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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
カラフルな『あの世界』
547/555

6.5.35 - 森の影から


 アンディーブの船は、あっというまにお腹の中に沈んでしまった。

 ふたくちで終わった。


 次はスープ。


「リーキとキャベツのクレーム・ド・ポタージュでございます」


 比較的好きな部類の、フレンチスープ。

 と思ったけど、ポータジュの名にふさわしく、ミルクとバターがゴテゴテだった。


「また、野菜か。ねぇギャルソン。お肉はいつ出てくるんだい?」

「メインの肉料理は、この次でございます」


 ファルは、野菜が嫌いなのだろうか。

 もしかして、野菜が庶民の食べ物で、お肉が貴族の食べ物というファル基準?


 見た目はゴテゴテだけど、しつこくはない。

 ネギとキャベツも、とても美味しい。

 ネギはそれ自体が甘く、スープを吸い込んだキャベツは柔らかい。

 クリームシチューとワインとハーブで煮込まれた、まろやかなのに大人の味。


 スープの途中で、クララが別のワインをテーブルに持ち込んだ。


「25年物のメモリア王室赤ワインでございます」


 出た。

 25年物……つまり、作られたのは、カウント21。

 そういうの、どうやって手に入れてくるんだろう。


「姫殿下にはこちらを。ベリー仕立ての果実ジュースです」

「うわーっ」

 クララが、またジュースを持ってきてくれた。

 わたしに微笑むクララの角度は、もちろんベストアングル。

 25年も気になるけど、どうせワインの味なんてわからない。

 わからないから、ジュースでいい。


 酸っぱそうな匂いだったけど、飲んでみると、アセロラドリンクのようなスッキリとした味。

 スープのこってりをリセットするのに、ピッタリだった。


 そして、スープがまだ残るうちに、お肉が登場した。

 フリッツが、贅沢中の贅沢と絶賛した、今日のメイン。


「アカジカのロティと、ヤマシギのサルミソースでございます」


「ほう。これはすごいな」

 ウィルツでさえも、ちょっと驚いた表情を見せている。

 フリッツが、説明を添える。

「こちらが、フィレ。こちらはロースでございます」

「うむ……」


 アルベールに言わせると、そんなの、フレンチの大会くらいじゃないと食べられない領域のルセットらしい。


 お肉は、たったのふたキレ。

 小ぶりのフィレと大ぶりのロース。


 見た目は、昨日見たやつと似ている。

 焦がした外側。桃色にグラデーションしていく内側。

 違うのはソースだ。

 ヤマシギのサルミソース。

 押し入れから発掘したチョコレートのような色味。

 食欲をかきたてるソースには見えない。

 クルマの下から漏れ出た、廃油か泥水のような色。


 この匂いはなんだろう。

 陽が陰り始めた、夕暮れの深い森。

 重たい香の中に、酢に浸したようなナッツの色を感じる。


 そうだこれは……微かな記憶にある、魔女のペースト……

 ソフィアといっしょに拾って、おにいちゃんや、まゆさんと食べた、森の粥。


 ウィルツがそのお肉に視線を落としながら、赤ワインを傾けている。

 ファルは、フォークだけでお肉を突き刺し、雑な手つきで口に運んだ。


 ファルの顔を眺めても、美味しいのか、わからないな。

 強いて言うなら、コンビニのおにぎりを頬張るくらいの雑な表情。


 わたしはしばらく、ふたりの手元を眺めた。

 ファルは、口の中の肉を、ワインで流し込んでいる。


 ウィルツはフォークで肉を抑え、ナイフで切り込みを入れていく。

 切り取った表面にも、ソースを塗り込んでから、口の中へと運んだ。

 目を閉じて、うんうんと、うなずいている。

 なんだか、カワイイ。

 ウィルツは最低の男だと、アルベールは言っていた。


 とてもそうは見えない。

 この人なりの厳し人生を歩み、自分と部下を追い込みながら、いまもその途中でもがいている。そんな印象を感じる。

 だからといって、直接かかわりたいとは思わないが。


 でも、ファルはどうだろう。

 よくわからない。

 こういう人物とは、接点がなかったのもある。

 現実世界でも。ニフィルロードでも、かかわったことがないタイプの人物だ。

 だからぜんぜんわからない。



 わたしも、お肉にナイフの刃を乗せた。

 チカラを抜いただけで、ナイフが繊維を分断した。

 ひと口サイズに切り分けて、それを口へ運ぶ。


 それは、お肉なのに、あぶらみのようだった。

 舌触りはお肉だ。なのに食感はまるで、あぶらみ。

 ソースから感じるのは、イカ墨みたいな黒い風味と、ヘーゼルナッツのようなまろやかな香り。

 それといっしょに軽く舌で潰しただけで、軽やかな肉汁が溶け出ていく。


 不思議な味だった。

 森そのものをまぶして、お肉を食べているような。

 そのお肉も、数回、歯を刻んだけで、どこかに消えてしまった。


 これが美味しいのかどうか。

 わたしには、わからなかった。

 ただ、食べたことの無いお肉の風味が、あぶらと共に口の中を通過しただけ。



 ファルが言った。

「ワインのおかわり、もらえる?」


 彼の声は、この瞬間の空気を、無自覚に吹き飛ばしている。


「君さ、もしかしてフランス人かな?」

 ファルが、ようやく、ルシアの存在に気がついた。

「そうですわ。ムッシュ・ファーリス」

「へぇ。よく見るとすごい美人だね。君、名前は? 出身はどこ?」

「ルシアと言います。ベルギーの国境に近い、オルシという町です」

「ゥルセア? 変わった発音だね。オルシってどの辺だろ。聞いたことないな」

「田舎ですので」


「ねぇ、君。うちのギルドに興味ない? 君みたいな美しいフランス人女性は、歓迎するよ」

「まあっ。それは光栄なお話ですわね。では、お食事が終わってから、詳しくお話を聞かせてくださいますか?」

「そうだね。そうしよう。令嬢にも許可をもらないとだしね」


 ちょっと、ちょっと。

 ルシアが適当に流しているのはわかるけど……

 話題を変えよう。


「ファルさん。お肉は、お口に合いましたか?」

「そうだね。美味しいよこのお肉。でも、ぼくが行くお店のほうが美味しいかなぁ」


 このヒト、わかってるんだろうか。

 この世界が、原始時代の仮想世界だってこと。

 終わったら、タクシーにでも乗って帰るつもりなのだろうか。


「ねぇご令嬢。こんどいっしょに行かないかい? ブリュッセルにある、最高級フレンチのお店なんだけどね。ぼくの屋敷にシェフを呼んで作らせることもできるよ。どっちがいい?」


 それはどっちもムリだ。

 現実世界で会うとしたら、ファルはたぶん、150歳前後。

 そのお屋敷も、お店さえも、残っているのかどうかわからない。


 ふと、ウィルツに視線を向ける。

 かわらず、ちびちびとワインを傾けながら、残りの肉を味わっている。

 ファルの言動には、興味がないのだろうか。

 ファルの興味は、タデクに向いた。


「スラブの使用人かな。いい体格してるね。君もうちの使用人になってみるかい?」

 もしかして、酔ってるのかな。

 あるいは、こうやって手当たり次第に勧誘するのが、ギルドを大きくするコツなんだろうか。

 タデクは、無視するのかとおもったけど、視線をファルに向けた。

「ありがたいお話ですが、この命は、姫殿下に捧げております」

 タデクの敬語。そんな単語知ってたんだね。意外だ。


「スラブのわりに見上げた忠誠心だね。気に入ったよ。ねぇご令嬢。この男をわたしに譲っていただけないかな。ぼくの騎士団の馬周りにしてあげよう」

「馬周り?」

「ご令嬢の使用人を引き抜くのだからね。奴隷扱いはしないよ。ぼくの直下の使用人にしてあげよう」

「あっはは。タデク、どうする?」


「姫殿下のご命令とあれば、そのようにいたします」


 タデクが、ほんとうに騎士様のようだ。

 いつもは野蛮でワイルド。盗賊と大差ない言動なのに。

 やっぱり、タデクは、騎士様なんだなぁ。


「タデク」

「はい、姫殿下」

「タデクには、ずっとみきの傍にいてほしいな」

「ありがたいお言葉。この身は、姫殿下と共にあることを望んでおります」


 なんだか……タデクの顔が赤いぞ。

 もしかして、笑いをこらえているのかな。


「タデクって名前なの? スラブっぽい名前ではないね。

 それにしても、ほんとうに立派な忠誠心だ。

 ますます気に入ったよ。ドルジーナの末裔とかかい?

 いったい、どんな事情で、ご令嬢の騎士に?」



 どんな事情で……って。


 陽が暮れる直前に焚火を点けてもらって。

 そのあと、味の薄い野菜スープをふたりで食べて。

 ちょこっとお話して。

 それから、ルシアのクチぐるまに乗せられて。

 想えば、どうして、わたしの騎士なんだろ?

 って、それは今日だけの演技か。


「あ、わかったぞ」

「うん?」

「もしかして、恋人……とか?」

「え、えーっ」


「ご令嬢、そんな野蛮な男はやめたほうがいいよ。スラブなんて、戦士奴隷かよくて傭兵。あとは奴隷か使用人にするくらいしか役にたたない連中なんだからさ」


 えーと……


「ご令嬢がなにをしたいのかしらないけど、ぼくの傍にいたらいい。ぜんぶぼくが、叶えてあげるよ。レストランをやりたいなら、ぼくが全部、お金を出してあげる。どう?」


 途中で眩暈を感じて、ところどころ聞き逃した。

 もういちど聞き返したいところだけど、やめておこう。

 二度と聞きたくない。


「スラブの使い方も教えてあげようか。スラブはすぐに逃げるしすぐに死ぬ。そのかわり、安い賃金で、死ぬほどこきつかうんだけどね。っははは」


 血の気が引いた。

 ロングドレスで隠れているけど、たぶん鳥肌も立っている。


 もしかしたら、ファルは親切心で言っているのかもしれない。

 いや、きっとそうなのだろう。

 ファルに悪気はない。バカなだけなのだ。

 だから、本気で、タデクは野蛮で役立たずだと思っているのだろう。


「ぼくのところに来れば、おカネの心配はもうしなくていいよ」


 わたしは、ファルに笑顔を返した。

 こればっかりは、年季が違う。9歳からずっとやっていることだ。

 このくらいのことで、わたしは、悪意を顔に出したりはしない。


 でも、ルシアは違ったようだ。

 スタスタとテーブルに歩み寄り、ウィルツに声をかけた。

 ウィルツのお肉のお皿は、すでに真っ白だった。


「ウィルツ閣下」

「なんだ」

「恐れ入りますが、この無礼なベルギー人は、姫殿下がおられるお部屋の空気にふさわしくないようです。摘まみ出す許可をいただけますでしょうか」


 ウィルツは言葉を返さなかった。

 表情もかわらない。

 ただ、ゆっくりと、ワインを傾けただけ。


 ルシアも顔には出ていない。

 冷静そうに見える。


 でも、その口から出た言葉は、辛辣だった。


 なんだか教頭先生よりも立派で、キレのある啖呵だと感じてしまった。




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