膝をついた。
「抜刀の許可をいただけますか?」
もう、どうして、こんなことになっちゃうの?
これはそう、きっと罠だ。
まさか、教頭先生が仕組んだ罠?
だから、あんなの連れてきたの?
ルシアが英語で言った。
「アルベール呼ぶ?」
「うーん……」
ファルを見ると、わたしを睨みつけている。
ウィルツは、ワインのグラスを揺すっている。
関わるつもりがないようだ。
おじさんにとっては、些細なことなのだろうか。
それとも、わたしがどうするのか。試そうとしているのだろうか。
「ねぇ、ファルさん、このまま帰してもらえないの?」
「当然だ。謝罪をしろ」
「どうして?」
「ぼくを侮辱した」
「みきや、みきの友達は、侮辱されていないの?」
「使用人と、スラブになんの価値がある?」
「ファルさん自身には、どれだけの価値があるの?」
「その言葉が、ぼくへの侮辱だということが、まだわからないのか?」
話しにならない……
なんなの、このバカ。
「タデク」
「姫殿下」
「いいよ。ここは、みきにまかせて」
タデクが掴む、ブルームシードのヒルトに右手を滑り込ませた。
「ちょ……姫殿下?」
そのまま、引き抜く。
そしてタデクをすり抜けて、前に出た。
「ご令嬢。剣を抜いてしまったら、謝罪では済まされないぞ。決闘でもするつもりか?」
「これはね、剣じゃなくて、杖だよ」
「はぁ?」
最近覚えた新しい魔法を、また試そう。
あのときは、尖った矢だったから、オオカミに致命傷を与えちゃったけど。
これなら、どうだろう?
わたしは、左手で髪飾りに触れた。
今夜のこのしぐさは、不届き者を排除するサイン。
カモミールの花を、ひとつもぎ取る。
剣を持ち上げ、ヒルトを鼻の先に。
垂れ下がる灰色の房飾りの先に、ファルが立っている。
わたしは、そのまま目を閉じた。
(リュウタ。噛み殺しちゃダメだからね。ちょっと脅かすだけだよ)
左手のカモミールの花を口元へ。
そして、指から離し、ふっと息を吹く……
目を開けると、カモミールの花が、歪みながら宙を舞っていた。
何が起こるのか、わたしにもわからない。
なにもイメージしてないからね。
ただ、リュウタに、お願いしただけ。
あとは、リュウタに任せよう。
光を放ちながら、ひどく歪むカモミールのお花。
ほんの2~3秒の出来事だった。
テーブルの上のブーケも、下から吹き上げられたかのように、宙に舞った。
プリムローズと、スミレの花。
複数の花が、引き延ばされたように大きく歪む。
タオルくらいの大きさになっていた。
するとその空中のタオルから、突如、成獣の灰色オオカミが出現した。
カモミールはリュウタの姿に。
テーブルの周囲にも、4匹のオオカミ。
みたことのある気がする2匹と、みたことのない2匹。
リュウタを含めた5匹のオオカミが、肉球の音を立てて地面に着地すると、その勢いのまま、一斉にファルに襲いかかった。
ルシアも、タデクも。ウィルツも。
驚いた顔で、オオカミを目で追っている。
ファルだけが、悲鳴を上げる。
「ひっ……っひぃ!!」
ファルは逃げることもできず、その場で腰を抜かした。
へたり込むファルに、5匹のオオカミが飛びかかる。
リュウタは喉元へ。
他の4匹は、両手、両足へ。
「うわあぁぁぁぁ、うわあぁ、わぁぁぁ!」
群がるオオカミの背中とお尻の向こう側から、ファルの絶叫。
「ぎゃあああああ」
その絶叫を最後に、静かになった。
オオカミたちの動きもとまった。
リュウタが、首だけ動かして、わたしに視線を向けた。
匂いを嗅ぐようなしぐさで、鼻を持ち上げる。
そして、すぅーっと、消えてしまった。
口を開けて白目を剥いたファルだけが地面に残っていた。
そのファルの上で、ふわふわとお花が舞い、服の上に落ちていく。
「タデク」
「お……おう……天使さん」
言いながら、右手で十字を切るタデク。
わたしは、タデクが支える鞘の中へ、剣を戻した。
そりゃ驚くよね。
わたしも、驚いた。なんで5匹も?
リュウタも、怒ってたのかな。
にしても、ちょっとやりすぎ。
ウィルツはというと、いまだに椅子に座ったまま。
視線をワインに戻し、笑みを浮かべながらまたグラスを傾けた。
わたしは、寝そべるファルに近づいた。
ファルは気絶していた。
もう、このヒト。ホント、めんどくさい。
わたしは、ファルの左腕をつかんで、ファルの頬っぺたを3回叩く。
違ったので、次は右手を3回。
出て来たログインデバイスを、ファルの左手で操作し、ファルをログアウトさせた。
とりあえず、これで、6時間は安心だ。
もう、ログインしてきてほしくもないけど。
でも次会ったとき、驚かせたことは謝らないとね。
立ち上がって、ウィルツの方を向く。
「ウィルツさん。お騒がせしました」
ペコっと、お辞儀。
「ッハハハハ。構わないとも。いい余興を見せてもらった」
散らばったお花を拾い集めて、カモミールといっしょに花瓶に戻した。
悲鳴を聞いて駆け込んできたのか、テントの入り口にアルベールの姿。
ふだんと変わらない無表情。
「閣下、なにか粗相がございましたか?」
「余興だ。気にすることではない」
「余興?」
ウィルツは、グラスをテーブルに置き、パンパンと手を2回叩く。
以前にも見た女性が、部屋に現れた。
「衛兵を呼べ。そこで寝てる男を、外に放り出せ」
「かしこまりました」
「さて、ご令嬢」
「うん? えっと?」
「ディナーを再開したいのだが、構わないかね?」
「えっ……えぇ?」
「アルベール」
「はい」
「客がひとり減ったんだが、代わりに君を招待しても構わないか?」
「はい。では、お言葉に甘えて」
「なら、ディナーを再開しよう。次はデザートだったか?」
えーと……?




