5.8.01 - ルミナス・コア
登り坂だった。
急な斜面ではないが、そこそこキツイ。
空腹なはずのヘラジカ達が、それでも力強く坂を登っていく。
とにかく寒い。
あたりの気温が、凍えるほどの寒さへと変わっていた。
徒歩で昇るオレ達は、真っ白な息を口から吐き出していた。
直接肌が露出している、ほっぺたや首筋は、すでに感覚を失っている。
先頭を行く未希が、左の方に顔を向けながら言った。
「ねぇ、あれ川かなぁ?」
斜面のあちこちが、月明かりを反射していた。
細く蛇行しながら、テカテカと光っている。
ソフィアが、もさっと白い息を吐きながら言った。
「凍ってるのかしら」
「なんだ、氷点下には、ならねぇんじゃねぇのかよ」
「でも、凍ってるわよね、あれ」
「あんなとこに足をのせたら、せっかく登ったのに滑り落ちちまう。足元には気をつけようぜ」
ミラーに言われて、左右を見渡すと、凍結した小川のような表面はそこだけではなく、あちこちの斜面で細く蛇行していた。
「山盛りのティラミスに、ミルクを垂らしたみたい……」
寒さで、唇が真っ青のストームが言った。
「大丈夫か、ストーム。幻覚でも見てるのか」
「この寒さ、どうにかならないの。魔法考えてもいい?」
「そういう魔法はヤメとこう。嫌な記憶しかない」
「しかし、このままじゃまずいぜ。そろそろ月も沈む。どこか野営できる場所をさがさねぇと」
「とりあえず、ここ、登っちゃいましょう。なにか見えるかもしれないし」
「あのね、湯気が立つ場所があるみたいだよ。
この丘の反対側。池もあって、暖かい。
ルカはもうそこにいて、池に入ろうかどうしようか、悩んでるよ」
「湯気? こんな寒いところで? ミキとルカまで幻覚を見てるの?」
ストームが顔を上げた。
「ねぇ、それってさ、もしかしてさ……期待していいのかな」
オレ達は、斜面を登りきった。
高い丘ではない。
こんもりとした、緩やかな丘の上。
広さはどのくらいだろうか。
狭くはないが広くもなく、頂上そのものが、こんもりと白く盛り上がっている。
喩えるなら、ドーム球場の屋根のような場所だった。
そして、一段と寒く感じた。
斜面と頂上とで、2℃くらい違うんじゃないだろうか。
その頂上の反対側から、うっすらと白い煙が立ち昇っていた。
距離はそう遠くない。数百メートルだ。
未希がその煙の方へと、足を踏み入れようとした。
それを、ミラーが慌てたように制した。
「まて、嬢ちゃん、いったん止まれ」
「うん?」
ヘラジカの歩みが止まり、未希が振り返る。
ミラーがその足元へと歩み寄り、腰を落とした。
そして、手で地面に触れて、撫でまわす。
「こりゃ、土じゃねぇ。氷だ。踏み込んだら割れちまうかもしれねぇ。調べるから少し待て」
ミラーは、右手を丸めて、その表面をコンコンと小突く。
それからミラーは、斧を抜いて、軽く振り下ろした。
表面は、簡単に割れてしまった。
凍った面は、薄皮1枚といったところだろう。
その下は、いうまでもなく冷水。
「こりゃ渡れねぇ。めんどうだが、迂回しよう」
こんな寒い場所で、凍った池に落ちたら。
致命的な混乱を招くのは間違いない。
危ないところだった。
丘の頂上は、水がめのような池になっているということだ。
斜面を流れる凍った小川は、ここからあふれ出た水なのだろう。
にしても、カチコチに凍っているのに、いつ、どうやってあふれ出たのだろうか。
オレ達は、頂上の周囲を迂回した。
蒸気のような白い煙がが立ち昇る方へと向かう。
大した距離でもないが、時間をかけて、丘ぐるりと迂回する。
頂上の淵の部分も、ところどころで氷が露出している。
注意していても、転びそうになる。
蒸気が見える場所まで来ると、その煙は、丘のふもとから立ち昇っていた。
ストームに尋ねた。
「ルミナス・コアは間欠泉なんだよな? もしかしてあれがそうか?」
「あれは、違うよ。間欠泉じゃないよ」
「じゃ、なんだ?」
「温泉、温泉だよ総司。寒いから急いであそこまで行こう」
ソフィアが、カチカチと歯を鳴らしながら言った。
「温泉? ホントに?」
ミラーのヒゲは、ところどころ凍っていた。
「なんだそりゃ?」
「スコットランドだって山だらけなんだから、あるんじゃないの?」
「いや、聞いたことねぇな」
未希とストームが、先に斜面を降りていく。
「ちょっと、危ないわよ。滑らないでね」
「うん」
2人に注意を促すソフィアの声が、母親のようだった。
下りの斜面も緩い。幅は2~3百メートル。
数分もかからずに、オレ達は、そこに辿り着いた。
地面の上に、蓮の葉のような形の大きな水たまりが3つ。
暖かかい。
そこから、立ち昇る煙は、まさに湯気だった。
「湯加減はどうかなぁ」
ストームが手袋を外し、湯に手を触れようとした。
まずは湯面に手をかざす。
そのまま、すれすれまで、手のひらを降ろしていく。
「熱くないか?」
「すごく、あったかい……」
温泉のような匂いはしない。
川の水を、鍋で沸かしたような匂い。
清流をそのまま加熱した匂いだ。
ストームがその湯に指先を入れ、すぐに引き抜いた。
「ちょと熱いけど……丁度いいカモ……」
「なんだよ、温泉て風呂か? 風呂のことか?」
「そうよ。天然温泉よ。すごいわね」
「あったけぇのはいいが、俺は風呂が嫌いなんだよなぁ」
「ミラー……だからあんた、そんなに臭くて野蛮なのね」
「うん? そうか? そんなに臭せぇか?」
ミラーが、自分の匂いを嗅いでいる。
それはほっといて、ストームとソフィアに尋ねた。
「今日のキャンプ地は、ここに決定でいいのか」
「ん……異論無し」
「もしかして、今日は温泉入っちゃうの?」
「入りたいけど……ミラーと総司がのぞくかも」
「いいじゃない。なんなら、みんなで入りましょう。オレゴンではわりと普通のことよ」
「え、おにいちゃんと温泉にはいるの?」
いや、冗談じゃねぇ……
だから、言った。
「オレとミラーは、月が沈む前に、薪木を集めてくるから。そのあいだに3人で、湯に浸かったらいい。風邪引くなよ」
「あら、照屋さんね」
「行くぞ、ミラー」
「お、おぅ?」
「未希、なにかあったら、リュウタの遠吠えで呼べ」
「うん。わかった。おにいちゃんも、あとで入ったら?」
未希の問には答えず、丘と反対方向に向かった。
枯れ木の林はどこだと周囲を見渡すと、遥か彼方にそれっぽいものが見えた。
1キロくらいあるかもしれないが、まぁいい。
ついでに、ヘラジカのキノコも探してみよう。
少しくらいはあるだろう。
オレは小走りで枯れ木の方へと向かった。




