5.1.07
スマホの時計を見る。
18時20分。
未希とストーム、それとルシアの3人は、ふなべりを掴んで、花火が上がるのを待っている。
オレは独り、船尾の椅子みたいなのに腰を下ろした。
そこから、3人の後ろ姿を眺めた。
ストームも、ルシアに慣れたようだ。
あの人見知りのストームと、1時間も経たずに、普通に会話をしている。
魔法でも使ったんだろうか。
「よぅ、あんちゃん。船賃代わりに付き合えよ」
爺さんの手に、缶ビールが2本。
いや、まて。
「あんた、船頭だろ。酒なんて飲んでいいのかよ」
「カカカ。ダメにキマってんじゃんか。こりゃ酒じゃねぇんだよ」
爺さんが、ホレっと、缶ビールを1本オレに投げた。
掴み取って、ラベルに視線を落とす。
ノンアルコールビール。
爺さんは、クーラーボックスを開けて、紙皿に何かを盛り付けた。
それから、バケツをひっくり返して、紙皿を乗せる。
皿には、小魚のカラ揚げのようなものが、山盛りになってた。
「うんめぇぞ、これ。喰ってみろ」
爺さんが、1つ摘まんで、口に入れる。
黄ばんだ歯で、ザクザクといい音をたてて、カラ揚げを噛み砕いた。
たしかに美味そうだ。
そして、実際、美味かった。
絶妙なコショウと塩加減。
カラッと揚がった、ころもの中から、新鮮な魚の青臭い脂。
そこから溢れ出る甘み。全てが融合し、口の中に広がる。
「うめぇだろ?」
「ああ……これは、とまらない」
「サヨリのカラ揚げだ。釣ったのは今朝でよ。おかわりいっぺぇあるから、じゃんじゃん喰え。ッカカカ」
サヨリと言われても、どんな魚なのか知らないが、美味い。
無意識に、缶ビールのプルタブを持ち上げて、口をつける。
ビールの味だ。
アルコールが入っているような錯覚。
こめかみのあたりの血流が、酔う準備を始めている。
だが、酔わない。
そして、少し奇妙だ。
酒を呑むのではなく、ビールの苦味そのものを味わう飲み物。
アルコールが入ってないのに、なんだって、こんな苦いものを好んで飲むんだ。
そう思ったが、その苦味が、サヨリのカラ揚げに合う。
完璧な組み合わせだ。
「うまい……」
「そうだろう。釣り船屋ナメんじゃねぇよ。カカカッ!」
「なぁ、爺さん」
「おぅ。なんだ、若僧」
「ドイツ語はいつ覚えたんだ?」
「もぉーずーっと前のガキの頃だぁ。
オヤジに客商売の修行してこいって言われてさ。近所にあったバンドホテルっつーとこで、ウェイターやらされてなぁ。そこで覚えた」
「そんなんで覚えられるもんなのか」
「教えてくれた爺さんがいてよぉ。
いろぉんな異人さんが泊まりにくるホテルなんだけどさぁ。
とくにドイツ人が多くてさ。
そんとき面倒見てくれたのが、ルシアちゃんのひい爺さん。
ドイツ語も、その爺さんに教わったんだよ」
「ルシアはフランス人なのに、ひい爺さんはドイツ人か」
「そこらへんの事情は、俺もよく知らねぇけどな。
あいつの、おふくろさんにも会ったことがあるぜ。べっぴんさんだったなぁ」
「……へぇ」
「そんときは、ルシアちゃん、まだお腹んなかでさぁ。次に会ったのが、17歳のルシアちゃんだったから、おったまげたよ」
やっぱりあいつ、17歳じゃねーかよ……
「あれ、いまは18歳か。誕生日もつい最近じゃねぇか?
にしてもよく似てるよ。美人のおふくろさんにそっくりだぁ」
ドン……
尻の下から、空気まで。
全身の内側を震わすような音と振動。
それから、また静寂。
「わぁー! あがった!」
未希が、声をあげた。
横浜港の上空に、赤と緑色の、巨大な火の粉が広がった。
花火が始まったようだ。
それを皮切りに、次々と、鼓動を震わす、重たい衝撃音。
横浜港のネオンに縁取られた夜空。
幾重にも重なる、色とりどりの花火が、火の粉の花を咲かせ、そして消えていく。
「わぁ~きれい~!」
未希が、パタパタと手を叩く。
その横で、ルシアが小刻みに飛び跳ねている。
キャッキャとフランス語を呟いている。
ストームだけ、無表情のまま、じっと夜空を見上げていた。
動かないストームの瞳だけが、花火の色に染まっている。
「ほい、あんちゃん」
爺さんに声を掛けられた。
顔を向けると、手に持っていたノンアルコールの缶ビールを突き出している。
オレも、それに合わせて、爺さんの缶ビールに、コンとぶつける。
「かんぱ~い。ッカカカ」
ニコニコと揺れる皺だらけの顔。
チラチラと覗く黄ばんだ歯。
その口に、ビール味のドリンクを流し込む。
ルシアはともかく。
貴重な夜に、見ず知らずの連中を、大事な船に乗せた爺さん。
「いきなり押しかけて、悪かったんじゃないのか」
爺さんが、口元を手の甲で拭きながら言った。
「いいんだよ。もう長いこと独り身だ。こんな夜ぁ久しぶりだよ」
「そうか」
花火が止んだところで、ルシアが振り向いた。
「ねぇ、ソウジ。あの船、シー・フィルージュじゃない?」
ルシアの英語と、指先が示す先。
2階建ての大型の船が停泊していた。
距離は分からないが、遠く離れている。
姿とカタチは、夕方に見たクルーズ船と同じ船に見える。
あの船の客も、いまごろ食事をしながら、花火を眺めているのだろう。
なるほどな。
あの中なら、逃げられない。
花火の最中なら、誰からも注目されないし、声も漏れにくい。
ディナーが終われば、全員が同じ港に戻る。
そして、すぐに人ゴミの中。
「なぁに? シー・フィルージュって?」
未希が、ルシアに質問した。
「フフン。ほんとはねぇ、ソウジとあの船でデートする予定だったの」
「えーっ、うっそー」
「でも、ソウジが嫌だって言うから、中止になっちゃった。チケットもあったのに」
「えっ……いろいろわかんない。チケットは? 捨てちゃったの?」
「乗れなくて困ってたマダムに、あげちゃったわ。バカよねホント」
「なにそれ……頭がおいつかない」
「そうよねぇ、でも私……わかっちゃった」
「うん?」
「ソウジはね、ミキちゃん達と、一緒に見たかったんだよね?」
ルシアがオレに視線を向ける。
「え~、えへへへ」
未希が肩をすぼめた。
ルシアにいいようにやられている。
オレには、そう見える。
ストームが花火を見上げながら、呟いた。
「総司はシスコン……わたしはいつもオマケ」
「あー、わかる。わたしもミキちゃんに会って確信したわ」
「え~みきが? なに?」
「ソウジは、ミキちゃんにメロメロよ」
また、花火が打ちあがる音。
空気が揺れ、街中が迷惑しそうな衝撃音が、横浜港を震わせた。
クスクスと微笑む未希の視線が、夜空に逃げた。
複数の花火が、夜の横浜港を照らす。
未希と、ルシアがなにか喋っているが、もうなにも聞こえなかった。
「なに喋ってんだ? 俺にぁ、英語は分かんねぇ」
爺さんは、ふなべりの孫を見守るような目で、ルシアたちを眺めている。
「……いい場所に連れて来てくれた爺さんに、お礼言わなきゃってよ」
「ああん、そうかぁ。今夜は、いいあんばいだ。ッカカカカ」
また、3人が並んで、背中を向けて花火を眺めていた。
釣り船の上で眺める、横浜港の花火。
もしかしたら、未希もストームも。
忘れられない体験になるのかもしれない。
オレには、ちっとも、綺麗には見えなかった。
空も海面も、真っ黒。
花火の真下で、チラチラと灯りをつけた船が、あちこちに浮かんでいる。
あの船でマダムが誰と会い、なんの話をしてるのか。
花火の真下の海の上で、どんな黒い話をしているのか。
どうでもいい。
オレの仕事は、何時間も前に終わった。
もう、オレには関係ない。
それは分かっているのに。
暗闇に吞み込まれる花火と一緒に、
オレも、引きずりこまれてしまいそうな。
見えているのは、そんな景色だ。




