6.4.14
ナギサに引きずられて、ガロムちゃんが奥の部屋へと消えた。
マスターは厨房へ行って、陶器のボトルを掴んで戻る。
手にはコップが3つ。
「嬢ちゃんも呑めるか?」
「うーん……じゃあ、少しだけ」
マスターが栓に指をかける。
キュンと音を立てて、コルクが抜けた。
香ってきたのは、ほのかなリンゴの匂い。
「マスター、そのワインて?」
「アップルワインだ。ヴァージンヴェール。しかも25年モノ」
それ知ってる。
おにいちゃんが、よくメモリアから運んできていたお酒。
3本で、農民の年収くらいの価値だって言ってたような。
「ヴァージンヴェールって、すごく高いんじゃ……」
「値段なんて、もうつけられねぇな。もしかしたら、この村以上の価値だ」
ナギサが戻った。
「あら……それ開けちゃうの?」
「今夜しかねぇだろ。半分はナギサのだ。いっしょに呑もう」
「え、ええ……」
マスターが、コップにワインを注ぐ。
トロトロと、何かが閉じ込められているかのような、どんよりとした琥珀色。
溶けた金貨のような色味だった。
注ぎ終わると、コップのヒトツをわたしの手元へ。
もうひとつを、ナギサの手元へ。
マスターが、コップを掲げた。
「ユイとカタセ村と、そしてすべてが始まったあの夜に」
ナギサが、コップを寄せる。
わたしもそれに習う。
そして3人で、コップを打ち鳴らす。
鼻に近づけると、キャラメリゼされたかのようなリンゴ。
子供でも食べられそうな、ブランデー入りのりんご飴のようなの香り。
コップを傾けると、トロトロのシロップが思い浮かぶ舌触り。
酸味がとれた純粋でまろやかな甘み。
直後に湧き上がる、咽るような重苦しさと、羽が生えたような苦味。
口の中だけが、どこかへ弾き飛ばされてしまいそうだった。
これがワイン……
リンゴジュースでも、シードルでもない。
たぶん、ワインですらない。
ナギサが言った。
「なによこれ、言葉にできないわ」
「それでいい……安ぽい感想なんて、ひとつも聞きたくねぇ」
マスターの言う通りだ。
わたしはなにも言わず、もういちどコップを傾けた。
「このワインはな、あの晩、俺が店からくすねたんだ」
「……泥棒?」
「退職金ってやつだ」
「え、お店やめちゃったの?」
その問いには答えず、啓介の話を再開した。
「ケイスケは、ダストスの話を聞いたあと、カタナを抜いたまま店の外に出た。そんで、群がってた兵士の連中に、左手のお札を見せたんだ」
お札……ログインデバイス。
「ヴィルゴ王国では、わたしびとではなく、バイスタンダーと呼ばれていてな。ケイスケが現れる以前は、バイスタンダーがヴィルゴ王国の英雄だったんだ。スピカの街には、石像もあるんだぜ」
「ふーん……」
バイスタンダーって。
カウント21より前のプレイヤーかな。
「だから、ケイスケが見せたお札の効果は絶大だった。王国の連中にとっても、英雄の再来だからな。外の連中だけじゃねぇ。俺も、店にいた連中も、お札を見て呻き声をあげたよ」
「それからどうしたの?」
「外で、ケイスケと王国の連中とで、交渉が始まった」
「どんな?」
「交渉の詳しいやり取りは知らねぇ。知ってるのは結果だけだ」
「みんな、助かったの?」
「その場は、いちおうな。
ケイスケの要求は3つ。
ウガーラ族に対する弾圧の停止。
立てこもるウガーラ族の解放。
そして、族長とその妻の釈放だ」
「王国は、それを呑んだの?」
「条件付きでな。
王国の要求は4つ。
ウガーラ族の国外追放。
関与した貴族も家族そろって国外へ追放。
ケイスケは王国に留まるよう要求された。
それと、今回の首謀者の捕縛と裁判。衛兵が4人殺されちまったからな」
「首謀者って、ダストス?」
「そうだ」
「ええ……ぜったい殺されちゃうよ」
「うむ。おそらく、ケイスケもそう思った。そこでケイスケも、逗留ではなく自分を捕縛しろと要求した」
「え、パパも捕まっちゃったの?」
「そうだ。ただ、それにも条件を付けた」
「なに?」
「解放するウガーラ族に、2名の人質を持たせることだ」
「人質?」
「ウソばっかりの国だったからなぁ。首謀者もバイスタンダーもいない状態で、ウガーラ族が生きて解放される保証なんて、どこにもねぇ。だから店のスタッフを2名、人質として連行することになったんだ」
「えー、かわいそう」
「それが、そうでもねぇんだ」
「どうして?」
「俺とナギサはな、じつは以前から駆け落ちするつもりでよ。なぁ?」
「ッフフフ……若かったわね、あの頃は」
「え?」
「ずっと前から、逃げるチャンスをうかがっててよ。
いつか、どこか小さな村で、ふたりで酒場を始めよう……それが俺とナギサの夢だったんだ。フッハハハ」
「えーっ、でも、あぶないよね。人質もろとも殺されちゃう可能性だってあったでしょ?」
「そこも、ケイスケは計算づくだったみてぇでよ。捕まった牢屋から、その日の夜中に消えちまったんだってよ。なにかあれば、大臣を殺害するとかなんとかの脅迫文を残してな。ダッハハ」
それは……エレメント・ノードに隠れたんだね……
「そんで俺たちは無事、このカタセ村に辿り着いたってわけさ」
「追放された貴族も?」
「そうだ。
ユイはな、レストランで手引きした貴族の娘だ。
それと城門を開けた男とその妻も、カタセ村の農夫になった。
ウガーラ族は、カタセ村の自警団になるついでに、近くの森に潜伏した。まぁ、いよいよ盗賊みてぇになっちまったけどな」
「捕まったパパはどうなったの?」
「それがなぁ……結局、族長とその妻は処刑されちまってよ」
「えー、またウソついたの?」
「ああ、ケイスケも怒ったみてぇでよ」
「そりゃ怒るよね」
「どうやったのかは知らねぇが、ダストスといっしょに脱獄して、ふたりで、ひょっこりカタセ村に顔をだしたんだ」
「あはは。パパすごい」
「それからケイスケは、2度とヴィルゴ王国に支援しないと誓った。それどころか、いつか滅ぼしてやるとまで公言していた」
「そんなに怒ったの……」
そんなにキレるパパ、わたしは、知らないよ。
「それで、王国も懲りたみてぇでな。英雄を騙して嫌われたあげく怒らせた。国民から見たら、どうみても国の方が悪の親玉だろ。なにやってんだってハナシだよ」
「それもそうだね」
「おかげでカタセ村や、ウガーラ族に追手を向けるようなこともなかった。ヴィルゴ王国としては、ケイスケと和解したがってるってハナシも聞く」
「ふーん……」
「どうする、嬢ちゃん。ヴィルゴ王国まで行ってみるかい? もしかしたら、英雄かお姫様の待遇で、歓迎してくれるかもしれねぇぞ?」
「絶対にヤダよぅ。怖すぎるし、みきはカタセ村がいい」
「ッハハ。そうか。そうだよな。俺といっしょだ。ッハハハ!」
それにしても。
ひどいなぁ、ヴィルゴ王国……
でも、ちょっとまって。
だとしたら、おにいちゃんもすごいな。
穀物とか高級ワインとかを、巻き上げてたんだよね。
ヴィルゴ王国から。
しかも女王様を相手に。
聖女から求婚までされたって言ってたし……
よくそんなことできたなぁ……
あとがき#ルシアとソウジ
「ソウジ、明日には着くみたいよ」
「そうか……」
「やっと船酔いに慣れたのにね」
「おまえは、よく船の上で、ワインなんて呑めるな」
「フランス人にとって、ワインは水と同じよ」
「オレは、水も呑みたくないよ……」
「どうしたの、こんな真っ暗な海ばっか見て」
「ちょっと、大昔のことをな」
「昔って?」
「150年くらい前かな」
「はぁ? アナタ、まだ二十歳かそのくらいでしょ」
「あのリンゴワインなら、船酔いでも呑めるかもな」
「へー、どんなワイン?」
「名前は……忘れた……」
「ッフフ、味しか覚えてないの?」
「ワイン好きのルシアの感想も、聞いてみたい」
「あらぁ、私も呑んでみたいわ。どこの国のワイン?」
「どこの国……だったっけなぁ」




