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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
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5.3.01


 9月27日、月曜日。


 まだまだ残暑で、毎日蒸し暑い。

 昼間の太陽が、アスファルトから熱気を立ち昇らせている。



 オレは今日。

 紺色のスーツを着て、ネクタイを締めていた。

 右手には、黒いブリーフケース。


 時間は、13時25分。

 山手線の内側にある、静かな住宅街。

 交差点の一角に佇む、こじゃれた3階建てのビルの前。

 駅からも、まぁまぁ近い。


 1階はコンビニとコインランドリー。

 2階と3階に、経営コンサル会社が入っている。



 コンビニ横の細い階段を昇り、ガラス戸横のインターホンを押した。


 オレはこの会社に、面接に来た男だ。

 もちろん、就職が目当てではない。

 仕事だ。


 ガラス戸に、ネクタイを締めたオレが映っていた。

 最近、顔バレする仕事が多くて嫌になる。


 仕事の前に美容室へ寄り、髪をガチガチのオールバックに固めてもらった。

 それと、少しだけ度のついた丸眼鏡をかけている。

 変装のつもりだが、面接に来るような人相にも見えない。

 まぁ、気休めだ。



 ガラス戸が開くと、安っぽい香水の匂い。

 現れた若い女性に、面接に来たと告げる。


 オレの希望職は営業。

 どんな会社なのかも、一応頭に入れてある。


 中に入れてもらい、女性のあとをついていく。


「こちらでお待ちください」

 案内されたのは、小さなミーティング室のような部屋。

 角部屋らしく、L字に大きな窓がついていた。

 窓の外には、たったいまオレが歩いてきた、道路と街並みが見える。

 女性は、部屋のドアを閉めて立ち去っていった。


 誰もいなくなった部屋で、ブリーフケースから延長ケーブルを取り出した。

 なんの変哲もない、コンセントがふた口ついた、1メートル足らずの延長ケーブルだ。


 部屋の中を調べると、窓際のテーブルの裏に、コンセントの口がふたつ。

 そのコンセントに延長ケーブルを差し込む。


 コードは束ねたまま、目立たないように、テーブルの隅に転がしておく。

 ハンカチで、念入りに指紋を拭き取っておく。


 これで仕事は終わり。


 延長ケーブルに仕込まれているのは、無線ルーターだと聞いている。

 いまどき、盗聴器なんて使わないようだ。


 あとは、このルーターが勝手にこの会社のネットワークに溶け込み、情報を吸い上げて、どこかに送信し続ける。


 まぁ、ぶっちゃけ。

 仕組みについては、まるで理解していない。



 もう、帰ってもいいかもしれないが、怪しまれるのも嫌なので、面接の担当者が来るのを待った。

 それから、嘘っぱちの経歴の説明。

 学歴も職歴も、すべてデタラメ。

 営業なんて仕事もやったことがないので、受け答えも的外れだろう。

 要領を得ない会話を数分繰り返して、面接が終わった。


「採用かどうかは、1週間以内にお知らせします」

 担当者は、最後にそう告げた。


 あとは、オフィスを出て、ビルから離れるだけ。


 どうでもいい。

 お知らせが来たとしても、オレのスマホに連絡は来ない。

 ここに来ることも、もう無いだろう。




 地元へ戻って、アパートに帰り、シャワーを浴びた。

 髪についたワックスを念入りに洗い落とし、Tシャツとチノパンに着替える。


 時計を見ると、まだ15時。


 今日はこのあと、ストームに図書館に来いと呼ばれていた。


 あいつは今、学校に通っていなかった。

 論文提出期限は10月末までに延期され、学校でやらなくてもいいという、いわゆるリモートワークが認められたらしい。

 学校側からの、異例の特別扱いだ。

 ストームが、推薦入試に挑むボストンの大学には、それだけの権威があるようだ。



 図書館の場所は、よく分からないので、タクシーで向かった。

 降りた場所は、いろんな形の豆腐をくっつけたような、コンクリート建築の建物。


 中は静かで、砂鉄を含んだような、重苦しい涼しさが漂っている。

 聞こえるのは、せいぜい足音くらい。


 ストームはどこだろうと探し回る。

 館内の隅っこのテーブルで、それっぽい人物を見つけた。

 分厚い本を読んでいる黒い影。

 制服は着ておらず、いつもの地味な黒っぽいパーカー。

 それを見て、すぐにストームだと分かった。

 図書館の中だというのに、フードを深く被って顔を隠しているからだ。



 近づいて、声を掛けた。

「ストーム」

「んん……誰それ。ここでは、まゆって呼んで」



 めんどくせぇな、まったく。



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