5.9.02 - この世界、あの世界
2日後。
11月26日の夜。
もうすぐ夜の11時。
ごはんも食べて、お風呂にも入って。
宿題も終わった。
「おやすみなさい。お父さん、お母さん」
「はい。おやすみ、未希ちゃん」
「おやすみ、未希」
お父さんとお母さん。
とっても優しくて、いつも未希のことを気にかけてくれる。
どれだけ優しいかっていうと、死んじゃったパパとママよりも優しい。
もう少し叱ってほしいって思うのは、わがままかもしれない。
叱られ過ぎたおにいちゃんは、この家から出て行っちゃったんだから。
だけど、おにいちゃんも、わがままだと思うんだよな。
だって、わたしにはもう。
我儘が言えて、愛情込めて叱ってくれる親なんて、世界のどこにもいないんだから。
階段を昇って、部屋のドアを開ける。
廊下の奥のドアは、おにいちゃんの部屋のドア。
おにいちゃんがいなくなって、もう、何年も触れていないドア。
電気を点けて、自分の部屋のドアを閉める。
ベッドに近づいて、クマのぬいぐるみを、枕のところにずらす。
そこに布団をかぶせて、わたしが寝ているように見せかける。
ランタポンタは、今夜もわたしの代わりに、おるすばん。
引き出しをあけて、ログインデバイスを手に取った。
『 Waiting for Login 』
『 Remaining Stay 69:57 』
ログインリチャージは終わっている。
部屋の真ん中に立つ。
『 Join Me 』
あれから。
おにいちゃんは、どうしたんだろう。
また、デバイスを落としてログインしたら……
助けに来てくれるのかな……
わたしは目を閉じて、その文字に触れた。
ログインデバイスは落とさないように、しっかりと握る。
目蓋の上に光がのしかかった。
そして、音もなく遠のいていった。
夕陽のような淡い感触を覚えると、周りの空気も変わった。
懐かしい匂い。
ホコリと、少しのかび臭さ。
古くなった木造の家の匂い。
頭に、ふわっとした温かい感触。
いつもの枕と違う。
左のほっぺに、なにかが触れた。
ざらっとした感触が、ペロペロと、私のほっぺたを舐めている。
そこからつたわる、草原でお日様に包み込まれるような感覚。
意識の中に溢れたのは、朝陽が運ばれてくるような涼し気な風。
目を開けなくてもわかる。
リュウタが、おはようって言ってる。
わたしの中につたわるリュウタの感情は、いつもあの頃のまま。
綿あめみたいに、小さくて。
わたしの腕の中で鼻先だけあげて、わたし探している、あかちゃんの灰色オオカミ。
左手を伸ばして、ふさふさの首に腕をまわした。
そのまま体毛に、顔をうずめる。
リュウタ……
無事だったんだね。生きててくれたんだね。
ずっと、未希の傍にいてくれて、未希を命がけで守ってくれたリュウタ。
思考の中で、ちっこいリュウタが、また駆け寄ってくる。
そして、わたしの胸めがけて、飛び上がって来る。
わたしは目を開けた。
カラフルな世界。
わたしの大好きな場所。
寝ていたのは、ベッドの上。
頭はリュウタのおなかの上。
ここはメモリア。
ママのおうち。
お部屋の中に差し込むのは、真っ赤な夕焼けの色。
あのあと、どうなったんだろう。
おにいちゃんは、どうしたんだろう。
なんにもわからない。
わたしは、ログアウトしちゃったから。
これまでにも、何回かあった。
強烈な魔法を発動すると、勝手にログアウトしちゃう。
そんなことが起きるのは、未希だけだろうって、噴水おじさんが言っていた。
でも、その理由はわからない。
わからないけど、リュウタの目を覗き込む。
すぐ目の前。
10センチも離れていない。
「リュウタ、お腹空いた?」
リュウタが、くんくんと、鼻を上下に揺らしている。
流れてくるのは、干し肉、生肉、骨付き肉。
「ふふっ、そうだね。ずっとお魚と、キノコだったもんね」
お肉も、お野菜も。
なんにもないから、買いに行かなきゃ。
なんだか暑い。
そういえば、コートを着たままだった。
ベッドから起きて、立ち上がる。
そしたら、カランと、音をたてて剣が転がり落ちた。
それよりも、まず、コートを脱ぐ。
ルミナス・コアは、これを着てても寒かったけど、ここでは暑い。
コートを近くの椅子に掛けて、床の剣を拾う。
ブルームシード。
カイルさんから貰った、片刃の剣。
腰のベルトから鞘を外して、床から拾い上げた剣をしまった。
そのままブルームシードは、タンスの中へ。
こんなの差して歩いてたら、街のみんなになんて言われるか。
それより、鏡の前へ。
前髪から、ボブの毛先まで、指で梳いて整える。
後ろで、カラダを伸ばすリュウタも、鏡に写っている。
そのあと服装のチェック。
わたしは、田心未希。
この街のアイドルだった、田心詩織の娘。
へんな姿は見せられない。見せたくない。
でも、ちょっと汚れてる。
もう、何十日も来てる服。
けど……まぁいっか。
早く行かないと、お肉屋さんが閉まっちゃう。
「いこ、リュウタ」
リュウタが、フンと鼻を鳴らした。
大丈夫。
残されたのは、あと、少しの時間。
リュウタと過ごせる時間も、あと少し。
大丈夫。
わたしは大丈夫だよ。
別れることには、慣れている。
大事なのは、その瞬間まで、どう過ごすか。
どんな思い出を残せるのか。
幸せな思い出を、たくさん残す。
残したい。
別れはつらいし、きっと泣いちゃう。
いまだって、油断したら、涙があふれてきそう。
でも、辛いのは……
涙が思い出に変わるまでの間だけ……
リュウタは大丈夫?
みきがいなくても、平気?
……うん。そうだね。寂しいよね。
でも、その日が来る。やってきちゃう。
残りの時間は、ずっといっしょに過ごそうね。
リュウタ。
ドアを開けた。
外に踏み出す前に、目を閉じた。
わたしとリュウタ。
旅の匂いは、もういらない。
今日から、残りの時間は、お日様の匂いで包み込もう。
リュウタと過ごせる、残りの時間を、幸せいっぱいに過ごそう。
目を開けると、お日様の匂いが、足元から立ち昇った。
ふふっ。
リュウタが不思議がって、鼻を伸ばして匂いを嗅いでいた。
「でも、嫌な匂いじゃないでしょ」
……えっ、そっち? あっはは。
そうだね。早く行こう。
リュウタが、先に歩き出していく。
まだ開いてる、お肉屋さんの匂いのする方へ。
まって、リュウタ。
リュウタが立ち止まって、こっちを振り向いたけど、また歩きだしていく。
そうだね。
夕方だから、おいしそうな匂いが、たくさんするね。
じゃあ、走ろっか。
みきを置いていかないでね。
リュウタ……




