3.3.08
陽が落ち、辺りが暗くなったころ。
裏口から出てきたシラスが言った。
「水はまだ必要だが、疲れたろう。少し休め」
シラスの目にも、疲労の影が滲んでいる。
ドアの先の台所から、下町の酒場のようなワインの匂いが溢れ出していた。
ガスコスの姿も見えるが、テーブルも床も血まみれだった。
「まだ、状況は深刻だ。3日か、4日。
そこを過ぎて生きていれば、ガスコスは助かる。
また明日、様子を見に来い」
言い終わると、シラスは台所に入り、ドアを閉めた。
間もなく、陽も完全に落ちそうだ。
裏口から、建物の正面に周る。
あちこちの民家から漏れる生活の灯りが、道がある場所をうっすらと照らしていた。
すると、ゴトゴトと、薪を積んだ台車を引くクラゲが通りかかった。
「よう、ソウジ。ガスコスはどうだ?」
「さぁな? それより、世話になったなクラゲ。ありがとう」
「いいってことよ。お互い様だ。
ソウジはこれからどうすんだ? 泊まるとこあんのか?」
「いや。無い」
「じゃあ、今夜はおれんち来るか。泊めてやるぞ」
「すまない、助かる」
「じゃあソウジ、宿泊代の前払い代わりに、後ろから台車押してくれ」
この世界は地獄だ。
なのに、出会うヤツはイイ奴ばかりだ。
オレは台車を押し、クラゲの家に案内された。
暗くて分かりにくいが、クラゲの家は、小ぶりの民家だった。
クラゲが、暗闇からドアを探り当て開ける。
「残念ながら独り身だ。まぁ入れや」
クラゲが火打ち石をカツンと何度か打ち鳴らし、蝋燭に火を灯す。
中に入ると、カビ臭く、埃臭く、その2つを上回るワキガ臭に襲われた。
住居の中は窯とテーブル、2脚の椅子。
奥には、藁のベッドが1つある。
長方形の部屋に、生活設備の全てが備わっていた。
「腹減ってんだろ? ちょっとまってろ」
クラゲが、窯に火を灯す。鍋でなにかを作ろうとしている。
オレは、テーブルの椅子を引き、腰を掛ける。
左手を叩いて、ログインデバイスを呼び出した。
『ELAPSED 00:22』
ニフィル・ロードに来て2200分。36時間半が経過していた。
「お……ソ……ソウジ……お……おまえ」
クラゲに視線をやると、目を丸くしていた。
「お札かそれ? え……ソウジは……わたしびと様か!」
「ああ……そういえば、そうだったな」
クラゲは、言葉を放ったまま口を開けている。
「ま……まぁいいや」
クラゲはまた背中を向け、固そうなパンと豆を鍋に入れて、ぐつぐつと煮込み始めた。
「タダもんじゃ無いだろうとは思ってたが、まさか我が家に、わたしびと様かよ」
「クラゲ。おやしろって知ってるか?」
「おお、もちろん知ってるよ。村の北西のはずれにある。
明日……も、仕事あるから案内はできないな……
だから、酒場の場所を教えてやる。
そこでお札見せれば、だれかが案内してくれるだろう」
「渡し人様は、そんなに特別なのか」
「そりゃソウジ、この村の創始者で救世主様だ。
そうかソウジは、おやしろを探しに来たのか。なるほどな」
クラゲは、うんうんと、頷きながら、鍋をかき回している。
「おやしろはどんな所だ?」
「おれたち村の者は、中に入れないから中身までは知らないが、敷地の中に石造りの家がある」
「入れない?」
「そうだ。なんか幕みたいのがあってな、入ろうとしても入れない。
お札を持つ者しか入れないって言われてる。
ソウジなら入れるんじゃないか?」
クラゲが、木のボウルに、鍋のシチューを掬い、テーブルまで運んできた。
「ほら、喰え。言っとくが不味いぞ」
クラゲが木のスプーンをオレに手渡す。
「ありがとう」
クラゲが窯に戻り、自分のシチューを掬う。
それからテーブルに戻り、オレの向かいに腰かけた。
ボウルに注がれているのは、豆を溶かし、ふやけたパンの切れ端が浮いた、どろどろのシチューだった。
そして、ところどころに、草が浮いている。
口に運ぶと食感は粘土のようで、ダシも何も無く、不味い以前に味がしない。
残る風味は、この部屋と同じワキガ臭だけだった。
「ソウジが、わたしびと様とはなぁ。それならガスコスが命張ったのも分かるよ」
「まぁ、あれは半分オレのせいだな」
「そうなのか?
聞いた話でしかないが、あいつのオフクロ、ガロムだったか。
この村で、わたしびと様に命救われてな。
じゃなきゃ、ガスコスは生まれてもいないんしゃないか。あっはは」
シチューを口に運びながら、クラゲは続けた。
「まぁ、救われたのはガロムだけじゃなくて、村中のやつらが救われているらしい。
って言っても、もう50年前の話だ。おれも含めて、若いやつは何も知らん」
とにかく……明日、おやしろに行ってみよう。
なにか分かるはずだ。
「とりあえず、今夜はゆっくり休め。疲れてんだろ?」
「ああ、そうさせてもらう」
クラゲと2人で、シチューを食べ終わる。
「ソウジはこっちだ」
クラゲは、梯子の上を指さした。
昇ると板が敷かれ、中二階のようになっていた。
ズタ袋や壺が乱雑に並んでいる。
横になれるスペースはあるが、布団になるようなものは無い。
オレは板の上に寝ころび、マントをくるむ。
ログアウトしようかと思ったが、それだとまた現実世界で30時間待たされる。
あと1日、このまま過ごそう。
起きたら、ガスコスの様子を見て……
そのあとは酒場で「おやしろ」の場所を聞いて……
それから……
……




