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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
カラフルな『あの世界』
528/558

6.5.16



 ルシアは、連れてきた人物を、フランス語で紹介した。


「彼はピエール。画家よ」

「えーと……?」


 ピエールさんが、フードに手をかけて顔を覗かせる。

 交番に届けられた迷いイヌのような顔。

 もじゃもじゃでボサボサの茶髪。

 なんだか、すごく眠そうな目。


「ピエール……オルヴェーヌ……ダ」

「……だ?」


 名前……か?

 ピエール・オルヴェーヌ? ……ダ?

 デパートの3階とかで、化粧品とか売ってそうな名前……だ。



「えーと、どうしたらいいの……だ?」

「ちょっとまっててね、ミキ。いまネジを回すわ」

「うん? ネジ?」


 ルシアが、ピエールの目を見ながら、フランス語で言った。

「さぁ、名前だけは立派そうな、ピエール・オルヴェーヌ」

「……?」

「パトロンを捕まえるチャンスよ。できる? できるわよね?」


「……やっぱり……今日じゃない……今日じゃ」

 ルシアが何度か視線を追いかけたが、ピエールは目を逸らし続けている。


「そうね今日じゃないわね。でも、描き始めるのはいま。この場所よ」

「なにを……描く……の」

 ピエールの声は、息を吐くついでだ。

「目の前にいるでしょ。この子が輝く瞬間を、あなたの才能で切り取りなさい」


「でもボク……ヒトを描くのは……苦手」

「ちがうわ。それは違うの」


 ルシアが、ピエールの両腕を掴み、前を向かせて語りかけた。

「描けないんじゃないの、描こうとしていないの」


 両腕を掴むルシアの手が、ピエールの腕に食い込む。

 ピエールさんのフードが、頭からずり落ちた。

「あなたならできるわ。あなたがもっている才能は風景画ではなく、人物画なのよ。だから描きなさい。少女の姿をキャンバスに塗り込んで、そして克服しなさい」



 わたしは、いったい、なにを見せられているのか。

 日曜ドラマの、何話目だろうか。


 フードを降ろしたピエールさんの見た目は、二十代前半のフランス人。

 なんというか、とにかくいろんな意味で、めんどくさそう。


「離し……て」

「できるのね? ピエール・オルヴェーヌ?」


「……うん」

「じゃあ、準備しなさい。必要なものはある?」

「……コップ…………と水」

「なら、川の近くがいいかしら?」

「うん。それなら……やりやすい」


 ルシアが、アンティークチェアーをひとつ掴み、フリッツに言った。


「フリッツ、椅子1個借りるわよ」

 ルシアはさっきからずっとフランス語。

 フリッツもフランス語で言葉を返した。

「かまいませんが、お昼にいちど、戻していただけますと助かります」

「メルシィ」


 それから、わたしたちは、川のほとりへ移動する。

 ピエールの抱える荷物が、ゴトゴトと音を出している。

 重そうに見えるが、ピエールは軽々と運んでいた。

 顔はやつれて見えるが、体躯だけは、がっしりとしていた。


「この角度がいいかしらね」

 ルシアが椅子を設置する。

 どこを向いても工事現場で、風景らしい風景はどこにもない。


「背景は……小川とそのテント……で」


 昨日着替えをしたテント。

 そういえば、わたしの服はあのテントの中かな。

 まさか捨てられてたりしないよね。


 ルシアが椅子の向きを調整した。

「ミキ、座ってみて」


 わたしは、ロングドレスを着たまま、椅子に座る。


「ちょっとごめんね、ミキ」

 ルシアが近寄って、髪型とかスカートの裾を直してくれた。


「タデクを探してくるわね。ちょっとまってて」


 そして、ルシアは、どこかへ行ってしまった。


 ピエールが、ガタガタと準備を始めている。

 脇に抱えていたのは、折り畳み椅子ではなく、イーゼルだった。

 広げてキャンバスを乗せたあと、木箱を開ける。



 ピエールが顔を上げると、目つきが……


 直前まで、眠そうで疲れ切った顔をしていたのに。

 襲撃前の悪役俳優のような顔を向けている。


 なんだか、周りの空気まで変わってしまったような。

 周囲の地面で鳥がなにかをついばんでいたら、一斉に逃げ出したかもしれない。

 近所にイヌがいたら、一斉にキャンキャン吠え捲られていたかもしれない。


 そのくらい、ピエールが放つ印象が、変わっていた。


 燃えカスのような炭を拾い上げ、スラスラとキャンバスをなぞっている。

 もう描き始めているのかなぁ。



 しばらくピエールを眺めていたが、視線はいちども交わらない。


 ふと、ソラを見上げる。

 ニフィル・ロード空は、いつも綺麗。


「あ……そ、それ……」

「ええ?」


 視線を降ろすと、ピエールと目が合う。

 でもピエールは、顔の向きごと目線を斜めに下に逸らした。

 そして、顔を横に振る。

「ダメ……ダメダメちがう……」


「上を見てればいいの?」

「そう……上? ソラ? 雲?」

「わかった」


 なんだかわかんないけど。

 わたしはまた、流されて、川のほとりで椅子に座っている。


 ついさっき紹介されたばかりの、得体の知れないフランス人が、なぜか、わたしの絵を描いている。


 まぁいいか。

 周りは、トンテンカンとうるさいけど。

 みんながんばって、ミキたちのおうちを作ってくれているんだよね。



 雲はふわふわで、風も気持ちがいい。

 へんなフランス人に見つめられてなければ、もっと良かったのに。



 はぁ。


 お昼ごはん、まだかなぁ。




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