5.5.04 - ウォルター
最初の目的地までは、400キロ。
そこまで、20日前後の旅を計画しているらしい。
ルミナス・ノードでの最初の野営地は、良く知った場所だ。
2カ月くらい前に、ハンスとフィリスの護衛で最初に訪れた湖。
対岸には、小高い丘。というか山。
湖は、ヨハネスレイク。
山は、フィリーヒルと名付けられている。
ハンスとフィリスの名前を取った地名だ。
表向きは、ここをマッピングした、2人の栄誉を称える地名。
その実態は、名前を考えるのが、めんどうだっただけ。
オレ達にかぎらず、多くのプレイヤーが、このキャンプ地を利用している。
少し離れた場所に、緊急用にと、穀物の粉や、乾燥豆が積み上げられている。
宿場町の建設も計画しているらしい。
おそらくこの先、最も多く知恵エレメントの旅人が立ち寄る場所になるだろう。
放流した魚も成長しているらしく、ときどき水を跳ねる音も聞こえる。
しかし、まだ釣りも漁も禁止だ。
湖の魚は食べるなと、未希に言われたオオカミのリュウタは、どこかへ行ってしまった。
だが、ルカは湖に降り立ち、何かを食んでいるようだ。
魚の餌の苔がなにかだと思うが、やめさせろとは言われなかった。
ルカが落とす糞も、湖そのものの貴重な栄養源になるらしい。
問題は、ルミナス・ノードの森だった。
ますますその姿を、貧相なものへと変えている。
そりゃそうだ。
この世界には、陽が差さない。
枯れていくだけ。
まだ、微かに葉が付いた枝もあるが、どれもこれも枯れている。
軽く揺すっただけで、散るだろう。
しかし、都合の良いこともある。
薪木を集めるのには、苦労しなかった。
落ちている枝は、ほぼすべてが、薪木に使える乾燥した枯れ木。
おまけに拾うと、高確率でキノコもついている。
そのキノコを、ミラーとハートリーが、食べられるかどうか判定する。
あきらかにヤバいらしいキノコは、捨てる。
それ以外は、プレイヤーと、ヘラジカの食糧に変わる。
ヘラジカが運ぶ荷物の6割は、ヘラジカの食糧だ。
湿った布で巻かれた細い枝葉や水が、ギュウギュウに詰め込まれている。
そのヘラジカ達は、湖の淵を取り囲み、水を飲んだり、飼育係が集めたキノコを食んでいる。
月明かりはすでに落ちかけ、辺りは闇にまみれていた。
その晩。
20人の中から、8人が、深夜の見張りを交代で務める。
見張りにつかない何人かは、ログアウトをする者もいる。
ログアウトは、プレイヤーの健康維持と、食糧の節約が目的だ。
このログアウトも、野営のたびに、交代でおこなう。
オレも何日後かに予定されているが、それはフェイク。
オレはログアウトできない。
オレは、ウォルターと夜の見張りのペアを組んだ。
4交代で、オレ達は1番。
あらかた寝静まったころ。
ストームは、まだ起きていた。
爺さんから譲り受けた日記を、熱心に読んでいる。
よく考えたら、あんなもの。
旅に持ち込んで、大丈夫なのだろうか。
落としたり、誰かに奪われたり。
あるいは、誰かに、盗み見られたら、どうするつもりだ。
「ストーム」
「ん?」
「いいのか、その日記。旅に持ち込んで」
「まだ、読み終わってないし……肝心なところが抽象的で、この文章だけじゃわからないから。実物を観察しながら解読したい」
「誰かに読まれても、大丈夫なのか?」
「それがね、これ見て」
ストームが、見開いている日記のページをオレに見せた。
なにも書いてない。
「なんにも書いてないな?」
「うん。真っ白なんでしょ? わたしだけ読めるみたい」
「どういうことだ? 防犯対策の魔法でも掛けたのか?」
「この日記にはね、最初からなにも書いてないみたい」
「……え?」
「書いたんじゃなくて、おじさんの記憶そのもの。
おじさんの魔法? 転写? 念写かな?
そもそも、この日記は、おじさんが生み出した記憶が、実体化したものだよね。
それを外に持ち出せるだけでも不思議。
わたしにも、理屈がわからない」
「ストームにしか、読めないのか?」
「みきさんにも、ソフィアにも見せたんだけど、なんにも書いてないんだって」
「で、どんなことが書いてあるんだ」
「噴水おじさんの、カウント17での日々が、日にち毎にドイツ語で書いてある。2~3行の日もあれば、何十行にも渡って書かれてる日も」
「なにか分かったのか?」
「うーん……まだなんとも言えない。ひと通り読んだら、旅の途中で話すね。まだ時間はたっぷりあるし」
「そうだな」
旅は何十日もかかる。
時間はたっぷりある。
なら、もう寝ろと。
言いかけたが、ヤメた。
暇だ。
暗い湖の側で、ウォルターが背中を向けて座っていた。
焚火の灯りが、チラチラとその後ろ姿を照らしている。
ウォルターの尋問でもしようか。
少しでも、なにかを引き出しておけば、あとで役にも立つだろう。
オレは、ヘラジカのルルに歩み寄り、ウィリアムからもらった、バーボンを掴む。
それと、ズタ袋からコップをふたつ。
それを持って、ウォルターに近づいた。
足音を消したわけでもない。
オレが近づいてくるのを察して、ウォルターがこちらを向いた。
首だけまわして、片目でオレを見た。
「なんだ。ソウジ」
夜で陽射しも無いというのに、真っ黒なフェルト帽を被っている。
口にはパイプをくわえたまま、細い眼光をオレに向けた。
「呑むか?」
「君は、見張りの仕事で、酒を呑むのかい?」
へぇ。
そういや、アーネストが言ってたな。
オレと気が合うって。
「アッシュバレルでは常識だ。あそこの連中はみんな、酒を呑みながら見張りについている。少しくらいならいいだろう。眠気覚ましだ」
「っフフ、そうか。なら、もらうよ。ありがとう」
腰を下ろしてから、コルクを抜いて、バーボンの液体を注ぐ。
コップの底に1センチほど。
暗くてよく分からないが、焚火の灯りが、琥珀色の液体を照らしていた。
透明感もあるし、匂いもいい。
芳純なキャラメルの香り。
ウィリアムのくせに、とっておきのバーボンをオレに持たせてくれたようだ。
コップをウォルターに渡す。
先にオレが、口をつけて、その液体を舌にからませた。
芳純な香りも、透明感もすべて撤回だ。
甘みを感じたのはほんの僅か。
襲ってきたのは、ガソリンで薄めたタバスコのような刺激。
怒り狂ったニワトリが、口のなかで暴れまわっている。
オレがもだえている横で、ウォルターも琥珀色のタバスコを喉に流した。
クールを決め込んでいたこの男も、頭をグッともちあげて、フラフラと横に振った。
「テキーラで混ぜたのか、このバーボンは」
「目が覚めるだろ」
「ああ。覚めた。いまなら対岸の森もはっきり見えそうだ」
言われて、対岸を眺めたが、真っ暗で、なにも見えやしない。
「真っ暗じゃねぇか」
「見えるんだよ。私にはな」
ウォルターが、もうひとくち、コップをあおる。
この世界の中年は、酒に強いやつばっかりだな。
「んで、君は私から、なにが聞きたいんだ」
「おまえは何者だ? ウォルター?」
「言っただろ、政治家だ」
睨んでいるわけでも、威嚇しているわけでもない。
少しくだけた、友好的な表情だ。
ウォルターは、無表情な男ではない。
作ったような、薄ら笑いにも見えるが、そうとも思えない。
もし、これが作り笑いなら、ヴィルゴ王国のアルクの作り笑いなんて、子供の遊び。
そう考えると、オレの中の警報は、鳴りっぱなしだ。
「ソウジ。君のことは、アーネストから聞いている」
「なんて?」
「ッフフ。信用できる男だとな」
やっぱり、この薄ら笑いは気持ち悪い。
「信用? 馬鹿バカしい。アーネストは頼りになるが、オレがあの男を信用したことは、いちどもない」
「だろうな。私もだ。それでいい」
うん?
なにを言ってるんだ。この男は。
「たぶん私もな、君と同じだ。誰も信用していない。君のことも。アーネストのことも」
「言ってることが、めちゃくちゃだな」
「そうか? 君なら分かるだろう?
人間関係なんて、そのとき味方なのか、敵なのか。
その2種類しか存在しない。
たとえば君は? いまは味方だよな? ソウジ?」
「……」
「私はアーネストなら味方であろうが、敵であろうが信頼できる。
そのアーネストが君を買ってるんだ。だから私も信頼しよう」
「敵であろうが?」
「そうだ。敵でもだ。もし君が私の寝首を狙うというなら、最悪の敵として、最大限の敬意をもって、私は君を殺すだろう」
ああ……そうか。
この男は、もしかしたら、運よくこの歳まで生き延びたオレ。
だとしたら勝てるわけもない。
オレにはまだ、知識も知恵も、経験もたりない。
「ウォルターは、オレ達の味方なのか?」
「私をルミナス・コアまで導いてくれるのであれば、君達は味方だ」
湖の暗闇から、バサバサと羽の音。
オレとウォルターは、ほぼ同時に湖に視線を向けた。
たぶんルカだろうが、真っ暗でなにも見えない。
ウォルターのコップは、カラだった。
「もう1杯、呑むか?」
「いや、やめておこう」
「そうか」
オレのコップの底には、まだバーボンが残っている。
ウォルターに見られないように、静かに、それを捨てた。
なにかを察したのか。
それとも、たんにマジメなだけなのか。
その夜の会話は終わった。




