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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
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5.1.27 - 保険


 研究所の執務室。

 ノイマンと名乗る男と、向かい合って座っている。


 オレとこの男。

 決定的な違いは、視線だ。


 オレはノイマンの目を見るが、ノイマンは、いちどもオレと目を合わせない。

 四六時中、オレの目を観察していたルシアとは、対照的な存在だ。


 たぶんコイツは、人間に興味がない。

 オレもないが、それとは全く別物の無関心だと思う。


 こいつは、目をいっさい合わせようとしない。

 なんの関心も、感情も持っていない。

 まるで生まれたときから、人間に興味がなかった。

 そんな目だ。


 いったい、ノイマンには、他人という生き物がどう見えているのか。

 自分以外の人間というものを、どう解釈しているのか。

 興味はあるが、たぶん本人にも分かってないよな。


 しばらく沈黙していたが、ノイマンが口を開いた。

 顔は、ストームの方を向いているが、視線はテーブルに落ちている。


「論文は進んでる? ミス・ストーム」

「ん……まだなんにも書いてない」

「君はもう、9月なんでしょ? 間に合う?」

「うん。間に合わせる」


 オレはストームに日本語で尋ねた。


「ストーム」

「んん?」

「ノイマンには、どこまでオレ達のことを話しているんだ?」

「どこまでって?」

「オレ達が何年から接続していて、どこから来て、なぜここにいるのか」

「年月は伝えた。あと日本に住んでることも」

「論文は、どこでどうやって手渡すんだ」

「羽田空港で渡す」


 まるで性善説のカタマリだ。

 ノイマンがペテン師だったら、どうするんだ。

 ストームのアイデアが盗まれるだけならまだいい。

 ストームの身に危険が及んだらどうするつもりだ。


 ノイマンは、オレとストームの日本語の会話を、不思議そうに眺めているが、やはり、目を合わせることはない。

 ペテン師なのか、人間に興味がない数学者なのか。

 オレが知る限り、こういう男はだいたいペテン師だ。


 オレは、英語でノイマンに質問した。

「ストームに対して、条件はないのか?」

「いま通っている日本の高校だけは卒業してほしいな。論文はね、10月でも構わないよ。推薦するのは私じゃないしね」

「おまえじゃない? なら誰だ?」


 ノイマンの横から、ノトウェンが答えた。

「論文を受け取るのは、僕になる予定です」

「は?」

 ノイマンが答える。

「私はね、あと数年で死んじゃうみたいなんだよね」

「あと数年? それは、どういうことだ?」


「私が生きているのは、1952年。ミス・ストームが高校を卒業するのは、70年以上先。だから、論文を受け取るのも、願書を出すのもノトウェンだよ」


「ちょっと待て、学生が大学の論文を受け取って推薦するのか?」


 また、ノトウェンが口を開く。

「僕は、1987年から接続していて、いま22歳です。なのでミス・ストームから論文を受け取るのは40年後。僕は62歳だね」


 ノトウェンは、真顔で言ったが、次の言葉は少し口元を歪めた。

「あ、生きてる保証はないけど。でも、ムリそうだったら、他の誰かにお願いするから心配しないで」


 何言ってんだよ……このふたりは。


「おい、ストーム」

「うん?」

「オレはこの与太話に、どこから、突っ込みを入れればいいんだ」


「まぁね。そう思うよね普通」

「おまえが、ボストンの大学に行きたい理由はなんだ?」

「ん……」


 ストームは、しばらく考え込んでから、また顔を上げた。


「知りたいことが沢山あるのはホントだけど……逃げたいだけかも」

「逃げたいって、おまえなぁ」


「それで構わないよ」

 ノイマンが、口を挟む。


「日本という国は、天才が育ちにくい場所だよね。

 ミス・ストームは、私の目から見ても、高い才能がある。

 そして、アメリカは、ミス・ストームに英才教育を行う環境があし、知識をふくらませる素材が集まっている場所でもある。

 その場所で、吸収しながら磨いてけば、研究の密度だって、世界最高レベルになるよ。

 ああ、でも、勘違いしてほしくないのは、アメリカに来たからといって、アメリカの役に立てというわけではないからね。

 ミス・ストームにも、世界の針を進める一助になってほしいんだ。

 私の希望は、それだけ」



 ノイマンが、淡々とストームの将来を語った。

 しかし、目はそこらへんを泳いでいる。

 熱意もなく、感傷も感じられず。

 言わば、あまりにも事務的な言葉。


 オレはまた、横に座っているストームを見た。

「おまえは、そんなに才能があるのか?」

「んん……わかんない。眉唾」

「だよな……」


 確かにストームは、頭脳明晰だ。

 そういう光景を何度も見たし、感じた。

 オレには、そこに、どれだけの叡知が詰まっていたのかも分からなかった。

 その深さを測ることなんて、オレに出来るはずもない。


 ふと、数日前のルシアの言葉を思い出す。

 ストームはギフテッド。神様に選ばれた少女。

 そして今、新たにふたりの男が声を揃えている。

 時代を超えて、ストームの才能と未来に、なにかを見出し期待を寄せている。


 まぁ、そうだな。そこにオレの出る幕はない。

 見定める手段のないオレが、口を挟む話じゃない。


 だったら、オレがすべきことは何だ。

 ストームに、それほどの才能と素質があるというのなら。

 だったら、せめて。

 ストームが、悪い話に引っかからないようにしてやろう。

 オレに出来ることがあるとしたら、それだけだろう。


「ストーム」

「ん?」

「オレが、保険をかけてもいいか?」

「うん。お願い。お父ちゃん」


 またそれかよ。ちゃん付けになってるな。

 まぁいいや。


 ノイマンに向き直る。

 それから、右手を上げて、人差し指と中指を立てた。


「悪いが、ストームの安全のために、ふたつ、要求を飲んでほしい」


「なんだろう。言ってみて」

 ノイマンが、初めて、表情の薄い顔でオレの顔を見た。

 テレビのチャンネルを変えたら、たまたま見たい番組をみつけたくらいの微妙な興味。

 見ているのはオレの目ではなく、オレの顔だ。

 オレの顔を、テレビのブラウン管のように見つめている。


 オレはその顔に向かって、条件を伝えた。

「出願は正式に、学校を通してほしい。できるか?」


 ノイマンが答えた。

「それはそうだね。その通りだ。それでいい? ノトウェン」

「40年後の僕がどうなっているのか分かりませんが、覚えておきます」

「なら、学校を通す件は約束するよ。ふたつ目は?」


「おまえ達の時代から、サインを出してくれ。

 日本に住んでいる、オレ達にも分かるように。

 日付は、オレ達の時代の9月18日。多少前後してもいい」


 ノトウェンがノイマンに視線を向ける、

「できますかね?」


 ノイマンはオレの顔から視線を外し、斜め上を眺めていた。

「面白そうだね。なにがいいかな。なにかビックリすることがいいね」

「できるんですか……教授?」

「やるのは君だよ、ノトウェン。ビックリさせてあげなさい」

「は……はぁ」


 話は、まとまったのか。

 オレの要求は飲んでくれたように見えるが。


 9月18日は、ログアウト後の次の日。

 ログアウトすれば、もう明日だ。

 いったいどんなサインが得られるのだろうか。


 まぁそれはどうでもいい。

 オレの要求は、実質ひとつ。

 入試は学校法人を通す。それだけだ。

 悪だくみがあったとしても、それで9割は潰せるだろう。


「これでいいか? ストーム」

「うん。ありがとう。学校を通してくれるなら、家族にも説明しやすい」


「てか、いままでなんで考えなかったんだ」

「うーん……数学者って基本マヌケだよ? 知らないの?」

「はぁ?」


 頭がいいのか、悪いのか。

 ストームは、鼻をすぼめるオレから視線は外し、天井を見上げた。


「9月18日、楽しみ。なにが起きるのかな?」

「さぁな」

「待ちきれないから、戻ったらすぐにログアウトする」



 まぁいいけど。



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