5.8.13 - ブルーム・シード
丘の上の凍った池。
その池の底から、カチカチと音が聞こえる。
平原では、騎馬が体制を立て直そうとしていた。
まだ、15騎前後残っている。
「わたしも、ここに残ります」
ランタの言葉に、未希が返答した。
「え、いっしょに行こうよ。ランタさん」
「ポンタさんを残していくなんて、できません。みきさんにも、そういうヒト、いるでしょ?」
「うん……」
いつの間にか、オレ達の真上に、雁の群れ。
ピュウピュウ、ガーガーと、鳴き声をあげている。
「ルカ……」
「ああ、そっか。あの子はみきちゃんと、心がつながっているんでしたね。いっしょに連れて行ってもらえますか?」
「家族と離れ離れになるなんて、絶対にダメだよ」
「それは、どうでしょう。別れや巣立ちのときというのは、必ず来るものです」
氷の池が、轟音を上げた。
真ん中から、バキバキと音をたて、引き裂かれていく。
月が直上に達したのだ。
地面に寝転がるストームが、疲れ切ったような声を出した。
「始まったよ。タイムリミットは10分」
「ミラーとソフィアは、どうしたんだ」
「わからないけど、ここで敵を食い止める。敵までコアに渡らせるわけにはいかない」
「なら、オレもギリギリまで残ろう」
「だめだよ。みきさんといっしょに、先にコアに入って。神様と戦えるのは、もう総司しかいないんだから」
「みきも戦うよ!」
「いや、未希……ムリだろ……」
未希がそう言いながら、腰の剣の柄。バスケットヒルトに手を滑り込ませた。
その瞬間、氷の池の中央から、轟音とともに、蒸気が吹き上がった。
氷がバリバリと割れていき、丘から水が流れ落ちていく。
吹き上がった蒸気に含まれていたのだろうか。
少し遅れて、ぬるま湯のような水滴が、雨のように空から降り注いだ。
「みきさん、行って!」
「おまえも一緒だ、ストーム」
オレは、仰向けで横たわるストームの膝の裏と背中に、手を差し込む。
そして持ち上げる。
「なんで!」
「おまえが行かないと、未希も行かない」
軽いな、ストームは。
ちゃんと食ってんのか。
「まゆさん、ズルい、お姫様だっこ!」
「いいから、行くぞ、未希」
「うん。あ、でも、まって」
未希が月を見上げる。
そして、夜空に向かって、大声を上げた
「リュウーター!」
すぐ近くから、リュウタの短い遠吠え。
いままでどこにいたのか。
斜面を駆け上がってくると、あっというまに、未希の足元に辿り着いた。
灰色の毛並みが、ところどころ乱れている。
足や、背中に擦り傷も見える。
おまえもどこかで戦っていたのか。
「いくぞ」
ストームを抱えたまま、まだ水の残る池の中に、オレは踏み込んだ。
未希も後ろからついてくる。
空気は冷たく、足元の水は感覚を失うほどの冷たさだが、降ってくる水滴は冷たくない。
丘の周りから、湯気があがり、カラカラと氷の溶ける音が木霊している。
その音に吸い込まれるように、冷たい池の水が、丘の下へと流れ出ていく。
オレは、徐々に水がはけていくくぼ地の中へ、足を踏み入れていく。
カラダが沈むことはなかった。
深みに進んでも、それより早く水が引いていく。
進んでいる途中で、北側の斜面から、蹄の音が複数。
視線を向けると、騎馬が3騎。
乗っているプレイヤーは、すべて男。西洋人の顔立ち。
片手に槍を持っている。
距離はいくらもない。あと4~5秒でここに到達すると思ったその時。
先頭のプレイヤーの頭上に、雁の群れが舞い降りた。
クチバシで頭や背中をつつき、羽で視界を覆う。
たまらず、馬上の男が落馬した。
「未希、先にいけ」
「やだぁ!」
あと2騎。
ストームを抱えているので、剣が抜けない。
槍がとどく直前に、その男の背中に垂直に回転する円盤。
背中に突き刺さったのは斧。
「おらぁソウジィ! まだそんなとこで、もたもたしてやがんのか!」
「ミラー」
離れた丘の上にふたり乗りの馬。
手綱を握るのはソフィア。
ミラーはその後ろに乗っていた。
「嬢ちゃん、あぶねぇっ!」
残った騎馬のプレイヤーが、未希に襲いかかろうとしていた。
馬上の男の目が血走っている。
ストームを降ろして、剣を抜いて間に合うか。
間に合わない。
リュウタが牙を剥いた。
馬の喉元に噛みつくと、後ろ足をまるめて、馬の首に巻きついた。
馬は、そのまま制御を失った。
馬上の男は、槍を投げ捨て、腰の短い剣を抜く。
そのまま、リュウタの尻をめがけて、剣を振り下ろす。
「リュウタぁ! だめー! やめてえええぇ!」
「やめろ、未希!」
未希が腰の剣を抜いた。
カイルが遺した、バックソード。
未希がその刃を振り上げると、白刃が光を放った。
その刹那の光景。
他の連中にも見えているんだろうか。
たぶん、見えている。まちがいなく見えている。
眩しすぎた。
ストームが、たまらず目を塞いだ。
この光景を見逃すなんて、もったいないぞストーム。
ブルームシード。
咲き乱れる種。
直上の月が、太陽にすり替わった。
足元に残っていた水が、すべて弾き飛ばされた。
その地面から湧き上がってくるのは、色とりどりの花。花。花だった。
勢いあまって、葉や花びらを空中に散らしながら、水がめのくぼ地が、一瞬で満開の花畑に変わってしまった。
馬上の男の手もとまった。
何事かと、太陽を見上げ、眩しさで顔をそらし、足元の花畑に目を向けた。
未希の魔法が、常夜の世界を真昼に変えた。
リュウタが、馬の喉元を食いちぎって、花畑に飛び降りた。
馬はそのまま、前のめりに花畑に突っ込む。
馬上の男も、地面にたたきつけられた。
未希の様子が、おかしい。
薄目を開けて、ぼーっとしている。
そのまま糸が切れた人形のように、その場で崩れ落ちてしまった。
すると、太陽の光も消え失せ、咲き誇っていた花畑が、すべて消滅してしまった。
石像の周囲に残されたのは、湿った剥き出しの地面だけ。
「ソフィア、手を貸してくれ。未希の様子がおかしい」
「オーケィ」
ソフィアが馬から飛び降りる。
落ちていた槍を1本拾って、馬上に残るミラーに放り投げた。
「あとは頼んでいい? ミラー」
「おう。あとで、奢れよ」
「100歳まで生きてたらね」
馬が次々と、丘の上に現れる。
ソフィアが、未希を抱きかかえた。
ついでに、地面に落ちていたバックソードも拾う。
「そのまま、石像のところまで走れ」
ソフィアが頷く。
石像はもうすぐそこだ。
未希を抱きかかえたソフィアが、石像へと進む。
進んだ幅は、ほんの数歩。
ソフィアと未希が虹色に輝いた。
そして、消えた。
入った?
入ったのか。
あの2人が、ルミナス・コアに。
「ストーム、オレ達もいくぞ」
「ん……」
ストームおまえ、なに泣いてんだ。
眩しかったのか。
「おい、ミラー!」
「おぅ、先に行ってろ!」
オレは少しだけ振り向いた。
ミラーが、槍を振り回して、騎馬の連中と戦っている。
そのすぐ横で、雁が槍で叩き落とされている。
丘の上には、数人の徒歩の男達の影も見える。
「リュウタ! どこだ!」
タカタカとリュウタの足音。
すぐ真横にいた。
オレはしゃがんだ。
「オレの背中に乗れ。乗ってくれ」
夜空から、大量の雨が降り注いでいた。
足元に、水が溜まり始めている。
しゃがむと、いつのまにか、ヒザのあたりまで水嵩が戻っていた。
間欠泉の勢いも、徐々に弱まっている。
「リュウタ。おまえを未希のところ連れて行きたいんだ。だからオレの背中に乗ってくれ。たのむ」
だめだ。
リュウタにはオレの意思がつたわらない。
未希の魔法がなければ、リュウタに指示は出せない。
魔法。
そうだ。
オレにも使えるんだよな。
目を閉じた。
そして祈った。
未希、リュウジ、オレに力を貸してくれ。
リュウタを、オレの背中に導いてくれ。
リュウタと、おまえたちの絆で、オレの意思をとどけてくれ。
誰かが、オレの首に手をまわした。
「……わたしも、祈る」
ストームだった。
何秒もかからなかった。
オレの肩と腰のあたりに肉球の感触。
背中全体に感じる、水に濡れた温かい感触。
目を開けた。
オレの首元。
右側にストームの頭。
左側にリュウタの鼻先。
膝を伸ばして立ち上がらる。
もものあたりまで水に沈んだ足を前に出す。
重い。歩きにくい。
どうでもいい。あと少しだ。
未希を抱えたソフィアが虹色に輝いた場所。
あとどれくらいだろう。
水嵩がどんどん増していく。
冷たくはない。
温かい。
ももを超えて、いまは腰のあたり。
真横から、風切り音。
顔を向けると、すぐそこに槍の穂先。
軌道が見える。
オレの左頬に向かっている。
でも、その穂先が辿り着く前に、なにかが立ちふさがった。
「ったくおめぇは、ノロマだなぁ」
「ミラー」
「おぅ……」
「そんなんで100歳まで生きられるのかよ」
「ムリだろうなぁ」
ミラーの左腕から、槍の穂先が突き出ていた。
左の脇腹、右肩。
両足からも血を流していた。
「なら、おまえの墓を、スコッチまみれにしてやる」
「そりゃ、悪くねぇ」
間欠泉が勢いを止めた。
吹き上がっていた大量の温水が、滝のように空から降り注いできた。
オレは、前へ進む。
後ろからミラー声。
「じゃあな、ソウジ。楽しかったぜ」
「ああ……またな」
浮かんだのは、ミラーの髭ヅラと、臭い息。
数メートル先に、水しぶきで煽られている石像が見える。
顔つきや表情までは、よくわからない。
胸元で手をクロスさせているが、手にはなにも持っていない。
覗き込もうと、頭をつきだしたら、オレの頭に何かが乗った。
もさっとした羽毛の枕のような感触。
その重みで、カラダ全体が前に傾いた。
オレのカラダが、虹色の光を放った。
オレとストーム。
背中のリュウタ。
あと頭の上のもさっとしたなにか。
次の瞬間。眩しい光が、視界に広がっていた。
オレ達は。
光に包まれた。




