5.7.04
ミラーは、馬に乗れている。
乗れているというより、乗せられている。
それでも、軽く走らせることもできていた。
そして、ちゃんと元の場所に戻ってくる。
「いいわ、ミラー、合格よ」
「おう……この馬、俺が思ったとおりに動いてくれるぜ」
「おい、ミラー。馬と会話してるか?」
「あん? 会話とはちょっと違うな。頭ん中で、名前と顔を思い浮かべて、進めと念じれば進んでくれるんだ。すげぇよ」
「馬の感情が、流れこんだりしてこないか?」
「感情? そういうのじゃねぇな。俺ぁただ、念じてるだけだ」
オレとは違うのか。
ミラーは怖い。怖い。怖い。怖い。
また、思考が流れ込んでくる。
意識のどこかから、ミラーが怖いとオレに告げている。
「未希」
「うん?」
「オレは最後でいい。先にストームをヘラジカに乗せてやってくれ」
「うん、わかった」
未希は大好き。
ストームは嫌い。
「ストームは、嫌いだってよ」
「え?」
「ん……?」
「いや、なんでもない。どうしちまったんだろうな、オレ」
ソフィアがオレを追い越して、荷車のヘラジカの革紐をほどきはじめた。
「ホント、どうしたのよソウジ。無表情だからわかりにくいけど、幻覚でも見てるみたい。へんなキノコとか食べた?」
荷車に繋がれていたヘラジカは2頭。
内側のヘラジカがとかれると、ハーネスの革紐を引きずりながら、勝手に動き出した。
そして、ポクポクとオレの前まで歩み寄る。
目線はオレの目を覗き込みながら、むしゃむしゃと口を動かしている。
これに乗るのか。オレは。
乗れるのか?
また、思考が流れ込んできた。
いいよ。
乗せてあげる。
背中にのって。
……乗るって、どうやって。
……その高さじゃ、足もとどかない。
その後の光景は、信じられないものだった。
目の前のヘラジカが、オレの顔を眺めながら、膝を折った。
地面にお腹をこすりつけながら、そこに這いつくばった。
「えっ……なに? どうしたのこの子?」
ソフィアが驚いていた。
「背中に乗れと、その思考が、オレの意識に流れ込んでくる」
それを聞いた未希が、食い入るように言った。
「え、それって、おにいちゃん、魔法使ったの?」
「未希がなにかしたんじゃないのか?」
「まだ、なんにもしてないよ」
ストームが言った。
「自覚してないだけで、総司が魔法を使ったんじゃないの?」
「そんなまさか。オレには、魔法は使えない」
「自覚無しで発動したんじゃない? わたしも最初はそうだった」
「そんなわけ……そもそも、魔法が使える使えないの区分って、なんだ?」
「まだ、研究途中だから、はっきりとは言えないんだけどね。この世界で魔法を使うには、刻印と呼ばれているものが必要で、その実態は、脳の神経細胞、ARCタンパク質構造に結合する……」
ストームが、なにかをしゃべり続けている。
念仏のような言葉が、右の耳から、左の耳へと抜けていく。
その声で、ストームに意識を向ける度に、ひとつの思考が流れ込んでくる。
ストームは嫌い。嫌い。
道具じゃない。そんな目でみないで。
ヘラジカがストームに向けているらしき、無機質な感情。
中身が空洞なままの、鉄枠のような、冷たい感覚。
それが、流れ込んでくる。
どうやら、ヘラジカを道具扱いしているらしきストーム。
あいつは、たぶん、人間にもあまり興味を向けていない。
ヘラジカなら、なおさらだろう。
「……というわけで、プレイヤーは刻印を神経細胞に刻むことで、本来は世界クラウドにしかできないはずの、自然干渉ができるようになる。それがこの世界の魔法……って、わたしは、論文に書いたんだけど、聞いてた?」
ストームの、わけのわからない説明が終わったようだ。
「もっと簡単に説明してくれ、ストーム」
「ん……総司の頭の中にさ、光が走ったことない?」
……ある。
池のときも、ついさっきも。
「その光りが刻印なのか?」
「まだ研究中だから、言い切れるわけじゃない」
「もう、そういう難しいのは後にしましょう。時間ないんだから。で、ソウジは乗れるの? 乗れないの? どっち?」
乗っていいのか?
このヘラジカに?
乗っていいよ。総司。
ソフィアは優しい。
あとで、濡れた布で、背中を撫でて。
「ソフィア」
「こんどはなに?」
「あとで、こいつの背中を、濡れタオルで拭いてやってくれ」
「はぁ?」
オレは、左側に回り込んで、左足を上げて、ヘラジカにまたがった。
背中の上に、腰を下ろそうとした瞬間、ヘラジカが立ち上がった。
オレの尻が、立ち上がったヘラジカの背中に乗った。
勢いで、バランスを崩しそうになった。
どこを掴んでいいのかもわからない。
すると、ヘラジカがそれを察したのだろうか。
体重を傾けながら、足を動かし、背中のオレを安定させた。
「なんだかわかんないけど……すごいわね。気難しいヘラジカが、自分からソウジを背中に乗せたのかしら?」
「そうなのか……?」
また、意識が流れ込んでくる。
大丈夫。
落ちないよ。
落とさないよ。
ケガなんてさせないよ。
「ちょっとこれ掴んで」
ソフィアが、ヘラジカのハーネスから垂れ下がる、手綱を拾いあげた。
それを、オレに手渡した。
「少し歩いてみて」
「歩く? どうやって?」
「魔法で乗る方法なんて、そのヒト本人しかわからないわよ」
「魔法でいいのかよ……これ?」
「他になにをしたら、そんな不思議なことがおきるのよ」
「進めと言えば進むのか?」
「わからないけど、とりあえず、進めって意識みたらどう?」
意識……
進め?
進まない。
「わからん……おいミラー、どうしたら操れる?」
「前に行けって、念じるだけだ」
ミラーのところまで、進にはどうすればいい?
ヘラジカが動きだした。
ゆっくりとだが、前足を動かして、馬に乗っているミラーの方へと近づいていく。
また、ヘラジカの思考が流れてくる。
いやだ、ミラーは怖い。怖い。
近づきたくない。嫌な匂いがする。
でも、行かなきゃ。総司がそれを望むなら。
そうか、ミラーには近寄りたくないか。
わかるよ。オレもだ。
あいつ、臭いからな。
なら、未希のところへ行こう。
行けるか?
ヘラジカが、立ち止まり、クビを左右に巡らせた。
未希を見つけると、視線を向けたまま、ヘラジカは向きを変えた。
そして、また進み始めた。
そのとき、頭に流れ込んできたのは、芳純な若草の匂いを運ぶ風。
風なんて吹いていないのに、意識の中で、やさしい風が吹き抜けていく。
オレを見上げるソフィアが言った。
「動かせてるの?」
「ああ。わかったよ。動かしかたが」
「そう。ならソウジも合格ね。あとは……ストームね」
ストーム、嫌い。
ヘラジカの思考が流れ込む。
乗れるのかよ。
乗せてくれるのかよ、ストーム……




