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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
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5.7.03 - 安全で無害


 ミラーが、馬に乗るために四苦八苦している。



 オレは、荷車に繋がれているヘラジカに近づいた。

 気が付いた1頭が、クビを斜めに傾けて、片目をオレに向けた。


 ソフィアたちの調教と世話。そのたまものなのだろうか。

 こうしているだけなら、ヘラジカはおとなしい。

 しかし、人間を載せるのは、馬よりも遥かに難しいらしい。

 馬は、だれでも乗せられるように調教できるが、ヘラジカはそうではないようだ。


 子供の頃から世話をし生活を共にし、信頼関係を築き上げた人物であれば、乗せてくれることもあるという。

 それだけではなく、乗せる人間の体重上限もある。

 ヘラジカが乗せることができるのは、未希のように、軽い人間だけだ。


 前に、だれかから、そんな話を聞いた。

 だれだったか忘れたが、ソフィアかな。



 手を伸ばし、ヘラジカの肩に触れた。

 不思議と、嫌がるそぶりを見せたりはしなかった。


 オレの感情が薄いからだろうか。

 オレにはミラーのような、動物に対する、焦りも、不安もない。


 動物は、無条件で信頼できる。

 理性と欲望に塗り固められた人間とは違う。

 オオカミも、ヘラジカも、馬も。

 生きることに、ただ純粋だ。


 だからとってい、なにかしてほしいというわけでもない。

 言葉もわからないし、未希のように馴れ馴れしくするつもりもない。

 世話は、ソフィアや未希に任せっぱなしだから、オレが、ヘラジカになにかをしてやったこともない。


 そんなオレと、信頼関係を築く?

 できるわけがない。


 ヘラジカが、そんなオレの目を覗き込んでいる。

 純粋な視線。なんだか眩しい。


 オレは目を逸らすのではなく、目を閉じた。

 手はヘラジカの肩に触れたまま。 


 オレも魔法が使えたらな。

 あるいは、乗せてくれるのだろうか。


 っフフ……馬鹿バカしい。


 長くこの世界で過ごしているというのに。

 オレはまだ、ちっともこの世界になじんでいない。

 楽しいのかもしれないと感じたこともあるが、そうと自覚しているわけでもない。


 手から伝わる、ヘラジカの温もり。

 けっこう熱い。鼓動も伝わってくる。

 オレと同じように、いや、ある意味ではオレよりも逞しく。

 ヘラジカも生きている。


 おまえはどうだ?

 オレのことを、どう思う?



 ――なぁ

 ――教えてくれよ?



 頭の端っこで、なにかが光った。

 なんだろうか。

 以前にも2回くらい、光ったことがある。

 頭に腫瘍でもできたのか。



 目を開けた。

 ヘラジカの目を見ると、ヘラジカもまだ、オレの目を見ていた。

 なんだか、泣いているような、そんな風にも見えた。


 しばらく見つめ合っていると、垂れ下がった鼻を、むしゃむしゃと動かした。

 なんどか瞬きをすると、もう、泣いているようには見えなかった。


 腹が減ってるのか。

 あとでキノコとってきてやるからな。

 オレができることといえば、それくらいだ。


 ヘラジカは目を逸らさなかった。

 オレもぼんやりと、その目を見つめ返した。



 なにかが、オレの意識に、立て続けに浮かび上がり出した。


 お日様が恋しい。

 水草が食べたい。

 柳の芽が食べたい。

 綺麗な水が飲みたい。


 なんだろう、次々と流れ込んでくる。


 未希は大好き。

 ソフィアはやさしい。

 ミラーは怖い。

 ストームは嫌い。

 総司は無害。


 オレの意識が、別のなにかに乗っ取られているような。

 いや、これは、前にも感じたことがある。


 リュウタの母親に、キバを剥かれたときだ。

 未希の魔法で、その感情が流れ込んできたとき。


 あの時と同じような感覚。


 強くまばたきをしてから、ヘラジカの目を覗き込む。

 ヘラジカもオレの目を凝視していた。


 また意識が流れ込んでくる。


 リュウタ?

 オオカミは怖いけど、リュウタは好き。

 ボクたちを守ってくれるから。


 ヘラジカに言葉を掛けた。

「おまえの意識か?」


 乗りたい?

 乗せてあげるよ。

 総司ならいいよ。

 信頼してくれる。

 だから信頼できる。


 オレの言葉を無視するかのように、一方的な意識が流れ込んでくる。


「なぜ? どうしておまえの意識が、流れ込んでくる?」


 オレは、後ろを振り向いた。

 未希は、離れた場所にいる。

 おそらく、ミラーの馬に、魔法をかけている。


 その魔法が、ここにも届いたのだろうか。

 まさか、暴走したのか?


 すると今度は、沈んだ感情が入り込んでくる。


 どうしたの?

 なにか、不安なの?

 どうしてほしいの?

 どうしたらいいの?


 言葉でも、声でもない。

 それなのに、わかる。

 脳に浮かぶのは、ヘラジカの顔。

 そして、その感情。


 振り返って、 またヘラジカの目を見た。

 むしゃむしゃと口を動かしながら、オレを見つめていた。


 伝えるのは、言葉ではなく、意識か。


 これはおまえの感情なのか?

 ヘラジカの目をみながら、そんな思いを浮かべた。

 すると、生ぬるい風のようなものが、頭の隅っこから流れてくる。


 もしかして、未希はいつもこんな感じなのかと。

 オレは頭に思い浮かべた。


 すると、こんどは未希への思い。

 オレの感情じゃない。

 オレとは別の、未希に対する思いが、オレの意識に流れ込んでくる。


 未希が大好き。

 未希が手にもった、新芽の枝葉。

 それを食べる、ヘラジカの記憶。


 その横から、ソフィアの顔がのぞく。

 背中や足を、優しくさすってくれるソフィアの手の温もり。

 ソフィアが向ける、ヘラジカへのやさしさが、オレの中に充満していた。

 

 その後に沸いてくるのは、リュウタだった。

 なんで、オオカミがこんなに近くに?

 最初はそう思っていた。怖かった。見ないようにしていた。

 でも今は知っている。

 リュウタは、ヘラジカに向けられる森の悪意を追い払っている。

 だからリュウタは友達。

 ヘラジカ達の守り神。


 ミラーの顔は、恐怖とともに浮かんだ。

 仲間を逆さにして血をすすり、その肉体を切り刻んでいた。

 いまでも、ミラーのカラダからは、死んだ仲間の匂いがする。


 ストームは嫌悪感。

 ヘラジカを生き物だと思っていない。

 道具かなにかだと思っている。

 だから、ヘラジカが向ける、ストームへの感情も冷たかった。

 ストームは、なんの価値もない、役立たずな人間。


 そして最後にオレ。

 最初はよくわからなかった。

 この感情はなんだろうと。


 ヘラジカの目を見て、思い出した。

 これはオレが、動物に向けるのと同じもの。


 いつも傍にいる、安全で、無害な存在。

 だぶんそれこそが、無条件の信頼。



「おにいちゃん?」 


 ハッとして、後ろを振り向いた。

 未希が立っている。


 少し顔を傾けて、不思議そうな表情を向けていた。


「未希」

「次は、おにいちゃんの番だよ」


「魔法って、どうやって使うんだ?」


「……え? どうしたの突然?」


 未希の顔が、さらに斜めに傾いて、困惑した表情に変わる。



 だよな。

 オレも、同じ気持ちだ。





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