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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
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5.1.30 - エチュード


 嵐の下で、幸せそうに口笛を吹く少女の絵。

 ストームは、床に広げた紙面を眺めながら、ブツブツと何か言っている。


「嵐と雨の意味は?

 樹洞の少女……口笛の意味は?

 どうして6.2センチ?」


 ストームの心の声が漏れまくっている。

 未希は、雑誌を眺めながら、ポリポリとお菓子を食べていた。

 メッセージは見つかったのかな。

 もう、雑誌を眺めなくていいのか。


「おにいちゃんも、たべる?」

 未希が、お菓子の袋をオレに向けている。

「いや、いいよ」

「あ、そっか。甘いの苦手だもんね。じゃあポテチどうぞ」


 いや、それもいらないんだが。


「だめだ……なんにも、分かんない」

 ストームの声。

 見ると、天井を見上げている。


「みきさん、ヘルプ」

「うん?」

「天才のみきさん、この絵になにか感想ない?」


 天然の間違いだろう。


「うーん。女の子がかわいい」

「他には?」

「樫の木に守られる女の子がかわいい」

「樫の木……これ樫の木なんだ」

「風であんまり揺れてなくて堅そう。あと葉っぱの形とか」

「他にない?」

「うーん……勝手な感想なんだけど」

「いいよ。なんでも言って」

「あのね。小さい頃に聞いたことがあるピアノ曲を思い出すよ」

「ピアノ曲?」

「ママがピアノ弾くの好きでね。みきも、ピアノを習おうとしてたことがあったんだけど、そのときに聞いたママの曲みたいな絵」

「え、それ、なんて曲?」


 未希がピアノ? 初耳だ。

 オレの母親が、ピアノを弾いたところなんて見たことないし、実家には鍵盤はおろか、楽器らしいものすら、オレの実家には存在しなかった。

 未希のいうママとは、実の母親のことなんだろう。


「聴けば分かるけど。幼稚園の頃なんだよね。曲名はわかんない」

「そっか。ありがとう、みきさん」



 結局なにも分からないまま、夕方になった。

 ストームは、ほとんど喋らなかった。

 広告を眺めたり、写真を撮って、パソコンに取り込んだり。


 やることがないオレと未希は、家に帰った。





 そして、翌朝。

 9時頃に、ストームからメッセージ。

 オレ個人ではなく、グループメッセージで届いていた。


『やばい……わたし、こくられたかも』


 いったい、何があったのか。

 すぐに未希のメッセージが続く。


『えー! だれに? 学校のひと?』

『62歳のおじさんから。だと思う、どうしたらいい?』

『え、ち、ちょっと、ダメだよまゆさん、いまそっち行くから、待ってて』

『うん』

『おにいちゃんも黙ってないで、まゆさんち来て。事件だから』

『分かったよ』


 62歳のおじさんて。

 まさか、この時代のノトウェン?

 未婚だって言ってたが、なにがどうなってんだ。




 駅に着くと、未希に声を掛けられ、ふたりでストームの家へと向かった。


 チャイムを鳴らしたのは、午前11時過ぎ。

 ドアを開けたのは、昨日のジャージを着たままのストーム。

 目の下は、真っ黒。

 肌に艶が無く、髪も荒れ放題だ。

 にもかかわらず、目つきだけは、異様に鋭かった。


「おい、大丈夫か……ストーム」

「まゆさん、寝てないの?」

「んん。とにかく上がって」


 ストームの部屋に入る。

 複数あるモニターには、広告の絵が何枚も映し出されていた。

 この部屋にしては珍しく、新聞は散らかりっぱなし。

 その上には、ペットボトルや、スナック菓子のゴミが散乱している。


 ストームは、床に落ちていたタブレットを拾い上げた。


「モナリザ暗号みたいなやつかと思って、ずっと文字を探したんだけど。文字なんてどこにもなくて、完全な絵だった」


「じゃあ、なにを見つけたんだ?」


 ストームがタブレットの画面を見せる。

 映し出されているのは、データとして取り込んだ新聞広告。

 嵐と大木と少女の絵。

 いくつかの雨の線だけが、部分的に赤く強調されている。


「この絵は、暗号じゃなくて、楽譜だったみたい」

「え?」


「赤い線は、6.2センチの雨の線。

 みきさんのヒントを思い出して、線の位置を音程としてデータ化したら、ピアノ曲の楽譜になって鳥肌たった。

 あのヒントがなかったら、辿り着けなかったかも」


 そう言われてもといいたげに、未希は首をかしげる。


 ストームが、画面を横にスワイプしていく。

 同じ絵が続くが、赤い雨の線の高さや位置だけが、わずかに異なっていた。


 最後に、線だけを合成した画面を店ながら、ストームが口を開く。

「広告1枚が、五線譜の1段。広告5枚の楽譜を、同時に再生すると……」


 ストームが、画面の端にある小さなアイコンに触れると、曲が流れ出した。



 散らかりっぱなしの部屋の中に、最初の1音。

 柔らかなピアノの音が天井に吸い込まれていった。

 そのあとに優美で繊細な音の粒が、次々と転がっていく。

 雨水が枯れ枝に当たり、こぼれ落ちていくようだった。

 落ちずに駆け回るメロディーだけが、耳の奥に吸い込まれていく。



 耳を傾ける未希が、目を閉じたまま呟いた。

「あっ……この曲……ママも弾いてた曲。難しくて、みきには弾けなかったけど。みきもこの曲は大好き」


「やっぱり、そうなんだね。

 この絵に、こんな楽譜を埋め込むなんて、なんなのノトウェン……」


 ストームに尋ねた。

「この曲に、なにか意味があるのか?」


 ストームが答えた。

「うん。検索して調べた。

 この曲はね、ショパンのエチュード。エオリアンハープ。

 嵐の中で雨宿りをする羊飼いが、きままにハープを弾く姿をイメージするような曲なんだって」


 曲自体は、3分くらいで終わり、散らかし放題の部屋に戻っていた。

 絵に視線を落としたストームが、説明を続けた。


「エオリアンハープは、この絵そのもの。

 嵐の絵はストーム。つまり私宛て。

 6.2センチは送り主。62歳のノトウェン。

 要するにこれは、新聞広告として出した、私への手紙」


 未希が、ストームのタブレットを横から覗き込む。

「なんか凄そうなのは分かったけど、これが、まゆさんへのラブレター?」


 ストームがタブレットの絵にある、大木を指した。


「これは樫の木。ドイツ語でアイヒェだよね、みきさん?」

「うん」


「ノトウェンの名前覚えてる?」

「あ……ノトウェン・アイヒェンドルフ」


「それを踏まえて、この絵を見ると……どう思う?」


 未希は、子供の絵本を見るような目で、その問に答えた。


「嵐の中で、樫の木(アイヒェン)に守られている少女……ストームの心は、わたしが守る……? みたいな?」



「だよね。客観的に見てもそうだよね?

 嵐の中の樹洞で、幸せそうに口笛を奏でる少女。

 その絵とエオリアンハープ。

 ふたつを合わせた意味。

 外がどんなに荒れ狂っていようとも、少女の歌声は、純粋で美しい。

 嵐の音さえ、優美な伴奏に変えてしまう。

 それを囲い守っているのが、樫の木(アイヒェンドルフ)


「うわーぁ。うわっ、うわー!」

 未希がしゃがみ、肩を震わせながら、もだえるような奇声を上げた。

 そのあと、飛び跳ねながら言葉を続けた。


 ストームは、やれやれと言った表情だった。

 恋に浮かれている少女の顔ではない。

 手の込んだセクハラを受けた、女子社員のような顔。


「んん……認めたくないし、考えたくもないけど……

 わたし宛、ラブレター、差出人がノトウェン。

 この絵と、楽譜に、その3つを嵌めこむと、描かれている全てが融合する。

 この絵が入試問題のメッセージだと断定して間違いない」


「すごーい。うわーっ。こんなロマンチックなラブレター、映画でも見たことないよっ。きゃーっ」

 未希が、床に這いつくばってもだえている。


「ねぇ……どうしよう。どうしたらいい? こんなの反則だよ。しかも40年越しだし」


「えっ、まゆさんは? まゆさんはどうなの?」

「どうなのって……相手は、62歳だよ?」

「まぁそうだけど、ニフィル・ロードでは、22歳でしょ」

「そもそも、わたし、恋愛感情とかゼロ……っていうか、マイナスだし」



 どうやら、オレの出る幕は無いようだな。

 未希に任せよう。


「でも本当にすごいね。ただの新聞広告だったのに、もう、なんだか絵を見てるだけで、エオリアンハープが聴こえてきちゃうし、キュンキュンしちゃう」


「んん……ま、まぁとりあえず……

 ログインして、ノトウェンとノイマンに会いにいく。

 受け取ったこと伝える約束だからね。

 総司とみきさんも、一緒に来て」


「うん! うぁ~なんか、もやもやするー」



 オレもかよ……

 オレはいいだろ、行かなくても……




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