5.9.04 - サンタのくつした
11月27日、土曜日の午後。
玄関からチャイムの音。
くつしたのまま土間に降りて、駆け寄って、扉をあけた。
立っていたのは、青いパーカーを羽織ったまゆさん。
「みきさん、こんにちわ……」
現実世界のまゆさんは、とっても声が小さい。
なに言ってるのか。ときどき聞き漏らす。
「みて、ケーキ。買ってきた」
まゆさんが顔の前に掲げたのは、その顔の倍くらいありそうな、白い箱。
無機質な箱の匂いに混じった、生クリームの香り。
「うわぁ、たべるたべるっ」
後ろから、お母さんの声。
「まゆちゃんいらっしゃい。まーぁ、ケーキ買ってきてくれたの?」
「ん、4つあるから。みんなで食べよう」
「じゃあ、お茶いれるわね。紅茶でいい?」
「ん。甘めで」
「っふふ。じゃあ、上がってまってて」
お母さんはケーキの箱を受け取って、台所へ向かう。
そのあと、玄関で靴を脱ぐまゆさんが、背中を向けたまま言った。
「あいつから、連絡あった?」
「ない」
「そっか。みきさんの誕生日なのにね」
テーブルに着くと、台所からお母さんの声。
「まぁ、なぁにこのケーキ。高級品じゃない」
「ん、そうなの? わたしはよく食べてるけど」
まゆさんが、ダイニングテーブルの椅子に座る。
台所に近い左の奥。
2年前まで、おにいちゃんが座ってた椅子。
わたしはその隣。
「ん……みきさん、スマホ鳴ってない?」
「うん? あ、ほんとだ」
ポケットからスマホを出す。
「番号非通知……?」
「え、なんだろ。営業電話?」
「おにいちゃん……じゃないよね……」
「いちおう、出てみたら?」
「……うん」
通話を押した。
耳にあてるよりも早く漏れてきたのは、くしゃくしゃのダミ声。
「ぃよう、未希の嬢ちゃん、元気か。声を聞くのは何年ぶりだろうなぁ。40年ぶりか?」
お爺ちゃんみたいな声だった。
でも、どこかで聞いたことがあるような。
「え、えっと……どちらさま? ですか」
「っはは、そりゃそうだよなぁ。これじゃあオレオレ詐欺だ」
「えっと……あの」
「ならよぉ、未希の嬢ちゃんに預けた、リュウタはどうしてる? 元気にしてるか?」
「え……?」
「思い出したか?」
「リュウジ……さん?」
「ッカカカカ。正解」
「え、なんで? どうして?」
「伝言があってな」
「伝言?」
「靴下を探せってよ。誕生日とクリスマス。ぜんぶ合わせて靴下の中。なんでも嬢ちゃんが小さい頃に編んでくれたやつ? とかなんとか言ってたぞ。うらやましいなぁ、あのヤロウ」
「え……それって……」
「おぅ。ソウジからの伝言だ。伝えたぜ。今日が、誕生日なんだって?」
わたしは、口元を抑えた。
そうしないと、嗚咽が漏れてきそうで。
でも、押さえたところで、溢れ出てくる涙は、どうにもならない。
「うん、うん……そうだよ。今日はみきの誕生日」
「そうかぁ。おめっとさん。幾つになった?」
「じゅうろく」
「そうかそうか。そんじゃあ、40年前のことなんて、覚えてるわけもねぇな。生まれてねぇじゃねぇかっ、だっははは!」
「覚えてる。未希もリュウタも、リュウジさんを覚えてる。リュウタも元気だよ」
「そうかぁ。懐かしいなぁ。嬢ちゃんに預けて正解だったよ。そんじゃ、伝えたからな。もう切るぜ」
「まって、リュウジさん」
「あん?」
「おにいちゃんは?」
「あいつか。あんまり言うなって言われてんだけどよ。ソウジはまだ生きてる。だから心配すんな。そのうち顔も見せにいくだろ」
「そっか。わかった」
「おぅ。じゃあな嬢ちゃん。幸せにやってくれよ」
「うん。ほんとにありがとう、リュウジさん」
「やめてくれよ。嬢ちゃんにそんなこと言われたら、バチが当たり過ぎて死んじまうよ」
「ふふっ」
「じゃあな……」
電話が切れた。
「未希ちゃん、どうしたの?」
泣き顔のわたし。
紅茶を運んできたお母さんが立ち止まっている。
鼻をすすって、呼吸を整える。
それから、まゆさんの腕を掴む。
ひとりじゃ……ムリ……
「まゆさん、ちょっと来て」
「ん……なに? どしたの? リュウジって?」
右手で、まゆさんの腕を引いて、階段を昇る。
わたしの部屋のドアを通り過ぎて、おにいちゃんの部屋の前。
目を閉じた。
もういちど、呼吸を整えた。
左手でドアノブを掴む。
回して、引く。
そこから溢れ出たのは……
微かに残った、おにいちゃんの部屋の匂い。
目を開けた。
なにも変わっていない、おにいちゃんの部屋。
おにいちゃんがいた頃の記憶。
それが、魔法のように、脳裏に雪崩れ込んでくる。
「ここって、総司の部屋?」
「うん……」
部屋の中を見渡した。
ベッドと机と、マンガ本の棚があるだけの殺風景な部屋。
でも、すぐにわかった。
机の上に、紫色の1輪の花。
ドライフラワーみたいになった、ムスカリの花。
未来への希望の花。
机に近づいて、すぐ下の引き出しを開けた。
空っぽの引き出しの真ん中に、片方の靴下。
未希が、小学校4年生のときに編んだ、手編みの靴下。
少し小さな子供用。
汚れひとつない。糸もまったくほつれていない。
こんなの履けないって言って、いちども履いてくれなかった靴下。
でも、おにいちゃんは、大切にしてくれていた。
その靴下の中。
もこっと膨らんでる。
なにか入ってる。
拾い上げて、中を覗き込む。
カギが1本と、黒い電子機器。
それと小さな紙切れ……
カギはこの家のカギだった。
電子機器を掴んで取り出した。
すぐに、表面に文字が浮かび上がる。
『 Tell me the "World Count" you wish ? 』
(希望するワールドカウントを教えて)
泣き出したいのをこらえて、紙切れの文字を読む。
紙切れには、黒い文字で、ひとことだけ。
「片方だけ貰っていく」
もうだめ。
我慢できない。
蛇口を閉め損ねたみたいに、両目から涙がこぼれ落ちていく。
立っていることもできなくて、まゆさんの腕を掴んだまま、わたしは崩れ落ちた。
おろおろとするまゆさんの横で、わたしは靴下を握りしめながら泣いた。
おにいちゃんが、この家に来ていた。
未希が編んだ靴下の片方を持ていった。
置いて行った片方に、プレゼントを残してくれた。
未希の16歳の誕生日。
あと1カ月でクリスマスの日。
靴下に入っていたのは、
パパとママに会いにいくためのログインデバイス。
世界にひとつしかない、
仮想世界への特別なパスポート。
シェイプシフトデバイス……
わたしの涙は、いつまでたっても。
とまらなかった。




