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『あの世界』の常識に巻き込まれていく話  作者: 渡しログ
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5.1.23


 旅が始まった。


 南西へと進む道が、踏み固められていた。

 この数カ月で往復したのであろう、複数の車輪の跡が、遠くの森へと続いていた。


 オレのすぐ目の前にも、ガタガタと、木製の車輪の音。

 2頭のヘラジカが横並びで荷車を引き、新しいわだちを地面に刻んでいる。


 のんびり歩むヘラジカとは対照的に、荷台が小刻みに飛び跳ねている。

 いざとなったら、ひとりくらいなら、乗せるスペースもありそうだが、乗り心地は最悪だと思う。


 前を行く、男達3人は、おおむね無言。

 歩行に必要な会話を、ときどき交わすだけ。


 それとは対照的に、隣を歩くノトウェンは、よくしゃべる。

 話し相手はオレ。


 いつものことだが、ほとんどは聞き流した。

 言っていることの意味が、ところどころ不明だ。


 こいつの頭がいいというのは、なんとなく分かる。

 だが、ストームとは違い、頭の良さをひけらかしているように感じる。


 つまり、オレの苦手なタイプだ。

 苦手なタイプとは、どういう人種なのかに興味があったので、少し質問した。


「おまえは学者なのか?」

「僕はまだ、学生です」

「なにが得意なんだ?」

「物理と数学です」


 ノトウェンは、迷いなく即答した。

 それが何だって言うんだ。

 こん棒で殴った回数でも数えるのか。


 ノトウェンの説明は続いたが、あとは聞き流す。

 オレは、心地よく流れる風の音に耳を傾けた。


 車輪の道が、森沿いに南南西へと方角を変えた。

 昼は木陰で休息。そこで昼食を摂る。

 そしてまた、旅を続ける。


 午後の旅では、ノトウェンは一言も喋らなくなった。

 ただ歩いているだけなのに、マラソンをしているかのようなノトウェンの横顔。

 額や頬から、汗が滲んでいる。

 視線は地面に落ち、荒れた呼吸でリズムを刻んでいる。

 顔と耳の荷車の方へ向けて、車輪の音を追いかけている。


 オレはその後ろから、荷車とノトウェンの背中を追った。



 6カ月前は、森に詳しいガイドがいないと、辿り着けない行程だった。

 オレは、オオカミの群れに追いまわされた記憶しかない。


 車輪の跡は、延々と森沿いに続いている。

 森を横切るよりも遠回りだと思うが、深い森や、オオカミの縄張りを確実に避けることができるルートなのだろう。


 たぶん、このまま、車輪の跡を辿るだけでいい。

 それだけで、噴水広場に辿り着ける。



 そして、夕方が近づく頃。

 オレはさらに驚く光景を目撃した。


 無人のキャンプ場。

 朝、発てば、夕方に辿り着く距離の宿場。

 川のない森沿いのキャンプ場だが、井戸が掘られている。


 あたりには、放棄された複数の焚火の跡。

 普通は片づけるものだと思うが、次の旅人が利用できるようにという考えなのだろうか。

 薪木をくべる穴や石炉が、そのまま放置されていた。


 ノトウェンの話では、灰や燃えカスは、定期的に回収するプレイヤーが訪れ、畑の肥料や殺虫剤、洗剤として再利用するらしい。



 そしてオレ達も、今夜はここで野営する。

 荷物を下ろし、井戸の水をヘラジカに与え、薪木を集め、焚火に火を灯す。


 やがて、オレ達以外の旅人も、続々とキャンプ場を訪れた。

 陽が沈む頃には、20人近いプレイヤーが、それぞれで別の焚火を囲んでいた。


 野営の不寝番は、オオカミの備えと、盗難の監視目的で立つことになった。

 体力のなさげなノトウェンは、朝まで休む。

 交代の見張りは、オレを含めた4人が担当する。

 オレも護衛契約で同行しているのだから、文句は無い。


 オレは、夜明け前の4番の見張りを志願。

 ノトウェンの意味不明な会話に付き合わされるのを避け、とっとと寝ることにした。


 あちこちで、ボソボソと聞こえてくる話し声が気になるが、いつの間にか眠りに落ちた。




 翌朝。


 オレ達は、他のパーティよりも早く、キャンプ場を発った。

 理由はノトウェンだ。

 学者先生の弟子は、歩くのが遅い。


 ここから先は、森の道。

 車輪の道が続いているとはいえ、平原よりも歩きにくい。

 ノトウェンのペースは、最初から遅く、静かだった。

 話しかけてこないから、オレも楽だ。


 昼を過ぎた頃。

 森の中で、長めの昼休憩。

 そこで別の旅人とすれ違い、互いが歩いた場所の話を交換した。

 このまま歩けば、次のキャンプ場に辿り着くらしい。

 平和な旅。情報はそれだけ。

 気に留めておくような話は何もない。


 それにしても、ノトウェンは、本当に体力がなかった。

 今日は午前中も、ほとんど喋らず、歩くだけに集中していた。

 昨日の疲れもロクに抜けていないようだ。

 ヘラジカの荷車をもう1台手配して、ノトウェンを乗せるべきだろう。



 それでも、ノトウェンは、がんばったらしい。

 オレにはその苦労は分からないが、がんばったんだと思う。


 この日も、夕方になる少し前。

 オレ達は、小川沿いのキャンプ場に到着した。

 ノトウェンががんばらなければ、夕暮れまでには辿り着けなかった。


 小川があるので井戸はないが、ここにも、焚火の跡があちこちに放置されている。

 穴を掘る必要も、炉を組み上げる必要もない。

 楽だ。


 すでに多くの旅人が、野営の準備を始めていた。

 オレ達も、今夜はここで野営。

 何事もなければ、明日中に噴水広場に着くらしい。


 車輪の跡は、小川の下流へ向かって、延々と続いている。

 これを辿れば、噴水広場へ辿り着くんだろう。



 以前の旅とは何もかもが異なっていた。


 車輪の跡が続く安全な街道があり、荷物はヘラジカの荷車が引く。

 夕方になるとキャンプ場があり、水源がある。

 そこに、大勢の旅人が集まり野営する。


 旅人が行き交い、これから進む先の道の様子が事前にもたらされる。

 いずれは、この宿場にも誰かが住みつき、店でも始めるのかもしれない。



 流通とは、こうして進歩していくんだなと。

 現代社会では、なんの役にも立たないのかもしれないが。

 オレはまたひとつ、無駄な雑学を得た。



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