6.5.16
ルシアは、連れてきた人物を、フランス語で紹介した。
「彼はピエール。画家よ」
「えーと……?」
ピエールさんが、フードに手をかけて顔を覗かせる。
交番に届けられた迷いイヌのような顔。
もじゃもじゃでボサボサの茶髪。
なんだか、すごく眠そうな目。
「ピエール……オルヴェーヌ……ダ」
「……だ?」
名前……か?
ピエール・オルヴェーヌ? ……ダ?
デパートの3階とかで、化粧品とか売ってそうな名前……だ。
「えーと、どうしたらいいの……だ?」
「ちょっとまっててね、ミキ。いまネジを回すわ」
「うん? ネジ?」
ルシアが、ピエールの目を見ながら、フランス語で言った。
「さぁ、名前だけは立派そうな、ピエール・オルヴェーヌ」
「……?」
「パトロンを捕まえるチャンスよ。できる? できるわよね?」
「……やっぱり……今日じゃない……今日じゃ」
ルシアが何度か視線を追いかけたが、ピエールは目を逸らし続けている。
「そうね今日じゃないわね。でも、描き始めるのはいま。この場所よ」
「なにを……描く……の」
ピエールの声は、息を吐くついでだ。
「目の前にいるでしょ。この子が輝く瞬間を、あなたの才能で切り取りなさい」
「でもボク……ヒトを描くのは……苦手」
「ちがうわ。それは違うの」
ルシアが、ピエールの両腕を掴み、前を向かせて語りかけた。
「描けないんじゃないの、描こうとしていないの」
両腕を掴むルシアの手が、ピエールの腕に食い込む。
ピエールさんのフードが、頭からずり落ちた。
「あなたならできるわ。あなたがもっている才能は風景画ではなく、人物画なのよ。だから描きなさい。少女の姿をキャンバスに塗り込んで、そして克服しなさい」
わたしは、いったい、なにを見せられているのか。
日曜ドラマの、何話目だろうか。
フードを降ろしたピエールさんの見た目は、二十代前半のフランス人。
なんというか、とにかくいろんな意味で、めんどくさそう。
「離し……て」
「できるのね? ピエール・オルヴェーヌ?」
「……うん」
「じゃあ、準備しなさい。必要なものはある?」
「……コップ…………と水」
「なら、川の近くがいいかしら?」
「うん。それなら……やりやすい」
ルシアが、アンティークチェアーをひとつ掴み、フリッツに言った。
「フリッツ、椅子1個借りるわよ」
ルシアはさっきからずっとフランス語。
フリッツもフランス語で言葉を返した。
「かまいませんが、お昼にいちど、戻していただけますと助かります」
「メルシィ」
それから、わたしたちは、川のほとりへ移動する。
ピエールの抱える荷物が、ゴトゴトと音を出している。
重そうに見えるが、ピエールは軽々と運んでいた。
顔はやつれて見えるが、体躯だけは、がっしりとしていた。
「この角度がいいかしらね」
ルシアが椅子を設置する。
どこを向いても工事現場で、風景らしい風景はどこにもない。
「背景は……小川とそのテント……で」
昨日着替えをしたテント。
そういえば、わたしの服はあのテントの中かな。
まさか捨てられてたりしないよね。
ルシアが椅子の向きを調整した。
「ミキ、座ってみて」
わたしは、ロングドレスを着たまま、椅子に座る。
「ちょっとごめんね、ミキ」
ルシアが近寄って、髪型とかスカートの裾を直してくれた。
「タデクを探してくるわね。ちょっとまってて」
そして、ルシアは、どこかへ行ってしまった。
ピエールが、ガタガタと準備を始めている。
脇に抱えていたのは、折り畳み椅子ではなく、イーゼルだった。
広げてキャンバスを乗せたあと、木箱を開ける。
ピエールが顔を上げると、目つきが……
直前まで、眠そうで疲れ切った顔をしていたのに。
襲撃前の悪役俳優のような顔を向けている。
なんだか、周りの空気まで変わってしまったような。
周囲の地面で鳥がなにかをついばんでいたら、一斉に逃げ出したかもしれない。
近所にイヌがいたら、一斉にキャンキャン吠え捲られていたかもしれない。
そのくらい、ピエールが放つ印象が、変わっていた。
燃えカスのような炭を拾い上げ、スラスラとキャンバスをなぞっている。
もう描き始めているのかなぁ。
しばらくピエールを眺めていたが、視線はいちども交わらない。
ふと、ソラを見上げる。
ニフィル・ロード空は、いつも綺麗。
「あ……そ、それ……」
「ええ?」
視線を降ろすと、ピエールと目が合う。
でもピエールは、顔の向きごと目線を斜めに下に逸らした。
そして、顔を横に振る。
「ダメ……ダメダメちがう……」
「上を見てればいいの?」
「そう……上? ソラ? 雲?」
「わかった」
なんだかわかんないけど。
わたしはまた、流されて、川のほとりで椅子に座っている。
ついさっき紹介されたばかりの、得体の知れないフランス人が、なぜか、わたしの絵を描いている。
まぁいいか。
周りは、トンテンカンとうるさいけど。
みんながんばって、ミキたちのおうちを作ってくれているんだよね。
雲はふわふわで、風も気持ちがいい。
へんなフランス人に見つめられてなければ、もっと良かったのに。
はぁ。
お昼ごはん、まだかなぁ。




