6.2.10 - ふたりめの仲間
ルシアが言った。
「それでさぁ、タデク。提案があるんだけど」
朝ごはん食べて。
タデクは、ルシアが持ってきた服に着替えた。
獣臭いマントの匂いは、西洋松の香りに変わっている。
タデクが答える。
「提案って、なんの提案だ」
「ミキは天使だけど、私もミキも戦うのはムリだわ。襲われて逃げきれたらいいけど、殺されるか……もしくは……」
ルシアが、言葉を止めた。
数秒。
そして、また続けた。
「……考えただけでも、悪夢よ」
タデクが、うなずく。
「ここがどこかは知らないが、ここも楽な場所ではないのか」
「タデク。あなたって、夢も希望もなさそうだけど、どうして?」
「はぁ? なにを勝手に」
「あなたが欲しいのはなに? お金? それとも名声? 名誉?」
「……馬鹿にしてんのか」
「してないわよ。最後にあなたをほめるつもりだから、答えて」
「……オレが欲しいものか。なんだろうな。考えたこともない」
「どうして?」
「そんな暇が無かった。
いつ死んでもおかしくない生活だ。
生きる目的、理由、どうでもよかった。
ならなぜ生きているんだと問われると困るが。
強いて言うなら、死ぬ理由すらも持っていなかったんだろう」
「そう。わかった。ありがとう」
「礼を言われるようなことを言ったか?」
「もうひとつ聞きたいんだけど、いい?」
「なんだよ」
「ログインデバイスを手に入れた理由。なにがあったの?」
タデクが沈黙した。
表情は変わらない。
タデクは無表情だ。
おにいちゃんと、同じくらい。
10秒くらいしたところで、タデクが大きな息を吐いた。
そのあと、残った息で、言葉を吐き出した。
「それは言いたくない」
「そう……」
「だが、これだけは誓おう。神と、祖先の名誉に」
タデクが、右こぶしを軽く丸めて、胸の前に置いた。
そのまま、ソラを見上げる姿は、ほんとうに騎士様みたい。
「オレは、なにも、間違ったことはしていない」
その言葉を待っていたかのような、心地よい風が吹き抜けていった。
その風か、もしくはタデクの返答か。
おそらく後者の理由で、ルシアが微笑んだ。
「ミキ」
「うん?」
「タデクのこと気に入った?」
「うん」
「タデク」
「なんだよ」
「うちの姫の、騎士になる気ある?」
「はぁ?」
「お給料は三食あるけど昼寝は無し。私といっしょに、ミキ姫を守りなさい」
「昼寝も無しかよ……」
「昇給もあるかもしれないわよ」
「そもそも、姫って。どこかの亡国の姫なのか?」
「ミキはね、ダディーとマミーを探しに行くの」
「ダディー? とマミー?」
「そう、この世界のどこかにいる」
「オレはこの世界のことを、なにも知らない。役に立つと思うのか」
「女性2人の旅よりは、マシでしょ?」
「……だからって……少し時間を貰ってもいいか?」
「ダメよ」
「はぁ?」
「今すぐ答えて。イエスか、ノーか」
「……なら、ノーだ。断わる」
ルシアの表情が、ますます微笑む。
断わられたのに。
「タデク!」
「なんだよ!」
「合格よ!」
「何言ってんだ。いまオレ、断わったよな?」
「あなたねぇ、麗しいふたりの美少女が、これからこの世界で生きていくのよ。それを見放す気?」
美少女……って。
ルシアは年齢的に、少女じゃない気が……
「……知るかよ」
「それ。それよ。あなたの返答。ぜんぶ合格」
「……わけがわからん」
「めんどうなオンナだなって、思ったでしょ?」
「……」
「ここから、立ち去るにはどうしたらいいか、考えてるでしょ?」
「……」
「どうせ、帰ることもできないんだし、やることもない。ここから立ち去っても、暇を持て余すだけよ?」
ルシアが、見透かしたような言葉を続けている。
なにも言い返さないタデクが、少し気持ち悪がっているように見える。
「ミキもなにか言ってあげて」
「うん?」
ルシアが、英語で言った。
(あとヒトコトで、落ちるわよ)
「えっ……」
ルシアに英語で返した。
(なにすればいいの……?)
(なんか、魔法でも使ってみたら?)
(魔法って……)
なにをすれば……
わたしは、地面に視線を落とした。
ふと、左下の視界の端っこ。
ブルームシードの柄の先端から垂れる、房飾り。
「うん、それじゃあ……」
泣いちゃうかもしれないけど。
「神様にお願いして、とっておきのお友達を紹介してあげる」
わたしは立ち上がった。
それから、剣を抜く。
ブルームシード。
バスケットヒルトを、鼻の先まで持ち上げた。
その先から垂れ下がる、リュウタの灰色の毛。
もうリュウタの匂いはしない。
ただ、フサフサなだけの、灰色オオカミの体毛。
それでも湧き上がる、リュウタの鳴き声、温もり。
あのとき、毎日交わした、リュウタの意識と感情。
わたしのところに駆け込んで来ようとしている。
生まれたばかりの、ちっこいリュウタが、すぐそこから。
やっぱり、涙が……こぼれちゃう……
でもそれでいい。
この高まりなら呼べる。わたしもリュウタに会いたい。
目を閉じた。
わたしは思考した。
――リュウタ、わたしに声を聞かせて。
目を開ける。
そのはずみで、こぼれ落ちていく涙。
歪みながら、頬を離れ、地面に落ちていく。
涙が、ぼんやりとした灰色の光の玉に姿を変えていく。
零れ落ちていく光が大きくなり、綿あめのような姿に変わる。
光りの中から現れたのは、生まれたばかりの灰色オオカミ。
始めて出会った、あのころのまんまのリュウタ。
地面に降りると、最初はよちよちと。
瞬く間にトコトコと、小川に向かって駆け出していく。
ほんの数秒の間に、リュウタがどんどん成長していく。
小川に辿り着くころには、立派な灰色オオカミになっていた。
小川を飛び越えて、リュウタがこちらを振り向いた。
それは、わたしが目に焼き付けた、最後のリュウタ。
2歳になる前の、若い灰色オオカミの姿。
幻のオオカミの感情が、わたしの意識に流れ込んでくる。
やっと呼んでくれた。
また会えた。
おはようミキ。
お腹空いた。
背中なでてほしい。
首の周りに触れてほしい。
うん?
吠えたらいいの?
どんなのがいい?
追い払うやつ?
それとも、知らせるだけのやつ?
ああ、それか。
うれしい。
それは、いちばん好きなやつ。
ミキを呼ぶ遠吠え。
川面に佇む、リュウタが顔を上げた。
鼻の先は、ワールドカウント22の青空。
もしかしたら、このカウントで。この世界で。
最初に響き渡る、オオカミの遠吠え。
時代を超えて、世界すら越えて。
青空に花を飛ばすような。
雲をフカフカのベッドに変えてしまうような。
丸くて、優し気で。
大好きな誰かに、居場所を伝えるための音色。
リュウタの遠吠えが、わたしたちの目の前で吹き上がった。
10秒か、20秒か。
まばたきするのも、忘れてしまう時間のリュウタの遠吠え。
ふと気が付くと。
リュウタの幻影は、木霊す音の残響を残しながら。
霧のように、散ってしまった。
最後に、残ったのは。
わたしの両目から流れまくる、涙だけだ。




