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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
カラフルな『あの世界』
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6.5.02 - フレンチ・パングリエ


 ギルドの拠点予定地には、今は寝られる場所がない。


 だからみんな、寝るためにメモリアへ行って寝る。

 タデクだけが、資材の上でイビキをかいていた。


 わたしも酒場の小部屋に戻って横になる。

 眠くなかったけど、暇すぎて、ちょっとだけ寝オチした。


 陽が昇りはじめると、パタパタと部屋の外から足音。

 出ると、みんな仕事を始めている。


 わたしも、お掃除を手伝った。

 ガロムちゃんとふたりで井戸へ行き、水汲みも手伝った。

 お店の裏は、小さな畑になっていて、最後はナギサと雑草抜き。

 それが終わる頃には、朝陽が昇りきっていた。


「ありがとう、みき。朝ごはん、食べていくでしょ?」

「あ、ごめん。ちょっと出かけてくる」

「あらそう? 食べていかなくていいの?」

「うん」


 わたしは、ナギサに断わりを入れて、また小部屋を借りた。

 そして、エレメント・ノードへ。




 昨日の夜。

 朝になったら、また来てほしいと、フリッツに言われていた。

 ミシェルの腕前を、朝食で披露してくれるらしい。


 お題があるらしく。

 フレンチ・トースト。

 (フレンチ・パングリエ)


 朝からお手伝いをしたから、お腹はペコペコだった。

 フレンチ・トーストってことは、甘いのかなぁ。

 バターとミルクたっぷりかな?

 ちょっと楽しみだ。



 噴水広場を離れて、テントの方へと向かう。

 近づくと感じる、途方もなくいい匂い。


 その匂いに釣られているのは、わたしだけではない。

 周りにいるプレイヤーの多くが、その匂いの場所へ、鼻と視線を向けている。



 フリッツが、直立していた。

 フェルト帽に黒いスーツ。

 朝陽を溜め込んだ水色のネクタイ。

 わたしが近づくと、フリッツは、スッと頭を下げてから言った。


「ようこそ、おいでくださいました、マドモワゼル」


 フリッツは斜めに向きを変え、ふわりと右の手のひらを、テーブルの方へと向ける。


 テーブルには、真っ白いクロスが掛けられていた。

 中央には、背の低い花瓶。

 1輪のカモミールがソラを見上げ、その下からもう1輪が、朝陽を眺めている。


 フリッツが椅子を引き、わたしはそこに座る。


「恐れ入りますが、いましばらく、朝の香りをご堪能ください」


 フリッツが離れていく。


 すぐ横の焚火の周りで、ミシェルがキビキビと動き回っていた。

 服装は、初期装備の亜麻布のまま。

 頭だけ白い帽子で包んでいるが、足元は裸足。

 なのに、その動きは、研究室で立ち回る博士のようだ。


 焚火の上には、穴の開いた鉄板が架けられ、そこに複数のフライパンを乗せている。

 その脇に細長いテーブルがふたつ。

 食材と食器、それと調理器具が並べられている。

 ミシェルはフライパンの上で、しきりにスプーンを動かしていた。



 そして……

 ああ……

 いい匂い。


 甘酸っぱくて爽やかな……リンゴだと思う。

 その後を追いかけるような、清涼感のあるハーブの香り。



 いつのまにか、フリッツがわたしの隣へ。

 コトっと、ガラスのコップを置いた。


「カモミール水でございます」

「ありがとう」


 また、フリッツが立ち去っていく。


 透き通っているが、微かなセピアが滲んだ水。

 テーブルに飾られたカモミールを眺めながら、そのお水を口元に運ぶ。


 冷たくはない。熱くもない。

 常温よりも少し温かいだけのぬるま湯。

 甘みが引き立てられ、苦味が微かに通り過ぎていく。


「おはよう、ミキ」

「ルシア」


 振り向くとルシア。

「フレンチモーニングなんて、楽しみね」


 後ろには、ディルとタデク。

「わたくしは、フレンチを知りません。どんなお味なのでしょう」

「オレも招待されたんだが、いいのか?」

「あなたも幹部なんだから、知っておかないとダメでしょ」

「オレなんかに料理の良し悪しがわかるとは思えんが」

「タデク様も、騎士爵でございましょう」

「いやだから、オレは3男だし、爵位なんて何代も前に消滅済みだ」


「あはは」

 思わず笑ってしまった。

 この3人がいると、朝から騒がしい。そして楽しい。

 やっぱりここは、わたしの家族なのかも。

 そんな雰囲気に包まれる。


 3人が席につく。

 タデクがわたしの左隣。

 ディルは右側。

 ルシアは正面に座った。


 フリッツが、お盆にガラスのコップを3つ。

 それを、それぞれの手元へ置いていく。


 タデクが、コップを掴むと、ゴクゴクとそれを飲みほした。

 また笑いがこみあげる。

 この雰囲気にもまるで物怖じしない田舎騎士。


 フリッツはすでに、水差しを持って後ろに控えていた。

 カラになったタデクのコップに、カモミール水を静かに注ぐ。



「支配人、サーブを」

 ミシェルが、フリッツを呼んだ。


「ウィ、シェフ」


 フリッツが、お皿を運びに行く。

 最初のお皿をテーブルに置く。

 皿の淵に微かに残った指の跡を、真っ白なハンカチで拭き取る。


「ウサギ肉のポワレと、カブのシードル煮込みでございます」


 えっと。

 なにそれ。

 そんな名前の料理、わたしは知らない。


「え……? なんだって?」

 代わりに、タデクが言った。


 わたしも同じことを思ったけど……口には出さなかった。


 平たく刻まれた、ミルクのような色味のカブ。

 焼き色のついたモモ肉とムネ肉。

 香ばしいオリーブオイルと、仄かなリンゴの香り。


 手をつける前に、次のお皿が並ぶ。

「アンディーブの温製サラダでございます」


 繊細な焦げ目のある、花びらのようなアンディーブ。

 それが花弁のように並べられている。

 真ん中には、ちょこんと丸まった、少量の玉ねぎとリーキ。


「本日のメイン。ライ麦パンのトーストでございます」

 3つ目のお皿は、ミシェルが運んだ。


 どうみても、トーストだった。

 ほんのりと、バターが香るトースト。

 その香りと、見た目のカリカリ感と弾力。

 わたしじゃなくて、トーストそのものが、主張している。

 いますぐ食べてと、告げている。

 いままで食べた、どんなトーストよりも、食欲をそそられる。



 フリッツは、木製のフォークとスプーンを並べていた。

 木製なのに、磨き上げられて光沢を放っている。


 並べ終わると、フリッツが言った。

 主に、ルシアに向けて。


「本日は、ペアリングとなるワインが間に合いませんでした。大変、申し訳ございません。どうか、カモミール水で、ご容赦ください」


「ッフフ、フフフ。かまわないわフリッツ。どうもありがとう。さぁ、食べましょう」


「ええ、いただきましょう」

「お……おう」


「……うん」


 最初にルシアが、アンディーブを口に運ぶ。

 タデクは、ウサギ肉。

 ディルは、カリカリでモチモチのトーストをちぎる。


 わたしは、アンディーブに囲まれた、サラダを口に運ぶ。


 ああ……

 仮想世界で。

 こんな野営地で。


 調理場は、床も壁もない焚火。


 野外で、お金を出して食べる食事なんて、バーベキューか焼きソバくらいしか、わたしは知らなかった。


 それがどうだろう。

 玉ねぎとリーキから広がる、オリーブとハーブに包まれた、複雑な旨み。

 クタクタの繊維なのに、確かな食感と、溢れ出る爽やかな風味。


 ミシェルが皿に載せたのは、言ってしまえばただの朝食。

 食べて消えるだけの、朝のひと幕。


 原っぱで食べる、ただの朝食。

 頬を撫でる風の感触。

 花瓶の水をキラキラと光らせる朝の陽ざし。


 どこからともなく聞こえてくるのは、幻聴。


「パヴァーヌ……( Pavane )」


 出てきた言葉は、それだけ。


 使われた材料も調味料も。

 すべて、この野営地で手に入るもの。

 初日から今日まで、何度も焚火を囲んで食べた食材だった。

 いままでだって美味しかったけど。


 ミシェルが用意したのは、朝のフレンチ・トースト。

 思っていたのと全然違ったけど、これは常軌を逸していた。



 わたしも、ルシアも、ディルも。

 そして、タデクさえも。


 なにも言わず。なにも言えず。

 ただ、静かに、笑顔を浮かべたまま。



 スプーンとフォークを動かすだけの朝だった。



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