3.3.14
「おまたせー」
サンダル履きのヒミコが、木のジョッキをドン、と降ろす。
黒ずんだジョッキに注がれたストロングエールの見た目は、こげ茶色をした泥水だった。
漂う香りは、開店前のパン屋だ。
口に含むと、かなり甘ったるく、後味は青汁のように苦い。
食感はドロドロ。
最初のひとクチは、吐き出しそうになったが堪えた。
アルコールは強く喉が熱い。そして、腹に溜まる。
このエールだけで、晩飯になりそうなほど、飲みごたえのある酒だった。
「うんめぇ~~」
ジョッキをあおったクラゲが、ひしゃげた渋い顔を作っていた。
「イノシシはまだとーぶん出せないって」
「おう! いくらでも待ってるぜ! ヒ・ミ・コちゃん」
「わたしは待ってないわよ。ク・ラ・ゲさん」
掛け合いが終わると、ヒミコは手をひらひらと振りながら、立ち去って行った。
「そうだ、クラゲ、これを見てくれ」
オレは今日の目的の1つを思い出し、腰の地図を抜いて、クラゲの前に広げた。
「なんだ? 地図か? どれ」
クラゲは、ジョッキをあおりながら、地図を眺める。
汚さないか心配したが、案の定、少し口から垂らし、地図を汚した。
「わかるのは、この村の位置だけだな。あとはわかんね」
「どこだ」
「この川とこの森の形。
たぶん灯巫子川だろ?
なら、この四角いのがこの村だ。
だとするとこの地図……
世界の中心が、このカタセ村だな。
誰が描いたんだ?
こんな酔狂な地図」
クラゲが示したカタセ村は、地図のほぼ中央だった。
そして、だいぶこの地図が見えてきた。
オレが初めてログインした草原、ガロム達が住む村、そしてカタセ村。
それらが全て、地図に記されていた。
その他にも、多くの挿絵や、注釈が書き込まれている。
驚いたことに、オレがこの数日間で歩いたこの世界は、あまりにも小さかった。
地図は広げると、玄関マットほどの大きさがある。
だが、オレが歩いた川や村の範囲は、拳の大きさよりもさらに小さかった。
「おれも木こりだから感じるんだが、この地図は、森や林、川辺の印が多い」
「それがどうした」
「地図を作ったヤツは、変わった木でも探してたんじゃないのかな」
「誰に聞けば、詳しくわかる?」
「そうだなぁ……
村のヤツから探しても無駄だな。
マントを着てる客でも探すか。
ソウジもそうだろ。
マントなんて羽織ってるのは旅人だけだ」
言われて店を見渡したが、マントを羽織るのはオレだけだった。
クラゲが、最初の1杯を飲み干す。
「ヒミコちゃん、おかわり!」
「はーい」
オレもジョッキをあおり、泥水のエールを喉に流す。
慣れればこのエールも美味い。
それからしばらく、クラゲとエールを飲み交わす。
なにかツマミはないかと、ヒミコに尋ねる。
すると、奥から、返り血で染まったエプロンのクマが出てきた。
マスターの顔が付いていなかったら、客は全員逃げ出しそうだ。
手に重そうな革袋と、皿を持っている。
まずは革袋をテーブルの上にドスンと落とした。
革袋から、油の匂いが漂ってくる。
「イノシシ代だ。今日の代金は抜いてある。好きなだけ飲んでけ」
それから、オレ達の前に皿を置いて、マスターは戻っていった。
木皿の上には、こま切れにされたどす黒い茶褐色の塊が幾つも転がっていた。
焦げたハーブの香ばしい匂いがする。
口に運んでみると最初はハーブとワインのハーモニー。
だが、噛めば噛むほどの獣臭と鉄の味。
口の中に残り続けるのは、油を吸った、獣臭い中古タイヤだった。
その気になれば明日の朝までだって噛んでいられそうだ。
クラゲはそれを「最高級のごちそうだ!」と言って食べている。
聞くと、イノシシのモツ焼きだろうと言う。
「ソウジの取り分だ」
といって、革袋の中に手を突っ込み、一掴みのコインをオレの前にばら撒いた。
それは油臭い、鉄でできたコインだった。
オレは、腰の革の小袋を取り出し、中の錆びた鉄コインをクラゲに見せた。
「これは使えるのか?」
「あ~ん……?
錆び錆びじゃねぇか。
そんなコインはもう使えねーよ
鍛冶屋にでも持っていくんだな」
クラゲがばら撒いたコインを拾ってみると、油臭いが、ツヤのある鉄のコインだった。
この世界のカネは、鉄、銀、そして金。
村で流通しているカネのほとんどは、この鉄のコインなのだろう。
銀のコインは隠せと言われ、金のコインは見たことすらないという。
カネの価値は知っている。
人を動かすのに最も単純で、後腐れのないもの。
カネで動かせば、次もカネで動く。
有ると知れば、カネ欲しさに勝手に情報を唄う。
オレの知らないところで、オレのために動いてくれる。
カネに呑みこまれるやつが敗者。
操るやつが勝者。
だから、この世界でもカネが必要だ。
その方がやりやすい。
その為に次は何をする?
考えながら、エールを流し込む。
夜はすっかり更けたようで、気が付くと客は、オレとクラゲだけだった。
「そろそろ帰るか。今日も泊まってくか?」
「いや、今夜は大丈夫だ」
「そうか。じゃ、また明日な」
クラゲが席を立ち、革のコイン袋を抱えて、千鳥足で暗い夜道に向かっていった。
強盗に襲われないかと思ったが、村人は村人同士でみんな顔見知りだ。
オレみたいなよそ者でもないかぎり、その心配は不要なのかもしれない。
「まだいたのか。もう閉店だぞ」
顔を向けると、大男の店主が立っていた。
左手には、先端が布に巻かれた、こん棒のようなものを持っている。
「ヒミコは?」
「もう寝た。娘はやらんぞ」
「旅人がこの店に来るとしたらいつだ?」
「いつかなんて、しらねぇが……月に1度くらいは見かけるな。今月はおまえだ」
オレは、革袋に入っていた銀貨を抜き取り、マスターに渡した。
「次に旅人が来たら教えてくれ。そいつの酒代も込みだ」
マスターは、表情も変えずに銀貨を受け取った。
「いいだろう。伝えに行くのは、おやしろでいいのか?」
「ああ、たのむ」
「帰り道はこれをもってけ。おやしろまでの夜道は暗いぞ」
マスターが、持っていたこん棒をオレに渡す。
手斧があるが……
殺さないように、これで殴れということか?
オレがこん棒を揺すったり眺めたりしていると、マスターが言った。
「わりぃ。ちょっと貸せ」
マスターがこん棒を奪い取ると、近くの蝋燭に、こん棒をかざす。
こん棒の先に巻きついていた布が燃え上がる。
……ああ、これは松明か。
「これはオマケだ。返さなくていい」
「ありがとう。助かるよ」
マスターも、見た目はクマだが、いい男だった。
この村の住人は、みんなイイ奴だ。
オレは、酒場を離れ、おやしろへと向かう。
昼間でも20分かかる距離だった。
松明の炎が、煌々と夜道を照らす。
辺りは確かに暗い。真っ暗だ。
松明の灯りの先が何も見えない。
おやしろへの方角も、これで正しいのかと不安になる。
朝の記憶を頼りに、慎重に道を進む。
そして見えた。
おやしろだ。
なるほど……
ヒミコが言っていた。たしかにお化け屋敷だ。
おやしろの周囲に張られている目に見えない結界。
それが、松明の灯りを受けてうっすらと、虹色に反射していた。
それはまるで、ログインの時のあの膜。
ログインゲートにそっくりだった。
その姿は妖艶そのもの。
闇夜に浮かぶ虹の沼。
オレは、デバイスを取り出す。
『ELAPSED 00:38』
ニフィル・ロードでの経過時間は、3800分。63時間。
そのまま、おやしろのポーチを通過し、石の建物のドアを開ける。
梯子を登り2階へ。
部屋は真っ暗だった。
デバイスの灯りで、奥のベッドがうっすらと見える。
ここは、渡し人専用。
プレイヤーしか入れない家。
仮想世界で、最も安全な部屋。
ホコリ臭いベッドに転がり込む。
疲れた。
デバイスの『 CONNECT 』に触れる。
そして、表示される『 Logout 』
オレはログアウトした。
あとがき#2
~看板娘のヒミコ~
いらっしゃいませー、
1名様ですか~?
え~、ちがいますよ~、わたしはまだ13歳ですよぉ~
え? なに? ソウジ? だれ? なにする人?
もしかして……掃除手伝ってくれる人!?
やったー!
え? ちがうの?
でも、いつも変換間違えて、掃除になっててツライって、
このあいだ来た、へんなお客さんが言ってたよ?
なんのことだろうね。
へんなお客さんだったなぁ。
(続く)




