4.8.26 - セレン 次へ >
それからまた1週間が経った。
ストームカレンダー60日目。
前哨基地へはまったく行かず、モルウェナの屋敷で寝起きしている。
朝は、モルウェナの護衛をしながら、大聖女の館へ。
昼は、アルクと剣の稽古。
アルクは強い。
この男には、フェイクも通用しない。
剣術も卓越している。
勝ち筋がまったく見えなかった。
夕方になると、アルクとふたりで、モルウェナを迎えに、大聖女の館へと向かう。
今日は、その途中で、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「ソウジさん、よろしいですか」
ヴェータだ。
「ローウェンナ陛下とセレン様が、ソウジさんと、夕食をご一緒したいと仰っています。ご同行願えませんか?」
見ると、後ろにはご丁寧に馬車の用意。
面倒ごとの予感。行きたくない。
アルクに視線を向ける。
「お迎えは、私だけで問題ありません。行ってあげてください。ソウジさん」
コイツが、個人的にオレを助けたことなんて、1度もない。
「分かったよ……」
オレは、馬車の荷台へ。
ヴェータが運転台に座り、馬車を発進させた。
「いってらっしゃい。ソウジさん」
「うるせぇ……」
ガタガタと馬車が王城へと向かう。
無いとは思うが、念のため、襲撃の心構えをしておく。
「ソウジさん。今日まで、お世話になりました」
「うん? なんだ。どっか行くのか?」
「明日、セレン様と共に、ウルス皇国に向かいます」
「明日?」
「はい。セレン様のお世話役として、そのままウルス皇国に留まります。次にこの国に戻ることがあるとしたら、ご結婚のあと。2年後ですかね」
「そうか。まぁでもおまえの家は、元々ウルスなんだよな。故郷に帰ることになるな」
「故郷といっても、何世代も前です。追放された家系ですので、元の身分を明かすこともできません。デネボラを名乗ることもできませんよ」
「ああ、そうか。元を辿れば、おまえの家も王族なんだよな」
「それは……忘れてください。知られると家ごと皆殺しです」
「フッフフ。そうか。そうだな」
王城の門を抜け、城内へ。
ずいぶん久しぶりな気がする。
建物は、なにも変わっていない。
しかし、空気がずいぶんと変わっていた。
なんというか……ぬるい。
リノンのときは、もっとピリピリとしていたが、今は、だらけているように見える。
練兵場の兵士の掛け声も、どことなく緩慢だ。
ヴェータに付き添われ、食堂へと案内された。
ふと、リノンとモルウェナ。あのふたりと食事したのを思い出す。
モルウェナは、毎回、使用人を困らせていたな。
今夜そこに座っているのは、ローウェンナとセレン。
セレンのことは多少知っているが、ローウェンナとまともに会話したことは、まだ1度もなかった。
ゲストナイトなのにな。
オレが座る前に、ふたりは一度立ち上がった。
「ソウジさま、ご無沙汰しております」
セレンの蚊の鳴くような声。
ローウェンナは何も言わず、ゆらっと頭を下げただけ。
「いいよ。オレはマナーも、しきたりも知らない。他に誰もいないんだろ。いつもの姉妹の食事をしたらいい」
セレンが、はにかむ。
ローウェンナも、表情が崩れそうになったが、無表情に戻った。
なるほど。まだ、新米の女王なのかな。
「それで、オレになんか用か?」
適当に腰を下ろした。
使用人が、きびきびと動き出し、皿やボウルを運び始める。
セレンも、ススっと歩み寄り、オレのところに近づいた。
手に白いハンカチを持っている。
それをオレの前に広げた。
中央に星型のような刺繍。
それを取り巻くように、麦の穂や、色とりどりの花の絵が縫い込まれていた。
「これはわたくし」
最初に、真ん中の星を指で示した。
それから、次々と、花の上に指を這わせていく。
「これはヴェータ。これはフィオン。これはアルク様」
オレには、なんの花か、分からない。
「麦の穂は?」
「リノン様と、ローウェンナお姉さま」
言い終わると、セレンはハンカチを四つ折りに畳んだ。
「はい。ソウジさま」
「うん?」
「あの夜、申し上げましたでしょ。刺繍のハンカチをお渡しすると」
「ああ……そうか。オレにか」
「はい。これはあの素敵な夜の思い出です。どうかお受け取りください」
なんか、少し引っかかる言い方だが……まぁいい。
「分かったよ。ありがとう、セレン」
「フフッ」
少し照れくさそうな顔。
オレがハンカチを受け取ると、すぐに背中を向けて、自分の椅子に戻っていった。
聖女ではなくなったからだろうか。
セレンは、人間らしさを取り戻している。
それに引き換え……
ローウェンナは、なにも喋らない。
目も合わせない。
女王とは、人間性を失う役職。
リノンと同じように、夢も希望も、捨てられていくんだろう。
ローウェンナは女王の地位を得て、セレンは少女に戻り、ウルスに売られる。
女王として王城に縛り付けられたローウェンナ。
ウルスに旅立つセレン。
果たして、どちらがまともなのか。
どちらの未来が、幸福なのか。
今夜は、その2人にとって、大切な最後の食事。
そこになんで、オレを呼んだんだ。
どう考えても、オレは邪魔だろうに。
結局、ローウェンナとは、ほとんど会話もなく。
食事を終えた。
去り際に、セレンに呼び止められた。
「ソウジさま」
胸元で、両手を握りしめ、縋るような目でオレを見上げていた。
それから、ゆらゆらと視線を落とした。
「どうかお姉さまを、お守りください」
祈るようなセレンの言葉。願い。
すでに死んだような姉。
これから死にに行くような妹。
ローウェンナも、セレンも。
なにも悪いことはしていない。
ただ、聖女として生まれ、その責務を全うしているだけ。
そこにオレが入る余地はない。
オレにはなにもできない。
なにをしたらいいのかも分からない。
でも、セレンが求めている答え。
それは分かる。
いいのか。それで。
そんな答えでいいのか?
これはウソでも、真実でもない。
ただの相槌。
そこには、心もなく、感情もない。
「心配はいらない。だからおまえも、心置きなく幸せになれ」
オレはただ、求められた言葉を返しただけ。
セレンが、また、オレの顔を見上げた。
その目から、涙が溢れ、流れ落ちていく。
やめてくれ。
オレの言葉は、ただの呼吸。
風の音。焚火が爆ぜたのと何ら違わない。
それなのに、セレンはその音を聞いて、表情に安堵を宿し、涙を噴き零した。
オレは今、罪悪感で一杯だ。
翌朝。
セレンは、ウルスへと旅立った。
それを、人づてに聞いた。
オレはモルウェナの屋敷の庭で、空を眺めていただけだった。




