6.5.33
テントに入っても、ダレも居なかった。
いつもの丸いアンティークテーブルと、椅子があるだけ。
このテーブルセットも、持ってきてたんだね。
そりゃそうだよね。
偉い人物を待たせるなんて、フリッツがするわけない。
ルシアが、ニヤニヤしながら、右手でわたしの左手を取った。
ルシアが椅子を引いて、わたしがそこに座る。
ウインクしながら、小声でひとこと放つ。
「フフッ、お人形さんみたいな、ミキ姫殿下」
「ムムム……」
うしろを見ると、タデクもいる。
わたしの剣の鞘を両手で垂直に持ち、顔の前にかかげている。
バスケットヒルトから垂れ下がる、灰色の房飾りもそこにある。
ふたりは、わたしの傍を離れ、左側の幕の手前に並んで立った。
「アティース( At Ease )」
冗談っぽく零すと、ルシアが、小さく息を吐きながら笑った。
肩を下げて、だらんとする。
タデクが、ボソボソとルシアに話しかけた。
(なんだ? なんつった?)
(姫殿下が、気楽にしてろだってさ。従士タデク)
(さようでございますか、メイド長さま)
真っ白のテーブルクロスの真ん中に、小さな花瓶。
配置された椅子は、Y字に3脚。
テーブルフラワーは、ひと房の黄色いプリムローズと、葉の付いたスミレの花が3つ。
フリッツの演出だ。
すでにフレンチディナーは、始まっている。
視界の邪魔にならないようにと、わたしの身長まで計算されているんだろう。
左側には、ルシアとタデク。
テーブルの上には、フリッツが咲かせた小ぶりのブーケ。
気負う必要なないと、フリッツも語りかけている。
みんないる。
いつもと変わらない。
椅子の位置にあわせて、飾り皿が置かれている。
お皿の左右に、複数のフォークとナイフ。
スプーンも数本。
上側には、たたんでおかれたナプキン。
テントの外から話し声が聞こえた。
フリッツの声だ。
それと、ウィルツ教頭の声。
もうひとり、若そうな男性のフランス語混じりのドイツ語。
テントの幕が上がるのと同時に、わたしは椅子から立ち上がる。
振り向くと、鼻の下に紳士髭を張り付けた、ウィルツおじさん。
その横には、アイボリーカラーの服を着た男性。
マフィア映画に出てきそうな、タキシード姿。
左胸に、小ぶりな白薔薇のような花飾りを付けている。
これから結婚式でもするのだろうか。
とにかくギョッとする、斜め上のドレスコードだった。
そして、なるほど、イケメンだ。
目と口は細く、鼻は高く。
どれだけ恵まれた遺伝子を受け継いだのだろうか。
ヒゲはなく、つるんとしたお肌。
髪の色は、ほんのり栗色混じりの黒。
耳たぶへと流れていく前髪は、映画俳優のようだった。
そんな格好しなくても、充分にカッコいい。
というか、そのタキシードは、どう見ても似合ってない。
わたしの感性が間違っているのだろうか。
時代錯誤は、わたしのほうで、19世紀は、これが流行なのだろうか。
とにかく、わたしは平静を維持したまま。
スカートの裾をつまんで、右足を引いた。
「こんばんわ、ウィルツさん。ご招待ありがとう」
「うむ。よくいらしてくれた、ご令嬢。今夜はともに、食事を楽しもう」
「えーと、こちらは?」
さっき、アルベールから聞いたけどね。
念のため、名乗ってもらう。
「ぼくは、ファーリス。ファルでいいよ、ステキなお嬢さん」
「彼は私の友人のご子息でね。ご令嬢とも歳が近い。話も合うだろうと思って招待した」
わたしは姿勢を戻し、お腹の前に両手を添えた。
「こんばんは、ファルさん。わたしは、みきといいます」
何年も練習し続けた笑顔を、新郎のような男性に向ける。
たしかに若い。たぶん、二十代の前半だろう。
ファルが右脚から順に足を動かし、すっとわたしの前へ。
身長も高い。
わたしの目線は、彼の鎖骨にも届いていない。
その彼が、ふわっとわたしの前に片膝を降ろした。
そして、わたしの右手を取る。
え……ちょっと……?
あまりにも、自然な動作なので、なんの反応もできなかった。
彼はわたしの右手を鼻先によせて、手の甲に唇を近づけた。
キスをするのかと身構えたが、フッと小さな息を吹きかけただけ。
なんの冗談だ……
それも、19世紀に流行っていたの?
大丈夫。平常心。平常心だ。
どうってことない。
いまのはたぶん、きっと、そう。
握手だ。
「日本人のご令嬢だと聞いていたけど、本当にステキな女性だね。ぼくは幸運だよ。こんな素晴らしいディナーに招待してくれるなんて、ウィルツ閣下には感謝しかないよ」
「ッハハハ。ファーリス。そのくらいにしたまえよ」
ふぅ……
まだ、1分も経っていないだろうに。
どっと疲れた。
試合は始まったばかりだ。
なのにもう、ほんとうに帰りたい。
椅子に戻ろうと、カラダの向きを変えると、視界の隅にタデクの姿。
剣を支える手が、プルプルと震えている。
でも、顔を見ると、無表情だった。
まるで、デパートのマネキンだ。
音もなく震える剣の鞘が、少しホラーじみていた。
ルシアはその隣で、軽く笑顔を向けているだけ。
っていうか、わたしよりもルシアの方が、フランス人美女だと思うけど。
ルシアには、気がつかないのかな。
「閣下」
ファルの声。
「なんだ?」
「ディナーはフレンチでしたっけ? この世界でフレンチなんて初めてですね」
「私もだ。君の舌に叶う料理だといいのだがな」
「麗しいご令嬢に会えただけでも、ぼくは満足ですよ。これで食事まで素晴らしかったら、ぼくはどうなってしまうのかな」
「ッハハ。ファーリス。所詮、野営のフレンチだ。期待はするな」
ファルさん。
教頭先生相手に、やけに馴れ馴れしいぞ。
あれ。
もしかして、それって、わたしも……?
うん、ヒトのふり見て、我が身を修正しよう。
わたしはあんな、ちゃらんぽらんじゃない。
もっと知的な、天然だ。




