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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
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5.2.14 - 正常化


 時間が、秒単位で経過した。


 茂みに身を潜め、呼吸を数えた。

 ストームは目を閉じたまま。


 しかし、なにも起きなかった。



 数分が経過。

 ストームは動かない。

 右手はリュウタの背中に添えたまま。


 リュウタはアゴを地面につけ、伏せたままくつろいでいるように見える。


 聞こえてくるのは虫の鳴き声。

 合間をぬって、ミラーと、ミケルの腹の音。

 たまに、ソフィアが咳払いをするが、腹の音を誤魔化しているのかもしれない。


 丘の方から吹き下ろす風。

 その風が運んでいるのだろう。

 僅かだが、煙の匂いが漂う。

 なにかのスープかシチューのような匂いを含んでいる。

「ちくしょう。あいつらだけ飯でも喰ってやがるのか」


 まだなにも起きない。

 目を閉じたままのストームが、ブツブツと何かを言い始めた。

 寝てるわけじゃないよな。

 集中しているのだろう。


「私の手が触れているもの……

 それがホンモノのオオカミ……

 オオカミの認識を正常なものに……

 土地の認識を変える……戻す……

 設定を世界から土地へ。

 ダウンロードするつもりで……」



 なにも変わらない。

 どうなっているのか聞きたいが、話しかけていい雰囲気でもなかった。


「うん、そうだね。お腹空いたね」

 未希が、リュウタに話しかけた。

 口を閉じたままのリュウタ。

 ツノガイのように切れ込んだ鋭い目で、未希の顔を見上げた。


 また時間が過ぎた。


 突如、リュウタが、スッと未希から顔をそむけた。

 視線が、森の奥へと向いた。

 そして、のっそりと、立ち上がった。


「あれ? 変わった? 人間……プレイヤーになったよ」

「え?」

「あのね。丘の3匹の気配が、プレイヤーに変わった」


「おい、ストーム、どうなってるんだ」

「んん……いろいろ試して、やっとできたみたい」

「何をした?」

「言ったでしょ。丘周辺にある間違いを、元に戻した」


 未希が、早口になった。

「大変だよ、オオカミの群れが……あっ、だめだよリュウタ」


 リュウタが牙を剥き、唸り声をあげた。

 全身が小刻みに震えている。

 怯えているのではなく威嚇。

 なにかに備えている。

 吠えたくて堪らなそうに見える。

 未希は口元に人差し指を当て、その顔を、リュウタの正面に晒した。

「シー……」


 その数秒後だ。


 丘のある方角の夜空に、オオカミの遠吠えが響き渡った。

 その鳴き声に負けじと、次々と異なる音程の遠吠えが湧き上がる。

 距離は、そう遠くない。


「みきさん、丘の3人はどうしてる?」

「うん……慌てた感じはないよ。たぶん座ってると思う」

 ストームの不敵な笑み。

「ふふっ……解除されていることに気がついてないのかな」


「あっ、オオカミの群れが走り出した。すっごい速度」


「これからなにが起きるんだ?」

「あとは、ここで待ってるだけ。逃げてきた3人を、ここで捕まえる」

「逃げてくる?」

「エルハム達は今、人間の姿でオオカミの縄張りにいる」


 ミラーが、唾を飛ばしながら笑った。

「フッハハ。じゃあ、あいつら、縄張りの真っ只中で焚火起こして飯くってるってことかよ。フッハハハ。傑作だ」


「みきさん、実況してほしいんだけど」

「うん、わかった」


 未希が実況を始めた。


 遠吠えのあと、こちらに向かって、駆けてくるオオカミ。

 方々に単独で散っていたオオカミも、その群れに合流していく。

 数は、十匹前後。


 丘の上の3人は、いまだ気付いてないようだ。

 新しい得物が、かかったとでも思っているのだろうか。

 イベリアオオカミが目指しているのは、その丘だというのに。


 ミケルが、小声で言った。

「イベリアオオカミは、他のオオカミよりも縄張り意識が強いんだよね。異変を感じたらすぐ排除しに来るよ」


 また数分が経過した頃だ。

 はっきり聞こえるような距離ではない。

 他に騒音がないから、聞こえるのだろう。

 遠くの夜空に、絶叫のような音がした。

 遠吠えではなく、人間の叫び声。


「おい……未希」

「……ごめん、近すぎて、みきにはこれムリ」

 目をギュッと閉じて耳を塞ぎ、縮こまってしまった。


「なにが起きてるんだ」


「逃げる暇もなかったのかしら?」

「あいつら、喰われちまってんのか」

「普通は遠吠えで逃げるのにね。自分たちだと思ってなかったんだろうね」

「これは計算外……ゴメン。生き残ってくれるといいけど」


 未希が声を出した。

「プレイヤーの気配がふたつ……止まった」

 耳は塞いだままだが、薄目を開けた未希が続けた。


「ふたつ? あとひとつは?」


「気配がオオカミに混ざって……

 あれ、1匹だけ丘を下るオオカミがいる」


 耳を塞いでいた手を離した。

「それって、2本脚?」

「うん」


「みきさん、そのオオカミは、こっちに向かってるの?」

「うん……片方の足を引きずってるかも。近づいてくるよ」


「ソフィア。もうすぐ出番だよ」

「オーケィ」



 それから、十数分後。

 森の奥に人の影が見えた。

 オオカミではない。

 茶色のベストの上に、緑色の薄いマントを羽織る男。

 足を引きずりながら、こちらに向かって進んでくる。


 だが、途中で尽きたのか。

 それとも、もう充分な距離だと思ったのか。

 百メートルくらい離れた場所の、木の根元に腰を下ろした。


「この距離でもいける? ソフィア」

「ちょっと遠いけど……」


 ソフィアが左手に砂をのせて目を閉じた。

 つむじ風に巻き上げられるように、手のひらの上で砂塵を起こした。

 そのまま光を帯びて、男の方へと飛び散っていった。


「ミケル。取り押さえて。ミラーも」

「オッケー、ソフィア」

「あいよ、隊長」


 ミケルが、駆け出していく。

 その後を、ミラーも追う。


 暗がりだが、未希のナイトビジョンのおかげで、よく見える。

 ソフィアが放った光の粒が、先に届く。

 マントの男が、顔をそむけながら、虫を追い払うようなそぶりを見せる。

 その間にミケルが駆け寄り、バットで頭を殴りつけた。


 追いついたミラーが、ふらつく男のマントを掴む。

 そして、引っ張り上げてから、男を地面に叩きつけた。


 ミラーは、タオルのような布を取り出し、男の口に噛ませて、うなじの辺りできつく結んだ。

 その後、腰の手斧を掴み、男の左腕に振り降ろす。


 男は、声を上げるまもなく、うつ伏せのまま動かなくなった。

 それを、ミラーが肩に担ぐと、そのまま、ミケルと共にこちらに戻った。


 ソフィアの足元に下ろしてから、ミラーが言った。

「ソフィア。微粒子で止血できるか?」

「砂粒でいいならできるけど」

「かまわねぇよ。俺が痛てぇわけじゃねぇ」


 男は三十代。

 記憶は薄いが、見たことはある。

 以前はアーネストの側近だったイギリス人。

 間違いない。

 この男は、エルハムだ。


 右足のズボンが破けて血が流れている。

 目立つのは左腕。

 手首の辺りから斬り落とされて血を垂れ流していた。

 それと、頭を殴られた衝撃で、脳震盪も起こしているようだ。

 だが、それでも、まだ生きている。


 もういいだろう。

 これ以上は、見ない方がよさそうだ。

 後のことは、サイコパス寄りの連中に任せよう。


「未希、群れの様子はどうだ」

「こっちの気配を伺ってるけど、丘の上で、ウロウロしてるだけ」

「そうか」


 リュウタは、丘のある方角を睨みつけている。

 敵意を剥き出しにしているようには見えない。


 それでも、なるべく早く、ここから離れよう。

「ストーム」


「ん?」

「少し離れた場所で、飯の準備をしよう」



「そうだね。お腹空いたよ」



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