3.3.12 - イノシシ
アロハの指示した方角は、小川のさらにずっと先だ。
歩いていると、夕べ泊まったクラゲの家の前を通りかかる。
そこにクラゲがいた。
「よう、ソウジ。どこいくんだ?」
「ワタシダの木を探しに森へ行く」
「ソウジ独りでか? アロハの頼みか?」
「そうだ。持ってたりしないか?」
「うちには無いよ……しっかし、婆さんも無茶いうぜ」
クラゲが考え事をしている。
「よし、ちょっとまってろ。丁度、午前の仕事も終わったところだ」
クラゲが、家の中へと入っていった。
しばらくすると、クラゲが手斧を腰に差して戻ってきた。
「おれも行こう」
「いいのか」
「おう。おれはこう見えて木こりの端くれだ。森は詳しい。それと仕事のついでだ」
「助かる。ワタシダの木の場所は知ってるのか?」
「もちろん。このあたりじゃ有名な木だ。だが少し問題があってな」
「問題?」
「まぁ、行こう。心配すんな。おれに任せろ」
心配だ。
だが、オレ独りで行くよりはマシだろう。
クラゲと2人で森へ向かう。
前を歩くクラゲが、話し始めた。
「ワタシダの木はな、100年前に、わたしびと様がどっかから苗を拾ってきて植えたらしい。そのおかげで、今は、森に普通に群生してるんだとよ」
竹刀の材料にでもしていたのだろうか。
「いい匂いのする木でな。
葉や枝は薬に。枝だけでも櫛だの籠だのを作るのに使える。しかも高級品だ。枝だけ持ち帰っても、いい収入になる」
「問題ってのは何だ?」
「あのあたりはな……」
「……?」
クラゲがタメを作って、言葉を続けた。
「出るんだよ……」
なにがだ……?
「まぁ、昼間だしどーってことねぇ。だから心配すんな。っははは」
陽が真上に差し掛かる。
気になるので話を続けた。
「クラゲ。なにが出るんだ」
「3~4年前かなぁ……
ある日、夫婦が子供を2人残して失踪してな。
何日かして、旦那の遺体だけ見つかったんだが、クマに半分喰われてた。嫁さんは、そのまま行方不明になっちまったんだよ」
「それが、これから行く場所か?」
「まぁな。その近くだ。問題はここからだ。嫁さんの幽霊が出るんだよ」
「行方不明なのにか?」
「まぁ、行方不明になったのは何年も前だ。もう死んでんだろ。化けて出てきてもおかしくねぇ」
オレには霊感は無い。
いままで、数々の肝試しをやらされたが、見たことは一度もない。
殺人現場の監視を、明け方までやらされたこともある。
その時、恐ろしかったのは、幽霊よりも、警察やヤクザのほうだった。
だから、そんな話は正直、どうでもいい。
黙り込んでしまったクラゲと2人で、その後も歩き続けた。
陽が下がり始め、午後になったころ、オレ達は森に入った。
「あの辺りだ」
クラゲが指を差した。
「ワタシダの木か?」
「いや、クマの土饅頭があった場所だ。半分喰われた男の死体があった」
もうそれはいい……
「クマがでたら頼むぜ? ソウジ?」
「勝てるわけないだろうが」
「それもそうだな。逃げよう」
そこからも、さらに森の中を歩く。
「あれだ。ワタシダの木だ」
クラゲが居なかったら辿り着けなかっただろう。
オレ達はようやく、目的の場所についた。
その木は、大きいもので5~6メートル。小さいものは2~3メートルほどの低木だった。
緑の樹皮に黒い斑点、アロハが言っていた特徴とも合致する。
それが、何十本も群生していた。
「あんまり根本から斬るなよ。葉が付いた枝だけを切り落とせ」
クラゲを手本に、オレも腰の斧を抜いて枝を切る。
何本くらい切ればいいかと尋ねると、「5~6本でいいだろう」と言った。
それならすぐ終わりそうだ。
枝に集中していると、横でクラゲが静かに声をあげた。
「おわっ……やべっ……」
見ると、クラゲの前方5~6メートル。
クマかと思ったが違った。
イノシシだった。
体長は1メートルよりだいぶ大きい。
巨大なイノシシだ。
今にもクラゲに突進しようとしているようだ。
クラゲが、イノシシと向かい合ったまま、ジリジリと後ろへ下がっていく。
「ソウジ、木に登れ」
簡単に言うが、木登りなんて、オレにはできない。
クラゲは、距離を取ろうと慎重に後ずさっていく。
そして、近くの木に走り出した。
イノシシはそれに驚いたのか、クラゲめがけて突進した。
クラゲは、寸でのところで木にしがみつき、器用に登っていった。
イノシシはしばらく木の下をぐるぐると回っていたが、オレと眼が合い動きを止めた。
クマに比べたら、恐怖心は無かった。
突進をまともに喰らっても、せいぜい骨折程度だろう。
オレは腰を低く落とした。
目線は、イノシシの高さより少し高く。
そして、手斧は正面。水平に構え、両手で衝撃に備える。
イノシシは、オレの動向を伺っていた。
そしてオレは「ハッ!」と、大声を上げる。
驚いたイノシシが、オレに向かって突進を始めた。
クラゲとのやり取りで、イノシシの動きは見ていたが、その巨体に似合わず速かった。
すぐ手前まで接近するのも一瞬だ。
だがオレは、斧を構えているだけ。
投げる必要もない。
振る必要もない。
野球でいったら、スイングではなくバントだ。
オレは突進してくるイノシシの顔面に、斧の切っ先を合わせた。
イノシシは直前で少しジャンプしたが、腰を落とすオレとのブレ幅は少ない。
斧の切っ先は、イノシシの眼の上あたりに直撃した。
刺さることは無かったが、頭蓋骨が砕ける感触が、手に伝わった。
オレは、そのまま、突進の衝撃で斧ごと弾き飛ばされた。
斧を抑えていた右手首に鈍痛が走る。
イノシシは、それでも走り続けようとしたようだが、いくらも進めずに崩れ落ちた。
辺りが静かになり、風が森を抜けていく音が、気持ちよく流れていた。




