表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
シェイプシフトデバイス
421/435

5.5.16 - フィリス


 フィリスが再ログインした。


 折れていた足首も、砕けかけていた腰の骨も。

 頭のケガと合わせて、すべて治っている。


 首に巻いていたショールに血のりが残っていて、フィリスは、それを雨水で洗い落とそうとしたが、完全には落ちないようだ。


「ありがとう、ソウジ」

「もうどこも痛くないのか」


「あのときは、痛くて声も出せなかったわ。やっぱり痛いのはイヤね。ああいうのは慣れてたつもりだったんだけど」


「うん? フィリスは、よくケガをするのか」

「違うわよ。不可抗力っていうか。国が戦争していたからね」


 彼女も、別の時代の女性なのか。


「戦争って、いつどこの国がだよ」


 フィリスが、洞窟の外に目を向けた。

「こんな嵐も、爆弾が降ってくる夜に比べたら、なんてことないわ」


 外は、荒れ狂っている。

 オレには、怒り狂った神の裁きのようにも見える。


「私の生まれはロンドン。西暦1922年。

 私が、17歳から23歳の頃まで、イギリスは戦争をしていたのよ。ロンドン大空襲とか、知ってる?」


「いや、知らない」


 フィリスの見た目は30代前半だ。

 しかし、思いのほか、大先輩だった。

 その年代の生まれだと、オレの時代では、フィリスは百歳を超えている。



「ソウジの国も、トーキョーや、ヒロシマが、大変だったんでしょ?

 私の青春時代もね、警報と、落ちてくる爆弾の轟音の日々だった。

 兄は戦争に行って死んじゃったし。

 弟は今も行方不明のまま。

 食べる物もなくて、何カ月もおんなじ服を着たまま、街に残った家族といっしょに、逃げ回るだけの日々だったわ」



「フィリスが、フルートを始めたのはいつだ?」


「2歳だったかしら。物心ついたときには、もう音を鳴らしてたわ。戦争中は、ほとんど吹けなかったけどね」


「国同士の戦争、殺し合いか。オレは経験したことがない。どれだけの苦労があったのか。想像もできない」


「そうなんだね……でも、分からなくていいわよ。あんなの」


 フィリスが、腰に結んでいたフルートをほどく。

 それから横に構えて、息を吹き込み、短く音を出した。


「よかったぁ。壊れてないわ」


「壊れていたら、骨は折れなかったんじゃないか?」

「楽器が壊れるくらいなら、折れたほうがマシだわ」


「おまえまさか、フルートをかばったから、あんなに派手にコケたのか……」


「っフフ……どうかしら。条件反射?

 ねぇ、なにか、リクエストない? 吹いてあげるわよ」


 オレは、音楽を知らない。

 黙ったままでいると、フィリスが、首を回して、洞窟の中を見渡した。


「みんな寝てるの?」

「大半は、ログアウトしている。寝てるのは……ミラーとハートリーだけだな。気にしなくていい」


「フフッ、あのふたりなら、ちょっとやそっとじゃ、起きないわね。でもそうね。子守歌にしましょうか」


「あのガサツなふたりに、子守歌かよ」


 ソフィアが近づいてきた。

「あら、なぁに? なにか吹いてくれるの?」


 未希と、ストームも後ろにいる。

「マイボニーにしようかしら。歌詞は知ってる?」

「もちろん、知ってるわ。グランマが昔よく歌ってくれた」

「子守歌とは、違うかもだけどね」


 3人が、適当に腰を下ろすと、フィリスがフルートを吹き始めた。


 穏やかで、ゆったりとしたフルートの音色。

 木漏れ日の中の昼下がりのような旋律だった。

 老夫婦が農作業の合間に、木陰でひと休みしているような。

 そんなメロディーだ。


 風の音は荒れ狂っているが、それすらも伴奏にしてしまったかのように、洞窟の空気が、穏やかなものに変わっていた。



 最初のフレーズが終わる。

 同じ旋律が、また繰り返された。

 2周目からは音色に合わせて、ソフィアが歌声を重ねた。


 My Bonnie lies over the ocean

 (わたしのボニーは、大海原のかなた)

 My Bonnie lies over the sea

 (わたしのボニーは、海のかなた)

 My Bonnie lies over the ocean

 (わたしのボニーは、大海原のかなた)

 Oh, bring back my Bonnie to me

 (ああ……わたしのボニー、ここへ戻ってきて)



 フィリスのフルートは、柔らかく。

 ソフィアの歌声も美しかった。

 真っ暗な洞窟の中なのに、陽だまりの温かさを感じてしまう。


 目を閉じれば、別の場所にいるかのようだ。

 農園の片隅。木陰の下。

 野花に降り注ぐ日差しの上を、蝶が舞い踊っている。


 恐怖も、寒さも、打ち付ける雨や、波しぶきの音も掻き消えていた。


 同じ旋律を、また繰り返す。

 3周目からは、未希も、声を重ねた。

 未希は、この歌を知ってるのか。


 いや、知らなそうだな。

 いちど聴いて、覚た範囲で、ソフィアの口ぶりに合わせているようだ。

 楽しいなら、それでいい。


 ストームは耳を傾けながら、ぼーっと洞窟の外を眺めていた。

 吹き荒れる嵐の先で、波しぶきが砕け散っている。


「ストーム」

「ん……」

「ボニーって誰だ」

「しらないよ」


 ミラーとハートリーが、フルートの音に負けじと、いびきをかいている。


 ウォルターはというと、岩壁を背に、腰を下ろして目を閉じていた。

 ときおりパイプをくゆらせ、フィリス達の音色に耳を傾けている。



「はぁ……ボニーでも、なんでもいいから、はやく晴れないかな」


 ストームが、つぶやく。

 視線の先は、荒れ狂う海の向こうだった。



 まだ、しばらく、嵐はおさまりそうにない。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ